相容れない06

 毎日世話をしたコーンの畑を抜け、さらに歩いていると懐かしい立て札が目に入った。ゼノと一緒に硝酸をかけてまわった場所だ。結局ここは不発に終わっている。あのときはゼノが転んで……。
 なまえは涙をこらえて石像の横を走り抜けた。船が通るほどの川といえば、知る限り一つしかない。前にゼノから水を機械で汲んでいることを教えてもらっていてよかった。

 一瞬だった。地面に押し付けられ、腕を捻りあげられている。頬にぺたりと冷たいものを押し付けられて、なまえは声を出すこともできなかった。
 後ろから足音が近づいてくる。何人かいるようだ。
「どうします?」
 男の人の声……そんなことより、日本語だ。ゼノが言っていた少年科学王国の人に違いない。もうこんなところまで来ているなんて。
「……わ、私は日本人です」
まさか日本語を話すのに緊張する日がくるなんて思ってもいなかった。日本人ならとすぐに解放してくれるかと思ったが、地面の小石は相変わらず頬に食い込んできて痛い。
「いくつか質問してもいいかな」
 今度は別の人の声だ。はい、とかろうじて返事をする。
「……かわいそうなんだよ?」
「うん。でもスパイかもしれないからね」
 女の子の声と、また別の男の人の声。いったい何人いるんだ。スパイを疑われるのは仕方ない気もするが、こうも警戒されると信じてもらえるか不安になってくる。
 質問されたのは、どこから来たのかということと、どうしてここにいるのかということだった。なまえはありのままを話した。ゼノのところから来て、投降するか引き返すよう提案しに来たと。ここまで話してようやく、刃物からは解放された。ただ、体を縄で縛られてしまう。
 男が三人と、女の子が一人。こんなに小さな子がいることにも驚くが、ゼノのところで会った人たちに比べて全体的に年齢層が低い。彼らは話を聞いてもなお、引き返さないと言う。
「どうしてですか? あなたたちの目的は?」
「話すわけないでしょう。君はまだ疑われているんですよ。通信機を持っていないとも限りませんし」
口元をマスクで隠した男が言った。冷たい言い方ではあるが、彼の言っていることは最もだ。
「……そうですね。確かに今、あなたたちの目的はどうでもいいです」
なまえは縛られたまま立たされ、もと来た道を歩かされた。途中で何度も引き返すよう言ったが、これは難しそうだ。
「ゼノはあなたたちのリーダーを殺すつもりでプロの軍人を仕向けています。とりあえずゼノの言うとおりにして、それから話し合うんじゃダメですか?」
「ゼノは交渉が通じるような相手なのかい?」
 そう言ったのはたぶん、獅子王司だ。あさぎりゲンといい、日本人チームは有名人が多いのだろうか。
「……話は聞いてくれると思います。説得できそうな材料は、私にはないですけど」
「君を人質にしても?」
「……私に人質の価値はないと思います。みすみす捕まって、馬鹿だって笑われるんじゃないかな」
 なまえの自虐ともとれる発言に、四人は言葉を失った。やってしまったと気付いたのは、すでに妙な空気が流れたあとだった。
「すみません、今のは忘れ「そんなことないんだよ!」
 なまえの指先を、女の子がぎゅっと握った。
「きっと今も心配してるんだよ!」
「……ありがとう」
 ありえないとわかっていながらも、優しさを向けられたことが嬉しかった。いよいよ流れそうになる涙を必死でこらえる。今泣いたら、手を縛られているから拭うこともできない。それに本題から大きく逸れてしまう。
 しばらく歩くと男女二人と合流した。二人の近くには通信機のようなものが置かれている。なまえはコハクと呼ばれた女性にボディチェックをされて木の幹に縛られた。
 このまま説得を続けても意味がないような気がする。彼らが止まらないのなら、次にするべきは何なのだろう。

 羽京、氷月、クロム、スイカ……。話を聞いているうちに全員の名前はなんとなくわかるようになった。それから、トンネルを掘って侵入しようとしていることも。
 ジリリリリ、と通信機が鳴る。まっさきにその意味を理解したのは羽京で、
「千空が狙撃された……。大丈夫、生きてはいるみたいだ」
 彼らは動揺しながらも、自分たちでトンネルを掘り進めることを決めた。なぜ、そんなにも必死に前に進もうとするのか。彼らは誰一人として諦めていなかった。
 なまえは静かに彼らの会話を聞いていた。そして「ゼノを捕まえる」という言葉を聞いたとき、ようやく決心がついた。
「あの、私も手伝います」
「何を」と聞かれれば、潜入したあとの道案内ぐらいしか思いつかない。しかし彼らに尋ねられたのは「なぜ」のほうだった。
「誰も……殺すつもりがなさそうだから」
 そう言った瞬間、なまえを捕えていた縄がブツリと切られる。渡されたのはペンと紙。求められているのは見取り図だった。
 入り口があって、それから研究室、ゼノの部屋……機械室、家畜小屋……思い出した順番で書き進めていると、それはもう酷いものが完成してしまった。
 頭上からため息が降ってくる。……氷月だった。
「真面目にやる気はあるんですか?」
「すみません……中にさえ入れば案内はできると思うんですけど……」
「出たら兵舎の目の前でした、では笑い話にもなりませんよ」
「はい……」
見取り図はいったんお預けとなった。とにかくまずはトンネルを掘る方法だ。目標は二週間。今は槍を使って手動で掘ってはいるものの、これで最後までというのは無理がある。クロムが科学に精通しているようだから、道具に関しては彼頼みだ。

 交代で一晩かけて掘った穴はせいぜい五メートル。まず人が立って作業できる深さまで掘るのすら一苦労だった。しかもこの先には、硬い岩盤が待ち受けている。
 クロムは通信機を使い、船に残る仲間たちに必要なものを伝えていた。その間に羽京の提案で目的地までの距離を測る。だがここにも複雑な計算が必要で、それをやり遂げたのはクロムだった。彼はいったい何者なんだろう。てっきり科学者は狙撃されたという千空ただ一人だと思っていたのだが……もしかしたらクロムのことはゼノも知らないのかもしれない。

 通信を行った二日後、もさもさとした乗り物とともにそれはやってきた。驚いたのはなぜかカルロスがその車のようなものを運転していたことだ。
「え……カルロス?」
「なまえ……お前まさか裏切って?」
 裏切りという言葉に胸がちくりと痛む。違うとは言えなかった。ゼノに別れの言葉を告げてはいるが、傍から見ればただの裏切り者にしか見えない。
 カルロスは数日前のなまえと同じように、ぐるりと木の幹に縛り付けられた。カルロスと一緒に車に乗っていた大樹という少年が抗議していたが、解放したら最後……逃げられてトンネル作戦のことがバレてしまう。大樹は最後まで不服そうにしていたが、カルロスを拘束することを受け入れていた。
 一方で、クロムは着々と作業を進めていた。部品をつなぎ、上手くいかなければ設計図を修正する。夢中になった横顔を見ていると、ゼノのことを思い出した。根本的には一緒なのかもしれない。こんな風に、ゼノのことも心から応援できたらよかったのにと思う。そしたら……。
「なまえ?」
ハ、と我に返るとすぐ隣に羽京がいた。どうやら彼は心配してくれているらしい。ラボカーの中で休んでいいとまで言われると、なんだか申し訳なくなってしまう。
「いえ、大丈夫です。考え事をしていただけなので」
「本当に?」
「はい……。クロムさんを見ていたら、懐かしくなっちゃって。ゼノも科学のことになると、すぐ夢中になって……」
「……えーと、それ僕が聞いちゃってもよかった?」
「はい……。変に嘘をつくと疑われてしまいそうですし」
「ああ……僕はもうそんなに疑ってないんだけどね」
 羽京はにこりと笑って作業に戻っていった。なまえも掘った土の山を運び、汗を拭う。そうしている間に日は沈み、作業は四日目に突入しようとしていた。


***


 スタンリーはゼノの後ろ姿を壁に寄りかかりながら眺めていた。
 石神千空を暗殺し、戻ってきて驚いたのはなまえがいなくなっていたことだった。ここまでこじれるものかと半ば呆れつつゼノに問うと、ただ一言「行ってしまった」と。その後姿があまりに哀愁を漂わせていたものだから、つい
「連れ戻しに行かねーの?」
らしくもないことを提案してしまった。
「その必要はないさ。彼女を縛り付けたところで何の意味もない」
「ふーん」
 どっちの意味で? と聞くのはやめておいた。敵の科学者を殺すか幽閉すると言いながら、なまえに関しては野放しなんて合理的ではない。なまえが仲間を作ると困ると言っていたのは誰だったか。無理やりそばに置いておいたって、コストが増えるだけ? それとも憎しみを向けられるのが怖い? 素直になんなよ。幼馴染としてそれくらい言ってやれればよかったのかもしれない。だがゼノの選ぶ答えがわかっているのに、ただ責めるだけの言葉に何の意味があるだろう。
 スタンリーがタバコに火をつけても、ゼノは文句の一つも言わなかった。ゼノが机に向かう姿はいつも通りと言えばそうなのかもしれないが、余計なことを考えないよう必死になっているようにも見える。フーッと煙を吐き出し、先端から灰を落とす。ゼノが振り向いて何か言われるかと身構えたが、ゼノはタバコのことなど目にも入っていないようだった。
「スタン、君ならどうする?」
「あー……みすみす敵には渡さねーかな」
「うん? ……ああ、確かに戦闘機を取られてしまったのは痛いね。遠隔で爆破できるようしておけばよかったかな」
「……何の話?」
 さては話を聞いていなかったね、とゼノが腕を組む。幼馴染の恋路に頭を悩ませて、上の空になっていたのはどうやら自分のほうらしい。誰のせいでこうなったのかと問い詰めてやりたい気分だ。
 ……というのは一度頭の隅に置いて、何を聞かれたのかと確認すればこれからのことだった。少年科学団が大量に持っているという石化装置の信憑性はともかく、二週間で潜水艦が完成するなら制圧するのは容易な気もするが。
「僕としては空に囮を配置したいところなんだが、どうだろう?」
「もう決まってんじゃん。それでいーよ。ちょっと手厚すぎる歓迎のような気もすっけどね」
「用心に越したことはないよ」
 ふふふ、とゼノが笑う。それがどうしようもなく憎たらしくなって
「……なんかさっきからなまえのことばっか考えてんだけど」
からかってやった。まるで時が止まったかのようにゼノは固まって、ペンだけがするりと手から滑り落ちる。こんなの、大笑いするしかなかった。もちろんこれ以上こじれたら手の付けようがないので、訂正すべきところはきちんとしておく。
「あんたのその顔見たら、なまえも戻って来るかもね」
「……そんなこと、あるわけないじゃないか」
「あー悪かったよ冗談。んな落ち込むなって」
「……落ち込んでない」
「どこが好き?」
 てっきり否定するかと思いきや、ゼノは黙り込んでしまった。どうしてこの二人がこの時代で出会ってしまったのか、親友としてはため息の一つくらいつきたくなってしまう。
 石化前、ゼノが好きなように科学ができる世界になればいいと思ったことは何度もあった。今の世界は自由に科学をする分にはうってつけだ。ゼノが望むなら、世界を支配することだってできる。……それなのに、ゼノは苦しそうだ。
「上手くいかないもんだね」
「ああ、全くだよ」
 かすかに笑ったゼノは、今さら「煙たい」と言い出した。