相容れない09

 ラボカーが撃沈されたと羽京から報告があったのは、エクアドルに上陸してすぐのことだった。
 バイクはまだ完成していない。作業は夜通しで行われることになった。
 こういうとき、不眠症というのはいいのかもしれない。寝不足が辛くないわけではないが、慣れているからいつも通りのペースで作業ができる。これで他のみんなが少しでも休めたらいいのだが、指示役の千空とゼノのどちらかは必ず起きているという状態が続いていた。
 なまえは部品を組み立てながらもスタンリーのことを考えていた。彼のことは嫌いではない。アメリカ組の中ではそれなりに話していたほうだ。しかし、だからといってスタンリーから撃たれないと期待してはいけない。ゼノも言っていたように、スタンリーは必要であれば撃てる人間だ。
 なまえの指先から金具が取り上げられる。ゼノは爪先で器用にそれをつまんでおもちゃのように転がしていた。
「また考えごとをしているようだね」
「……スタンリーのことを、少し」
「どんな内容か聞いても?」
「私はスタンリーのこと、わりと好きですけど……そんなの関係なしに撃たれちゃうんだろうなって」
「ああ、スタンは軍人だからね。彼が例え君に好意を抱いていようと関係のないことだよ」
「……ゼノが撃たないでって言えば、それで済むじゃないですか」
 言っていて、胸がちくりとする。どうせ無理なのだから言わなければよかった。少しでもゼノの情に訴えられたらよかったが、涼しい顔をした彼が何を考えているのかはわからない。
 ゼノは静かになまえの隣に腰を下ろした。ずっと手元の部品ばかりを見ていて、なまえとは目が合わない。なまえもこれ以上何か言う気になれず、仕方なく別の部品を手に取った。そのまま並んでもくもくと仕事をこなしていたら、ゼノはクロムに呼ばれて行ってしまった。大事なことをうやむやにしたまま、けれど次に会えば何となく普通に接してしまう。今まで何度も繰り返したことだ。

 なんとか六台のバイクが形となったのは、二日後の夜明けだった。喜ぶ暇もなくスタンリーたちの船が視界に入ってくる。
 ゼノを縛り上げて、急いでバイクに乗せる。テスト走行をする時間はなかった。イチかバチかで掛けたエンジンは小気味よい音がした。

「ヘッドショットが来る! 全員頭を下げるんだ!」
 司の言葉にぞっとしながらもなまえは身体を伏せた。最後尾のゼノを盾にして切り抜ける作戦だ。背後から銃声が聞こえてくる。恐ろしくてなまえはただじっとしていることしかできなかった。
 あ、死んだかもしれない。そう思ったのは肩に鋭い痛みが走ったからだ。スタンリーに撃たれたのは司と氷月、そしてなまえだった。
 スタンリーたちからある程度距離を取ってからバイクは止まった。ぐったりとしたなまえをコハクが抱えて寝かせる。後ろからコハクが支えてくれていなければ、なまえは今ごろ砂漠に投げ出されていただろう。
 司と氷月は着込みをしていたため、ある程度ダメージは軽減できている。すぐに戦うことは難しいかもしれないが、バイクの後ろに乗ることはできそうだ。対してなまえは肩からの出血が酷い。死ぬかと錯覚するほどの痛みだったが、命に別状はないようだ。
 ゼノは腕を縛られたままにもかかわらず、なまえのもとへ走って膝をついた。ぼんやりとした意識の中でもゼノが悲壮な表情をしているのがわかる。いい気味。この状況でそんなことを考えている自分に驚いた。ゼノは拘束を解かれると、なまえの肩にそっと触れてきた。
「……ゼノ」
 喋ると身体中が軋むようだった。声を出すだけでこんなにも力がいるなんて知りたくなかった。
「馬鹿ですね。自分が今……どんな顔してるか、確認してみたらどうです?」
「……後でいくらでも聞くから今はおとなしくしてくれ」
 止血用の布をぐるりと肩に巻かれる。ぎゅうっと力を入れられて余計に痛い。痛すぎて、なんだか笑えてしまった。
「ふふ……いたい」
 ゼノの折り曲げた指がなまえの唇に乗せられる。噛みついてやりたいところだったが、そんな力はなまえの中に残っていなかった。
 どうやら処置が終わったらしい。だが、誰も先に進もうとしない。「千空くん」囁くような声だったが、きちんと彼は反応してくれた。
「私、投降しようと思ってます」
「……どうやってスタンリーのとこまで戻るつもりだよ」
「そんなに進んでないから、一時間くらいで着くかなと思ってたんだけど……」
「そりゃ普通に歩けたらの話だな」
「でも……そうするしかないでしょう」
 千空は言葉を詰まらせた。船ならともかく、今の状態のなまえがバイクに乗るのは難しいと彼はわかっているのだ。
 しばらく沈黙が流れた。みんな優しいから怪我人を砂漠のど真ん中に置いていこうなんて言えないのだ。「通信機を」ゼノが重苦しい声で言った。
「スタンリーに通信を入れよう。今なら僕たちの位置なんてほぼ把握されているようなものだから問題ないはずだ。それに……恐らく彼はこちらに向かって来ている」
「なんでそんなことわかんだよ? 今あいつらは飛行機の修理してんだろ?」
「そうだね。クロム、君の言うとおりだ。だがスタンリーは僕たちがなまえを置いていくと予想した上で、彼女を回収するつもりさ。そうでなければなまえを撃つ意味がない」
「なぜ! なぜなまえなのだ!」
 コハクは今にも泣きそうな顔をしていた。どうにか起き上がって大丈夫だと言おうとしたら、そっと抱きしめられた。
 千空たちのほうは話がまとまったらしく、通信を行っていた。スタンリーはゼノの予想通り、こちらに向かって歩いてきているらしい。いよいよなまえの離脱が濃厚になったところで声を上げたのはルーナだった。
「私も一緒に残っていいでしょ? 万一のことがあっても、私なら応急処置ぐらいならできるし?」
「ルーナ……ありがとう。でも大丈夫。ルーナは千空くんたちと行って」
「なんでよっ!」
「アマゾン横断にルーナの知識は必要だと思う。それにタイヤ痕もあるし、スタンリーならすぐに見つけてくれるだろうから」
「でもっ」
 涙をぽろぽろと流すルーナをかわいいと思った。心配をかけないように、にこりと笑う。
「早く行かないとスタンリーが来て全滅だよ」
「ばか! なまえのばかっ! もう二人してばか!」

 バイクに乗るみんなを見上げながら、力を振り絞って手を振る。なまえの足元には過剰と言える量の水が置かれていた。
 なまえは歩いて引き返すつもりでいたが、ゼノたちの助言のもとその場でじっとしていた。バイクが去って二十分ぐらいだろうか。スタンリーが走ってくるのが見える。駆け寄る気にもなれなくて、なまえはうつむいて気付かない振りをした。
 いよいよスタンリーの影が日差しを遮るほどの距離になった。なまえはまだ、座り込んで下を向いていた。
「よお、プリンセス」
「……王子さまのキスがないと動けない」
「悪かったね、ゼノじゃなくて」
 スタンリーは軽々となまえを横抱きにした。支えられている肩が痛い。
「……水、飲む?」
「あんたが飲みな」
「ずいぶんゆっくり歩きますね」
「今日はよく喋んじゃん。痛くねえの?」
「……痛いです」
 スタンリーはなまえをちらりと見た。
「もっと恨みつらみ言われんのかと思ってた」
「……ゼノに言ったので」
「マジ? なんて?」
「ざまあみろ」
「うっそ」
「……嘘ですね」
 スタンリーと話していたらどうでもよくなってしまった。変に力を入れているのもつらいので、ぐったりと体重を彼の胸に預けてみる。もちろんスタンリーはびくともしなかった。
 しばらくすると、スタンリーたちの船が見えてきた。スタンリーが耳元で「寝た振りしときな」と言う。
「どうして?」
「面倒だかんね」
「私が?」
「俺が」
「……あとはお願いします」
 なまえは言われた通り目を閉じた。一度は彼らを裏切った身だ。また戻るのはかなり気まずい。これはスタンリーなりの気遣いだろうが、意識がないとなればもっと酷いことを言われる気もする。だがそこはスタンリーのほうが一枚上手だった。
 スタンリーは「静かに」とだけ言って船に入ったのだ。個室の式布の上になまえを寝かせて「もういいぜ」と。
「すごくあっさりでしたね」
「まあ、あんたを拾いに行くっつったときにさんざ話したかんね」
 スタンリーは手が空くとすぐにタバコを取り出した。
「みんな外で作業してたみたいですけど、船は出発しないんですか?」
「船出すのは飛行機でバイクの走行痕確認してからな。あんたが連中の行き先教えてくれるってんなら話は別だけど」
「いやです」
 なまえはごろんと寝返りを打ってスタンリーに背を向けた。しかしこれが思ったよりも痛くて身体を丸める。「何やってんよ」スタンリーが呆れながらタバコの煙を吐き出すのが想像できた。
「あんたはしばらくおとなしくしときな。じゃないと縛んぜ」
「あなたこそ早く修理に戻ったら」
「言うね」
 スタンリーは扉に手をかけた。ぱたんと閉められたドアを見つめて数分。なまえは痛みを我慢して部屋の外に出た……のだが、腕を組んだスタンリーが通路の壁に寄りかかっていた。
「出かけんの?」
「……ちょっとお手洗いに」
というのは嘘で、本当は船に細工をしようとしていた。詳しいことはわからないが、エンジンを壊してしまえば足止めになると思ったのだ。だがスタンリーはそこを見越していたようで、
「やっぱ縛るか」
慈悲は与えられなかった。
「トイレならついていってやるけど?」
「……いえ、今はいいです」
「なら部屋に戻りな」
 やはりプロだからかスタンリーは手早くなまえの腕を縛り上げた。背中に手を回しているせいで肩に負担がかかる。しかしこれも彼の忠告を無視した結果なので文句は言えない。ただ本当に痛くて、それでも奥歯を食いしばって耐えるしかなかった。
 スタンリーは何を思ったのか一度なまえの縄を解いた。そして今度は腕を垂直に下ろした状態で体ごとぐるりと巻かれる。さっきに比べると肩も痛くない。
「ありがとう……」
「傷口開きそうだったかんね」
 再度おとなしくしているように釘を刺され、なまえは部屋に一人になった。さすがにこの状態では悪さはできない。何もせずただ時間を持て余すなんていつぶりだろう。どうせなら徹夜続きだったから寝てしまいたい。だが、目を閉じてもゼノたちのことを考えてしまう。みんなが大変な状況なのに、一人だけ安全圏に逃げてしまったような後ろめたさがあった。


*****


 なまえを縛ったあと、スタンリーは真っ先に通信機のもとへ向かった。これは作戦には必要のない通信だ。だからといってこちらが不利になることもない。ただ不器用な幼馴染に伝えたかったことがあったというだけの話だ。
 通信機に手を伸ばすと、マヤが緊張感のない声で話しかけてきた。
「あれ、スタンリー何してんのぉ?」
「ゼノに通信。あんたのお姫様回収しといたって」
「ああ~」
 マヤはにやりと笑った。マヤはスタンリーがなまえを拾いに行く際、ゼノからの通信を受けている。スタンリーはすでに出発していて聞くことはできなかったが、なかなか焦っていたそうだ。
 もう距離も離れているだろうから、通信はモールス信号で行った。返事は期待できないが、ゼノのことだからすぐに気付くだろう。

 なまえを撃ちたかったかと言われると、答えはNOだ。ただ先のことを考えると、ここで回収しておくのが最善手と判断したのだ。
 何も少年たちを好き好んで皆殺しにしようとしているわけではない。だが、相手の出方によってはそういう未来も想定しておかなければならないのだ。そこでゼノを救出するだけならまだしも、敵対の意志がある彼女を生け捕りにするのは極めて困難だ。最悪の場合、幼馴染の思い人を殺すことになってしまう。ゼノはそれも仕方ないと言うだろうが、あんな顔を見せられた後だ。ゼノは例え科学のことだってそうそう落ち込みはしない。政治家や民衆に文句を言うことはあれど、返って怒りをやる気に変換してしまうような男なのだ。それが、なまえが離れていっただけであの落ち込みよう。今回の狙撃のことにも動揺したに違いない。それほどゼノの心を揺さぶる彼女を、どうして平気で撃つことができようか。
 今回のことで、なまえには恨まれても仕方ないと思っていた。だがなまえはおそらくゼノに対して不満をぶつけてきている。あれは全部自分の独断だったと言ったところで今さら遅い。何を言ったのかまでは聞き出せなかったが、ゼノの心情を考えれば同情してしまう。
 ゼノはきっと今も科学に没頭している。その頭の片隅になまえがいるのだ。それがどれほどすごいことなのか、なまえはこれっぽっちも理解していないのだろう。何ならゼノに追加のエールでも送ってやりたいところだが、この状況でそれはない。スタンリーは通信機に伸ばしかけた手を下ろして次のタバコを口に咥えた。