相容れない07
「っしゃー!」
クロムの作ったドリルは無事、岩盤を突破した。あとは時間との戦いだ。絶え間なく増え続ける泥を外に運び、出口ももうすぐというところ。やはり見取り図が必要だという話になってくる。
「そうだ、カルロス! 君なら知っているだろう!」
大樹はカルロスに紙とペンを差し出した。ここまでストレートに頼みごとができるのは大樹しかいない。だが素直にカルロスが従うわけもなく……。
そのとき、通信機が鳴った。聞こえてきたのはルーナの声だった。
「ルーナ?」
「……えっ、なまえ?」
少しの沈黙が流れた。動揺のあまり普通に話してしまったが、通信機での会話は基本的に暗号で行われている。それを思い出したのか、次にルーナが言ってきたのは数字のみだった。
ブツンと通信が切れる。すぐにでも内容を聞きたいところだったが、なぜか羽京はぴしゃりと顔をこわばらせていた。
「ついにカレシができました。千空くん……だって」
聞いた瞬間、カルロスは大声を上げて泣き出してしまった。少年たちは……大樹が喜んでいて、あとは呆れている。
なまえ、とカルロスは静かに声を上げた。
「ペン貸しな」
「書いてくれるの?」
「お嬢がそっちにつくってんなら話は別だ。俺とマックスは地獄の果てまでお嬢の味方だぜ……!」
カルロスは見事に見取り図を書き上げた。これなら潜入にも心強い。しかし、先ほどから氷月からの視線をひしひしと感じる。
「素晴らしくちゃんとしていますね、誰かさんのとは違って」
「……もうあれは忘れてください。案内ならちゃんとしますから」
「頼みますよ。あとはゲンくんと合流さえできれば、Dr.ゼノのところへは辿り着けるでしょうから」
ゲンはやはり少年科学王国を裏切ったわけではなかったようだ。それなら彼らが引き返せない理由もわかる。しかし、銃を持っている相手に単身でスパイとして乗り込む度胸……。なまえにはないものだ。早く合流しなければゲンの身も危なくなってくるだろう。
スパイといえば、ルーナも彼らの船に潜入していたらしい。暗殺対象を甲板におびき出し、スタンリーで狙撃する。いかにもシンプルで効率的だとゼノが好みそうな作戦だった。しかし、ルーナの持つ情や優しさはゼノにとって計算外だったのかもしれない。
夜、眠れなくて散歩でもしようかと立ち上がったところ、コハクに腕を掴まれた。なんとなく馴染んだつもりでいたけど、これはまずかったかもしれない。もっと気を付けておくべきだった。言い訳のように「眠れなくて」と笑ってみる。
なまえはコハクに腕を引かれて寝床に連れ戻された。お互い横になり、向かい合わせで目をじっと見つめられる。
「眠れない……今日だけではないだろう。外で寝るのには慣れていないのか?」
「……それもあるんですけど、前から……いや、石化前はそんなことなくて」
「石化が原因で眠れなくなったということか?」
「そうかもしれないって」
ゼノが。と、つい言いそうになった言葉を寸前のところで飲み込む。不自然に間が空いてしまったが、言及はされなかった。
「それは困ったな。今まではどうしていたのだ?」
「五感を刺激するのがいいみたいで、音のするところで寝たり、いい香りがするものを近くに置いたり……」
「……なら、こういうのはどうだ?」
「えっ」
左手が温かい。手をつないでいるのとは少し違う、コハクは両手でなまえの手を包み込んでいた。
「これも五感のうちだろう?」
「そう……だけど」
このまま寝るのだろうか。ちょっと恥ずかしい気もする。……いや、かなり恥ずかしい。
「何か問題があったか?」
「コハクさんは恥ずかしくない?」
全く。彼女はきっぱりと言い切った。
「まあ、モノは試しと言うだろう。目を閉じてみるといい」
「……はい」
なまえはぎゅうと目を瞑った。「力を抜け」と呆れたような声でコハクが言う。
先に寝たのはコハクだった。なまえは体を仰向けにして夜空を見上げた。星座を知っていれば楽しかったかもしれない。流れ星が来たらいいな、なんて思いながら瞬きを繰り返す。徐々に瞼が重たくなってきた。左手にじわりと心地よい熱を感じながら、なまえは瞼を閉じた。
「なまえ、交代の時間だ」
目を開くと、コハクに見下ろされていた。空は青い。左手もすでに解放されていた。
なまえはむくりと起き上がってコハクに笑いかけた。
「眠れました」
なまえとしては単に感謝を伝えたつもりだった。他意はなくて、ただ本当にそれだけだったのに、
「そうか! なら今夜も同じようにするとしよう!」
コハクがあまりにもキラキラとした顔で言うから、なまえは頷くことしかできなかった。
そしていよいよ当日。トンネルの出口となったのはまさかの家畜小屋、しかも牛の真下だった。「モ~」と鳴き声を上げる牛たちに懐かしさを感じるが、今は静かにしてもらわないと困る。なまえは一頭ずつ体を撫でてなだめた。
「私が先行します」
いざというときに戦えないからという理由で、なまえの提案に難色を示すものもいた。しかし、一番平和に行くにはこれしかない。
「私なら……いきなり撃たれることはないと思うので、大丈夫です」
さも「帰ってきました」という顔で堂々と当直に声を掛ける。銃を持った彼らの前に立つのは正直に言うと怖い。だが思った通り、彼らは戸惑いつつもなまえの言葉を信じた。
なまえが注意を逸らして、コハクと氷月で気絶させる。羽京と司は周囲の警戒、カルロスには脱出の準備を整えてもらいながら、順調にゼノのもとまで進んでいった。
途中で会ったゲンもまた、見張りの男たちの注意を引き付けていた。もうゴールは近い。なまえは急激に手足の先が冷たくなっていくのを感じた。
おそらく、最後の扉だ。ここを開けてしまえば妙な小細工は効かない。なまえとゲンは下がって、代わりにコハクや司が先頭に立つ。
扉に手をかけたコハクが目線を配った。全員が頷く……そして
素人のなまえには何が起きているのかもわからなかった。ただ終わってみれば、司が武器の矛先をゼノ鼻に突きつけていて、周囲には護衛の兵たちが倒れていた。
ゼノはこんな状況だというのに、椅子の上で足を組んだままどこか楽しそうにしている。
「興味深いね、どうやってここへ辿り着いたのか。当直の銃声一つ響かせることなく……つまり君たちは戦わずして潜入した」
ゼノの爪の先がカチリと音を鳴らす。
「……トンネルか! おお、実にエレガントだ!」
なまえはあまりゼノを見ないようにしていた。目が合うのが怖かったのだ。しかし顔を伏せていてもゼノが喋ることをやめないから、嫌でも意識下に入ってくる。
ゼノが何らかの合図を出したのか、それとも気絶した当直が発見されたのか、警報が鳴り出した。すぐに脱出しないとマズそうだ。
縄で縛られたゼノはコハクにひょいと持ち上げられていた。見た限りゼノはおとなしくしている。
トンネルに入る瞬間、敵の兵士がすぐそこまで来ていたのが見えた。クロムの作った爆弾で入り口を塞いでしまおうという作戦だが、
「で、誰がそのバクダンをドッカーンとさせるのだ?」
コハクの問いにクロムは固まった。しかし腕にはもう着火した爆弾が抱えられている。急いでゼノを脱出用のカゴに乗せて、出口へ走る。……そして、ものすごい爆発音とともにトンネルの天井が崩れ落ちてきた。
落盤によってクロムとゼノは閉じ込められてしまった。大樹がドリルを取りに戻り、待っている間は氷月が槍で落ちてきた部分を掘っていく。
ドリルが来るまでにかかった時間はほんの一分にも満たない時間だった。しかしあちら側の入り口が狙い通りに塞がれていなければ、すでにクロムが捕まっていたとしてもおかしくない。逆に塞がれていたとしても、今度は酸欠の恐れが出てくる。そんなことになれば、クロムも、ゼノも―――
「みんな、下がっていてくれ! あとはこのドリルで……!」
大樹の言葉にハッとして、なまえは急いで道を空けた。ドリルはすさまじいスピードで土を掘り進めていく。固唾をのんで見守っていると、カンッとドリルが何かをはじいた。
ドリルの先がぶつかったのは、クロムの持っていた道具だった。クロムもあちら側から掘っていたようだ。クロムたちの後ろはまだ土で塞がっている。だが、敵も掘っていると考えて間違いないだろう。
全員がトンネルから脱出し、あらかじめ用意しておいた土を入り口に流し込んだ。これで当分の間、追手の心配はないはずだ。
それから通信機を使ってゼノを確保したことを報告した。現在地をそのまま日本語で喋っても問題ないのは、ゼノを捕まえた今、敵に日本語を理解できる人がいないからだ。
クロムもゼノも落盤の衝撃で怪我をしていた。クロムは自分で血や泥を拭いているが、縛られているゼノはそれができない。手当してあげたほうがいいのだろうけど、何を言われるか恐ろしくてなかなか行動に移せないでいた。
「なまえ」
ゼノの呼びかけに、その場にいる全員が反応した。周囲からの視線が重くのしかかる。ゼノは涼しい顔で続けた。
「先ほどから視線を感じるんだが」
「すみません。その……顔を、拭いてもいいですか?」
「ああ、むしろ僕のほうから頼みたいぐらいだよ」
なまえは濡らして絞った布を軽くゼノの頬にあてた。片手ではやりづらく感じて左手を添える。しかし胸がぞわぞわと妙な感じになって、すぐさま手を下ろした。
やりづらいもう一つの原因は、ゼノが見下ろしてくることだ。何もわざわざ目を合わせてこなくたっていいだろうに。初めは気にしないようにしていたが、ゼノが笑っていることに気付き布を広げて雑に顔全体を覆ってやった。最初からこうすればよかったのかもしれない。
「……終わりました」
「ありがとう」
なまえと交代で羽京がゼノに近づく。逃げられないように監視するためだ。しかし背後から「その必要はねえ」と、聞いたことのない声が降ってくる。
それが誰なのか、なまえにはわからなかった。ただ周りが、特にゼノが嬉しそうな顔をしている。一緒に作業をしているときの楽しそうな顔とはまた違う、見たことのない表情だった。
コハクたちに話を聞いてみると、彼がリーダーの石神千空であることがわかった。そして前にゼノが言っていた「教え子のように思っていた子」でもあった。それをわかっていてスタンリーに撃たせたのも、生きていて喜んでいることも、なまえには何一つ理解できなかった。
少し離れたところでゼノと千空は話している。丸く収まるには色々ありすぎた気もするが、これで和解するのだろうと思っていた。だが、そこはお互い譲れなかったようで……
なまえは今、ボートに乗っている。目指す先は南米。人類を石化させた発信源が南米……らしい。そこへ行って石化の手がかりを掴まなければならないそうだ。千空たちの目的は全人類を復活させることであり、ゼノが目指す世界とはほぼ真逆に位置する。それなのに彼らはゼノの知識をも利用しようとしているのだ。
そしてゼノを攫ってボートに乗ったなまえたちを、スタンリーが後ろから追いかけてきている。「地球規模の追いかけっこ」と聞けば可愛らしい響きだが、スタンリーは銃を撃ってくると考えて間違いない。本当にとんでもないことになってしまった。
ゼノ、千空、クロムの三人が石化光線について議論している。他全員は彼らの邪魔をしないよう、潮風に当たりながらお茶を飲んだり、体を休めたりしていた。
そしていよいよ日が沈み、ボートのデッキから人影が消えていく。なまえはひとり、水平線を見つめていた。
「やあ、眠れないのかい?」
現れたゼノは、縄も解かれてずいぶん自由にしていた。ゼノはなまえの隣に立ち、柵に腕を乗せた。
「著しく寝不足というわけでもなさそうだ。もう不眠については克服したのかい?」
「……それは、」
なまえは口ごもった。コハクに手を握ってもらっていたこと、口にするのは恥ずかしい。どう説明しようか迷っているうちにも、頬がどんどん熱くなってくる。明かりもほとんどないから見えてはいないと思うが、ゼノからの視線はグサグサと突き刺さってくる。
「何か恥ずかしがるようなことでも?」
「……手を、握ってもらって」
「おお、実に簡単でエレガントな方法だ。五感を刺激するといいという仮説もあながち間違ってはいなかったようだ」
ゼノがするりと手袋を外す。そういえば、ゼノの手を見るのは初めてかもしれない。……ではなく。まさか、と思っていたらゼノは本当に手を差し出してきた。
「……えっと?」
「科学に重要なのは再現性だからね」
「これも科学なんですか?」
「世界のほとんどは科学で証明できるよ」
「……つまり?」
「今日の君はずいぶん物分かりが悪いね。それともわざとかな」
「……」
なまえはそっとゼノの指先を握った。細くて骨ばった手だった。そしてコハクよりも冷たい。
鼓動が速くなっていくのを感じた。当たり前だが、これでは眠れる気がしない。そもそもこんなところで寝るわけがないのに、この行為にいったい何の意味があるというのか。
「……眠れる気がしません」
「それは残念だ」
ゼノの手が離れていく。すぐに手袋をつけた彼の手はいつも通りになってしまった。
手すりに寄りかかったゼノは真下の海を眺めていた。なまえも同じようにしてみたが、暗くて何も見えない。
「落ちても助けてあげられないよ」
ゼノの真似をしただけなのに、当の本人がこんなことを言う。
「ゼノだって」
「君が簡単に落ちてしまいそうだったから」
「……そんなに?」
「いや、錯覚かな」
なまえは眉を寄せた。ゼノにしてはハッキリしない言い方だ。その上「忘れてくれ」と言われてしまえば、どういう意味かと尋ねることもできなくなってしまう。
「……ゼノ、ここに来てから楽しそうに見えるけど」
「うん? ……ああ、僕が絆されないかと期待しているわけだ」
「まあ、」
「スタンの迎えを待っている間、ただじっとしているだけなんて非合理的じゃあないか」
「……そうなんですけど」
「むしろ僕としては君や千空が絆されてほしいところだよ。無理だろうがね」
ゼノの言う通りだ。ゼノは早々と見切りをつけているのに、なまえはまだどこかで諦めきれていない。言葉を交わすことはできるのだからと期待してしまう。
「話し合いをしようという人間に限って、相手が自分の意見を受け入れてくれるまで納得しない。僕はそんなやつを今まで何人も見てきた」
「……私のことですか?」
「君に関しては、互いに納得できる妥協点がないことを理解した上で悩んでいるように見えるね」
「そうかもしれません。ゼノから見たら、時間の無駄なんでしょうけど」
「そこまでは言ってないじゃないか」
ゼノは手すりから手を離した。
「ずいぶん話し込んでしまったね。明日は重労働だろうから早く休んだほうがいい」
「何かあるんですか?」
「おそらく燃料が尽きる。つまり適当に陸に上がって木を伐採しなければならない」
「……そんな、スタンリーたちが追ってきてるのに」
「そうだね」
くすりとゼノが笑う。今までおとなしくしていたのは、逃げきれないとわかっていての余裕だったのか。千空たちも無計画でやっているわけではないだろうから、何か手立てがあると信じたい。そうしてゼノが「エレガントだ」と敵味方問わず褒めるところまで想像して、なんとか気を持ち直す。
「ゼノの助言に従って寝ます。おやすみなさい」
「おやすみ。良い夢を」