相容れない08
燃料の補充中に出会ったチェルシーという地理学者のおかげで、南米へのルートがかなり短くなった。ただバイクが必要らしく、そのためにまずゴムを作らなければならないそうだ。
スタンリーに追いつかれないよう、ボートに帆を立てて速度を上げる。さらに囮の船を作っての時間稼ぎも行った。
チェルシーの案内は的確で、すぐにゴムの木はみつかった。
まずは木にナイフで切り込みを入れて、樹液を集めなければならないらしい。
なまえは木の幹にナイフを突き立てた。グッと力を入れて斜めに刃を動かす。
「……あ」
流れ出てきた液体は白い。そしてなぜか、ぞくりと肩が震える。
変な想像をしてしまった。……というより、思い出してしまったのだ。ゼノの首にナイフを突きつけたことを。あのとき、切るつもりは全くなかった。それなのにゼノがナイフに近づくようなことをして、怖くなって……。一瞬だけ頭の中をよぎったゼノは、首から血を流していた。
「……なまえ?」
「えっ……あ! ルーナ」
「こぼれてる……っていうか顔色悪い!」
ルーナはなまえから器を取り上げて木の幹に固定した。なまえはただそれを呆然と眺めていた。
「体調悪いの? 休んできたら?」
「そうかも……。ごめん、ちょっと座ってる」
なまえはみんなから少し離れたところで腰を下ろした。これはため息もつきたくなる。すごく情けない。
なまえはナイフの刃に指を当てた。樹液がベトベトしていて失敗したなとは思ったが、触るのは平気だった。調理で食材を切ったときも何ともなかった。やっぱりあの液体が流れ落ちてくる感触がダメだったのかもしれない。
心の準備ができていたら大丈夫だろうか。気を取り直してもう一度やってみよう。しかしなまえが立ち上がろうとしたところを、ゼノに腕を掴まれてしまった。
「全く君は、何をしているんだ」
ゼノは竹筒に入った水をなまえの手にかけた。そうして次は布をかぶせられて、ごしごしと擦られる。
「樹液は直接触るものではないよ」
「……すみません」
「君の様子がおかしかったと聞いたけれど」
「……たぶんもう大丈夫です」
「そうは見えないがね」
理由を話せ、と訴えられているような気がした。ゼノはなまえの手を握ったまま離さない。もうとっくに手は乾いていた。
「ごめんなさい……。ゼノにナイフを向けたこと、ずっと謝りたかったんです」
「ああ、ナイフで思い出したのかな。僕は気にしていないよ」
「……の割には結構責められたような」
「それは諦めてくれ」
ゼノが爪をネクタイの結び目に引っ掛ける。しゅるりと解かれていくそれを、どこか他人事のような気持ちで見ていた。ゼノの青白い首元が露わになってようやく理解が追い付く。「え」と思わず声を出してしまった。
「な、何してるんですか……」
「傷一つ付いていないだろう? 触ってみるかい?」
「そんな……だって、急所ですよ?」
言った後で、もっと他に何かなかったのかと後悔する。ゼノは目を真ん丸にして、それが少しかわいいと思ったりもしたけど、まあつまり呆れられているのだ。
ゼノは何度かまばたきをしたあと、くすりと笑った。
「君なら構わないよ」
握られた手がぐい、と引かれる。息が止まりそうだった。もう限界だ。バクバクと鳴る心臓を押さえたいが、それもできない。そのかわり、さっき感じていた一種の気持ち悪さはどこかへ消えてしまっていた。
ゼノはなまえの手を離してゴムの木に向きなおった。そして切れ目を入れると振り返って、なまえに向かって首をもたげる。「おいで」と言われているみたいだった。
なまえはゼノの隣でもう一度、ナイフを使って切り込みを入れてみた。流れてくる樹液を木の器で受け止めて……今度は上手くできそうだ。
「これ、どうやったらゴムになるんですか?」
「硫黄と……あとは酸性のものを混ぜる必要があるね。千空はビネガーを使うと言っていたよ」
「ゴムのタイヤがあったら台車も快適だったかもしれませんね」
「ああ、あれか……」
ゼノは目を細めた。なまえもつい楽しかったときのことを思い出してしまって、言葉が続かなくなる。
「ほら、千空たちが次の工程に進むようだよ。見ておいで」
「……それならゼノも一緒に行きましょう」
なまえはゼノの腕を引いた。ゼノがどんな顔をしているかは怖くて確認できない。ただ後ろからゼノがついてきていることしかわからなかった。
千空が型取りしたゴムはプルプルと弾力のあるものに変化していた。丸めてバウンドさせると面白いぐらい跳ねる。ゴムの出来は上々のようだ。
さっそく千空たちはバイク用のタイヤ作りに取り掛かった。タイヤの外側と中のチューブは別に作らなければならないそうだ。これに関しては千空とゼノの二人が盛り上がっている。実際の作業は力のある大樹たちが担当し、なまえは空いた時間で燃料用の薪を割ることにした。
ひたすら斧を振り下ろしていると、チェルシーが手を振りながら走ってきた。
「なまえ~!」
「どうしたの?」
「さっきからめっちゃ働いてない? 休憩しよ! はいお水」
「ありがとう」
「でさでさ、なまえってゼノと好き合ってる感じ?」
「……え」
せっかくもらった水を吹き出すところだった。とりあえず近くにゼノがいないか確認して、見当たらないことに安堵する。
「……ゼノが好きなのは、科学だと思う」
「え、でもなんか二人っていい感じじゃん?」
「そう見えるならよかったけど、少し前から意見が反発してて」
「それ聞いた! 世界征服でしょ? そんなの反発して当たり前だし! 悪いのゼノだし!」
「うん……」
なまえは唇をきゅっと結んだ。チェルシーみたいに言えたらよかった。好きが邪魔して言えないのだろうか。この状況でもまだ好きを諦められないのは、みんなにとって迷惑なんじゃないだろうか。
チェルシーはぱちりと大きな目を開く。
「ゼノにも聞いてこよっか?」
「……待って待って! なんでそうなるの!」
「上手くいきそうだから?」
今にも走って行ってしまいそうなチェルシーの腕を握っておく。チェルシーは「ダメだった?」と首を傾げた。
「だめ……いや、本人は気づいてると思うんだけど……むりです……」
チェルシーはさらに首を傾げながらも「わかった」と言ってくれた。ひとまず安心だ。出会って数日の人に指摘されたことは、この際置いておく。
チェルシーと一緒にみんなのところへ戻ると、ゴムのタイヤはかなりそれっぽくなっていた。試作品だというそれを触らせてもらっていたら、ふとゼノと目が合った。
……つい目を逸らしてしまった。だってあんなことをチェルシーに言われたばかりだ。こういうところがいけないのだと自分でも思う。すぐにもう一度ゼノのほうを見てみたが、彼はすでに千空と話し始めてしまっていた。
無事にタイヤが完成し、あとは機体だ。しかしいつまでも足を止めていたらスタンリーに追いつかれてしまう。残りの作業は船の上で行われることになった。
作業はクラフトチーム中心で行うのかと思いきや、細かな部品はほぼ全員で作っている。それだけ部品の数が多いということだ。材料が足りないからと船の壁を剥がしたときはびっくりしたが、船は案外普通に動いている。ただ、少し風通しがよくなった。
完成した部品を渡しに行くと、千空が床に胡坐をかいていた。見たところ一人だ。なまえを見上げた千空の目はわずかに充血していた。
「部品、置いておきますね」
「おー」
「目が赤いですけど、ちゃんと寝てます?」
「ぼちぼちな。まさか寝不足の心配されるとは思ってなかったわ。テメーこそ不眠症はどうなんだよ」
「ぼちぼちです。……と、言うか知ってたんですね」
「ゼノ先生が心配してんだわ」
「……」
思いがけない名前に思考が鈍る。言葉に詰まったなまえを見て、千空はにやりと笑った。あ、からかわれたんだ。ゼノの城にいたころは割とみんなそっとしておいてくれたけど、少年科学団と合流してからその手の話が多い。自分だけならまだいいが、ゼノにも誰かが言っていたとしたら。……いや、余計なことを考えるのはやめよう。
「……ゼノはなんて?」
「こっちに同じような症状の人間はいなかったか。あとは明らかにテメーがヤバそうだったら報告してほしい、だな」
「そう、なんだ……」
「おーおー、じゃ次この組み立て頼むわ」
「……はい」
千空は大量の金具をよこしてきた。三種類ある部品をネジを使ってつなげればいいそうだ。しかしこれだけだとバイクのどの部分かすらわからない。
「完成しそう?」
「ギリギリ」
「でもちゃんと睡眠は取ってくださいね」
「あ゛ーゼノにも言われたな。適度な休息をとらなければ効率が落ちるとかなんとか」
「でもゼノはバイクが完成しなくても困らないですからね」
「それな」
くあ、と千空があくびを噛み殺す。
「……本当に寝てくださいね」
「あー……キリいいとこまで終わったらな」
ゴリゴリと肩の骨を鳴らす千空を尻目に、なまえは自分の作業スペースに戻った。
****
なまえが去ったあとの室内で、千空はひとり作業に没頭していた。彼女には寝ると言ったもの、残念ながら時間がないのだ。
エンジンなど、船のものを再利用する部分があるため完成は上陸してからになる。だがそこまでにある程度の形を作っていなければ間に合わない。上陸地のエクアドルまでは早くてあと三日。囮のラボカーがそれまで持ちこたえてくれれば何とか行けそうか……。
後ろで扉が開く。現れたゼノはなまえの置いていった部品に手を伸ばした。
「僕のところは分業体制だったが、君たちは全員がこういった作業に慣れているようだね」
「それ作ったのなまえだけどな」
「ああ、彼女はよく僕の手伝いをしてくれていたからね。仕事が丁寧でいつも助かっていたよ」
「ほーん。で、そっちはどうだ?」
「おおむね順調だよ」
「協力的で助かるわ」
「身を危険に晒すようなことは避けたいからね」
ゼノはそう言って機体の改善案を提示してきた。身の安全がどうこう言いつつ、楽しんでいるのがわかる。昔、ロケット作りのメールを交わしていたときもそうだったのだろうか。尋ねるほどのことではないが、ゼノといると昔のことを思い出す。
「……という感じでどうだろう」
「確かにこっちのが原料節約できるな」
「参考になったようで何よりだ。しかし君はいい加減、休んだほうがいいね」
「……口裏でも合わせてんのか?」
「うん? 何のことだい?」
「いーや、何でも。……仮眠してくるわ」
千空は立ち上がって背伸びをした。反対にゼノは座り込んで部品をいじっている。さっきと逆だな、となまえの顔を思い出しながら千空は寝室に向かった。