ハリネズミ05
移動を始めて三日目の夜。少しでも足を楽にしようとマッサージをしていたら、ぽつぽつと雨が降ってきた。寒いし、何より雨が続けば泥がぬかるんで歩きづらくなる。とは言えどうしようもない。少しでも暖かくなるよう身を丸めて、木の幹に寄りかかりながら目を閉じた。
翌朝になると雨は上がっていた。けれど立ち上がろうとした瞬間わかってしまった。風邪を引いた。これは言うべきなのだろうか。
もし逆の立場だったら言ってほしいと思う。拗らせたらそれこそ大変で、でも言ったところで薬もゆっくり休めるような環境もない。放っておいて治るなら、余計な心配をかける必要なんてないんじゃないか。
「ゼノ」
悩んだ末、私はゼノに声を掛けた。何かあったら報告、連絡、相談。社会人として染みついた感覚は3700年経っても抜けない。大きなトラブルになる恐れが一パーセントでもあるならと思うと、隠しておくことはできなかった。
まだ声を掛けただけだというのにゼノは目を真ん丸にした。「顔が真っ赤じゃないか」と。うん、これは言わなくてもバレていたやつだ。
「ごめんなさい、たぶん昨日の雨で……」
「いや、謝る必要はないよ。どうだろう、歩けそうかな」
「うん。無理だと思ったら言うので、いつも通り進んでもらって……」
「スタン」
げ、またスタンリー。いちおう和解(?)はしたけど、だからって仲良しというわけではない。ゼノが何か余計なことを言い出すんじゃないかと心配するのはこれで何度目だろう。
「体調が悪いそうだから、彼女のことを気にかけておいてくれるかな」
「了解」
……ごめんなさい、ゼノ。いたってまともな発言でした。
食べて荷物が少なくなったからというのもあって、私の荷物は他の全員が分けて持ってくれることになった。背中が軽いだけですごく歩きやすい。みんなの負担を増やしてしまったのは申し訳ないけど、予定はズレずにすみそうだ。
「……っはあ」
一時間は歩いたと思う。そして熱が上がってきているかもしれない。ゼノに言おうとしたけど、前を歩いているゼノに追いつくことすら辛かった。ちらりと後ろを見ればすぐにスタンリーと目が合う。まさかとは思うが、本当に私のことをずっと気にかけていたんじゃないだろうか。
早足で近づいてきたスタンリーはというと、軽々と私を横抱きにした。
「え、ちょっと!」
「あ?」
「……あなたに風邪が移ったら誰もあなたのこと運べないじゃない」
「俺はそんなヤワじゃないんでね」
「……」
「あんたが特別ヤワだって言ったわけじゃねえよ」
「……今日は優しいんだ」
頭上からため息が降ってくる。
違う。違う違う! ありがとうって言いたかったのに、なんで私はこんなことばっかり。どう声を掛けようかと悩んでいたら、前を歩いていたゼノが突然こちらに振り返る。
ゼノはまたも目を丸めた。そして満足そうに笑って、何も言うことなく前を向く。嘘でしょ。どうにかしてよこの空気。
「今日はおとなしいじゃん」
それはそうだ。だって風邪を引いてるんだから。
「いつもうるさいみたいな言い方」
「俺が止めるまでいっつもゼノと喋ってんの忘れた?」
「……混ざりたかった?」
もう私はゼノを責めることはできないかもしれない。つい口を出てしまう言葉は余計なことばかり。スタンリーが笑っていたのが幸いだ。……というかゼノ以外に対してスタンリーが笑っているのが今日一番の驚きだ。
「なんでそうなんよ。いいから寝てな」
「……いいの?」
「あんたと喋ってるほうが体力消耗する」
「うん……」
私はスタンリーに寄りかかって目を閉じた。険しい道を歩いているというのに振動は少ない。人を運ぶプロなのか。少しの振動は心地いいしスタンリーの体温が温かいしで、いつも地べたで寝ているよりよっぽど寝心地がいい。熱で頭がぼーっとしているのもあってか、私はすぐに眠りに落ちることができた。
次に目を覚ましたときは、私は土の上にいた。ちょうど休憩中らしく、周りにみんなも座っている。まだ日は高いから、もう少ししたら出発するだろう。さっきよりは体調もよくなっているし、歩けるだろうか。
立ち上がって確認しようとしたところ、隣から腕をグイと引かれる。何かと思えばスタンリーだ。……え、待ってそんなすぐ隣に?
「いたの!?」
「……体調は?」
「わりといい」
「ふーん?」
スタンリーはそう言って私の額に手を当てた。……こんなに距離が近い人だっけ。もうこれだけで体温が上がってしまいそうだ。
普通なにかしら「熱い」とか「熱はない」とか言いそうなものだけど、スタンリーは無言で水を差し出してきた。
受け取って、自分がかなり汗をかいていたことに気付く。首や背中はベタベタだ。こんな状態で運ばせてしまったのが申し訳ない。スタンリーのことだからあまり気にしていないような気もするけれど。
「ありがと」
「ドーイタシマシテ」
「……照れてる?」
「そりゃあんただろ」
「重くなかった?」
「別に」
くあ、とスタンリーはあくびを噛み殺した。
話しているうちに出発の時間になったようだ。私も立ち上がって少し動いてみる。……うん、大丈夫そうだ。頭も痛くない。
スタンリーは私をじっと見ていた。また私を抱えなくてはいけないのか気になっているのだろう。
「自分で歩けると思う」
「そりゃよかった」
ぐっすり寝たおかげか、後半戦は問題なく歩くことができた。ときどきゼノが振り返ってくるのは、私を心配してのことだと思いたい。
「ねえスタンリー、気付いてる?」
「あ?」
「なんだか最近、ゼノからの視線が生温かくて」
「ボケんのも大概にしなって言いてーとこだが同感だ」
「いつもボケてるみたいな言い方。……まあゼノには心配掛けたっていうのはあるかもしれないけど」
「……そういや石化前、三人で食事をしようだの言ってたな」
「ええ、それスタンリーにも言ってたの?」
「あんたにも言ってたのかよ……」
はあ、とため息が二人同時に被る。
「ここで目覚めてからはすごく気を使ってるって」
「俺も言われた」
「……あまり気にしないでね? ゼノはたぶん面白がってるだけだと思うから」
「はいはい。わかったから前むいて歩きな」
「はーい……あ!」
ずるりと足が滑る。そういえば昨日は雨が降ったんだった。服がべちゃべちゃになるのは嫌だなあと思っていたら、後ろから脇の下をすくい上げられた。そんなことができるのは私の後ろにいるスタンリーだけで、黙って歩いていなかった手前バツが悪い。
「どんくさ」
「……」
「……何か俺に言うことある?」
「手が若干きわどいところに当たって……」
スタンリーは勢いよく私から離れた。なんだその「何もしてませんけど?」みたいな顔。いや、彼が一ミリも悪くないのは事実だ。
「ごめんなさい……」
「……ハァ」
わざとらしくため息をついたスタンリーは、私の後ろ――つまり進行方向を指さした。
「置いてかれんぜ」
「あっ!」
私は今度こそ足元に気を付けてゼノたちを追った。後ろから「転ぶなよ」と半笑いの声が聞こえてくる。次にやらかしたら、きっと有無を言わさず抱えられてしまう。それだけはどうしても避けなければならなかった。