相容れない11
約七年。二度目の石化から目覚めたゼノがまず最初に見たのは千空の顔だった。そしてその後ろにクロムと司。勝負は千空たちの勝ちだ。だが、不思議と嫌な気持ちにはならない。
石化装置は死をも乗り越える。この科学を牛耳ることができればそれこそ完全な独裁者になれる。リスクを冒してまでそれを教えるということは、他に何らかの脅威があるのだろう。
千空がよこしてきたのは耳飾りのようなインカムだった。月からの放送が聞こえるようにしているということだが、何も音は聞こえない。
「おう、はっきりしたじゃねえかゼノ。理由なんか知らねえけどよ、ホワイマンは……人間が地球で動いている限り、全員石化させようとガンバってくんだ!」
クロムの言葉に千空が続ける。新世界は人類のルールがまるっと変わってしまったのだと。
「つまり、不満があるなら直接話をつけに、月へ赴くしかないというわけか……!」
ゼノは千空たちに連れられてスタンリーの石像がある場所へと向かった。スタンリーはタバコを吸いながら石となったようだ。最後の最後まで毒ガスを手放せないなんて、本当に呆れたものだ。
スタンリーの攻撃は戦場における正当な戦闘行為だった。それが千空たちの渡してきたカードだ。対価として求められているものは聞かなくてもわかる。NASAのDr.ゼノとしてロケット作りに全面協力ことだろう。
千空たちはわざわざ契約の書面まで用意していた。この気遣いはおそらくゲンだ。ゼノは迷わずサインをすると、すぐに千空と今後の計画の話し合いを始めた。
鉱石探しのための装置を作っていると、隣に千空が座ってきた。千空は頭をガシガシとかきながら空を見上げている。
「ペルセウス号の引き上げならもうちょいだ」
「ああ、鉄は必要だからね」
「ちげーだろ。いや、違くはないんだが……」
「まさか君にまでそんな心配をされるとはね」
「石化直前、あんなん嫌でも聞こえるわ」
「ふふ、気遣いに感謝するよ」
「じゃ、さっさとソレ作り上げてもらわねーとな」
千空はそう言って立ち上がった。立ち去る彼の背中を見上げながら、心配されるほど自分がひどい顔をしていたのだろうかと考える。……わからない。彼女のことは心配だ。海の中での侵食のスピードは、地表で風化するスピードに比べると圧倒的に早いのだ。
装置を作っている最中、スイカを始めとした少年少女が周りに集まっては、すごいすごいと騒ぎ立てる。……昔のことを思い出した。研究職に就いていたときには忘れかけていた感情だ。
そう言えばなまえも、と出会ったばかりのころを思い出す。同時に指先が震えているのに気づいて、どうしていいかわからず一人で笑ってしまった。
装置が出来上がると、順調に鉱石が集まっていった。そして千空が船を引き上げたと言う。ゼノは我を忘れて走り出した。
「おいゼノ、危ねーよ」
クロムの静止でハッと我に返る。こんなボロボロ船の中に入れるわけがない。外から一つずつ壁を剥がす時間がもどかしい。積みあがる鉄の山が高くなるにつれ、中に彼女がいなかったらと嫌な想像をしてしまう。
船の解体が半分ほど終わったときだった。崩れた鉄の柱の先に、彼女の姿を見つける。ゼノはすぐさま柱を除去し、なまえに手を伸ばした。
見た限り損傷はない。トン、と肩に復活液の入ったビンを当てられる。千空は微かに笑みを浮かべていた。
ゼノは来ていたコートでなまえを包んだ。そして、人目もはばからず硬いままの彼女を抱きしめる。こんなこと、彼女が目覚めた後ではできる気がしなかった。
復活液をかけると、なまえを覆っていた石がピシピシと音を立ててひび割れていく。……目が、合った。
「……ゼノ?」
なまえはゆったりとした動きで回りを見渡した。
「どうなったの?」
「千空たちの勝ちだ。僕は今、彼らに協力しているよ」
言った瞬間、なまえはボロボロと大粒の涙をこぼした。なぜ今ので泣き出すのかゼノには全く見当がつかなかった。
「やっとゼノの科学を応援できる……」
「……っそれは嬉しいね」
なまえは両手で自分の顔を覆った。ゼノは何をするわけでもなくただじっとそれを見ていた。昔の自分だったらハンカチを差し出すことくらい平気でやれていた気もする。と、意味のないことを考えていた。
なまえは女性陣に連れられて着替えに行った。いっぽうゼノはというと、さっそく鉄を使って超合金――ステンレスの製作に取り掛かっていた。
「いやいやゼノちゃん! もうちょいゆっくりしてもいいのよ? なまえちゃんと話したいこととかあるでしょ!?」
「気遣いは無用だよ、Mr.ゲン」
「……とか言っちゃって、ほんとは上手く話せないだけだったりして」
「それもあるね」
「えっ……ジーマーで? なんか協力できることあったらするよ?」
「何か思いついたら……そのときは頼むよ」
「え~……絶対頼まないやつじゃん」
「ふふ、察しのいい人間は好きだよ」
「それ後半だけなまえちゃんに言ってあげたらいいのに」
ゲンはひらひらと袖を揺らしながらクロムのもとへ歩いて行った。
しばらくするとなまえが白い布を抱えて歩いてきた。最初は何かわからなかったが、広げられたそれはコートの形をしていた。
「ゼノのコートは洗っているので、寒かったらこれをどうぞ……」
「ああ、君はそういうことを気にする人間だったね」
「にんげん……」
「……君は、そういうことを気にする子だったね」
不服そうだったから言い直したというのに、今度は顔を真っ赤にする。悪い気はしないが、こちらまで恥ずかしくなってしまう。
「……白衣みたいですね」
「ああ、少し懐かしいよ」
「バツも薄くなったし」
「バツ?」
彼女の指がトンと額に触れる。……やわらかい。ああヒビのことかと理解したのは遅れて数秒後だった。
なまえは顔を真っ赤にしたまま走り去った。あんな顔をしていて大丈夫だろうかと、まるで保護者のようなことを考えながらゼノは自身の額に指を当てた。だが、手袋越しではよくわからない。
ゼノのコートが返ってきたのは次の日のことだった。てっきり彼女が返しに来てくれるのかと思いきや、洗濯物としてまとめて返却される。もちろんそのほうが合理的だ。そしてそれを残念に思う自分に気付いて、ため息をつきたくなってしまう。
それから数日、なまえと話すことはなかった。避けていたわけじゃないが、ゼノは忙しく働いていた。なまえが何をしているのかまでは知らなかったが、おそらく彼女も彼女でせわしなく手を動かしているのだろう。
夜も更けそろそろ寝ようかと思っていたところ、研究室のドアがノックされる。返事をするとなまえが姿を現した。「眠れなくて」と言う彼女がいじらしくて仕方ない。だからつい、意地の悪いことを言ってしまったのだ。
「もうとっくに不眠症は治っているというのにかい?」
「え……」
また真っ赤になった顔が見たいと思ってのことだった。しかしゼノの想像とは反対に、彼女は顔を真っ青にする。
バタン、とドアが閉まって失敗したのだと気付く。慌ててドアを開けたが彼女はすでに遠くまで走って行ってしまっていた。
「すまない、僕が悪かった! だからどうか――!」
なまえはぴたりと動きを止め、くるりと振り返った。こちらに向かって歩いてくるのを見て安心していたら「夜なんだから大声出さないで」と叱られてしまう。
「おお、すまない……」
「いえ、私もごめんなさい。人の弱みに付け込むようなことして」
……ん? ゼノはなまえを見つめた。珍しく彼女が何を言っているのかわからない。人の弱み……?
「……すまないが、日本語で言ってもらってもいいかな」
彼女は日本語で先ほどとほぼ同じ意味のことを言った。英語が間違っていたわけではないようだ。
「……ゼノの優しさに付け込んで、一緒にいようとしました」
「……」
ゼノはなまえの手を引いて研究室の中に戻った。叱られた子供のようにおとなしくしている彼女は、何を勘違いしているのかずっとうつむいている。
「君、本気で僕が優しい人間だと思っているわけじゃあないだろう」
なまえは小さく頷いた。
「ふふ、失礼な子だ」
「……ルーナに聞いたんですけど、私のこと抱きしめたって」
「ああ、ようやくわかったよ。僕が君に惚れているという弱みに付け込もうとしたわけだ」
「え……いや、」
「それなのに夜更けにこんなところに一人でノコノコ出向いて……違うな」
また意地悪を言ってしまいそうだったことに気付き途中で訂正する。ゼノはなまえの両手をとって指先に唇を寄せた。
「君の不眠症が治ったのはよかったと思っているけど、君との時間が減るのは残念だよ。それにどうして治ったのかも興味があるな」
「あの、それは……たぶん、石になったときに寝ちゃったからだと思います」
「おや、そうだったのかい?」
「……最初は起きてたんですけど、助けは来ないし、それに船の上だったからきっともう海の中に沈んじゃってるだろうなと思って、このまま誰にも見つけてもらえないんだろうなって考えたら怖くなって」
「……心細い思いをさせたね」
なまえは首を振ってゼノの胸にぴたりと顔をくっつけた。
「起きたとき、ゼノが目の前にいたから嬉しかったんです。でも……スタンリーがいないと寂しいですね」
「……なまえ」
ゼノはなまえをきつく抱きしめた。彼女がスタンリーのことを悪く言わないのがどうしようもなく嬉しかったのだ。
しばらく抱き合っていると、しだいに彼女の身体が震えてきた。何かと思えばずっとつま先立ちをしていたらしい。ゼノはなまえの頬にそっと口づけして、身体を解放してやった。なまえは何か言いたげな目でゼノのことを見上げていた。
「そろそろ寝ようか」
「……はい」
「僕の部屋で少し待っていてくれるかい?」
「……はい?」
「僕の部屋の場所はわかるね?」
「……わかり、ますけど」
「十五分以内には戻るよ」
「え……あ、」
彼女が困っているのには気づいていた。だけど気付かないふりをした。どうあがいたってなまえを困らせたくなってしまう。彼女も厄介な男に捕まったものだ。ゼノはくすりと笑って研究室を後にした。