ハリネズミ08
丸三日かけて作ったガスマスクを背負い、私はスタンリーと水銀が出たらしいという洞窟まで来ていた。
お金を出して買ったものならまだしも、自作のガスマスクがどこまで信頼できるかという不安はあった。少しでも吸ったらいきなり死に至るというわけではないけれど、まともな医療機関もないこの世界で中毒症状なんて起こしてしまったら……。考えるだけでも恐ろしい。
「スタンリー、何分くらいなら息を止められる?」
「……何のために三日もかけてマスク作ったって?」
「だって、もしものことがあったら……」
スタンリーはため息をついた。きっと呆れているのだろう。
「私が行くから、あなたはここで待ってて」
「んなわけには行かねえだろ」
「だって!」
「鼻息荒くしてたら助かるもんも助かんねえぜ。呼吸量がどうのってゼノが言ってたろ」
「……べつに荒くないですけど?」
これ以上言い合っても仕方ない。私は意を決して洞窟に入った。前に掘ったというところにつるはしを当ててみる。今のところ水銀らしき液体は出てきていない。
無駄に酸素を消費すればするほど命は危険に晒される。私たちは無言でひたすら洞窟を掘った。
ちょんと腕をつつかれ振り返ってみると、スタンリーの持つガラス容器の半分程度、水銀が溜まっていた。けっこうな量があるけれど、まだ足りない。私が首を振ると、スタンリーは再びつるはしを振り上げた。
掘り進めていると、ようやく私も当たりに行きついた。チロチロと流れてくる水銀をこぼさないように容器に入れる。さっきスタンリーが見せてきた分と合わせたら必要量には達するだろう。
彼の背中を叩いたら結構いい音がした。強く叩きすぎたのかもしれないけれど、急いでいたから許してほしい。
私が出口を指差すと、スタンリーは軽く頷いた。こういうとき、察しがいいのは本当に助かる。
さすが軍人。スタンリーの撤収が速すぎて、こんなときでも感心しそうになる。私も遅れて洞窟の外に出た。今のところ体はなんともないし、マスクが効いたのだと思いたい。
洞窟から遠ざかってガスマスクを外すと、空気がやけにおいしく感じた。
「気分が悪くなったりとかしてない?」
「何ともねえよ。……あんた、もうちょい自分のこと信用したら」
「……行く前に言ってよ」
「俺は信じてないかんね。息してねえし」
「……はあ? まさかずっと息止めてたの?」
少なく見積もっても十分は洞窟の中にいたはずだ。普通の人間なら頑張って三分。訓練した軍人なら息を止めて十分なんて、朝飯前だったりするのだろうか。
あれだけ言って信用されてないことに文句を言うべきか、それとも万一のときに備えてくれていたと感謝すべきなのか。文句を言いかけては寸前のところで飲み込む。そんなことを繰り返していたら、スタンリーがニヤリと笑った。
「嘘だよ。マスク、ちゃんと機能してたぜ」
「……ケンカ売ってんの?」
「褒めてんじゃん」
「もっと普通に褒めて」
「あー、ライトが完成したらな」
「何それ」
これじゃあ私が褒められたくてたまらないみたいだ。ムッとしていたら、背中が急に軽くなる。重くて仕方がなかった炭入りのビンをスタンリーが持ち上げてくれたのだ。これは許すしかない。
拠点に戻ってさっそく電球を作りたいところだが、肝心の本体や真空管ポンプはブロディ頼みだ。設計図を渡したところ「片手間にこんなもん作らせるんじゃねえ」と彼は笑っていた。それをクリアしたとしても、フィラメントの問題がまだ解決していない。
ここが日本ならエジソンよろしく竹を使ってどうにかするところだけど、確か北米に竹はほとんど生えていないという話だ。竹のフィラメントに辿り着く前、エジソンが木綿糸を使っていたという話は知っている。だけど木綿の収穫は夏だ。あと二、三カ月も待てば試せることは試せるだろうけど、できるなら早いほうがいい。
そして私はゼノに泣きついた。二度目だけど全然恥ずかしくはない。
「一応ね、夏になったら木綿糸を炭化させてみようとは思ってるんだけど、他にいい素材とか知らない?」
「ここが君の故郷ならよかったんだろうけれどね。探すしかないんじゃないか、タングステンを」
「……やっぱりそうなる?」
耐熱性として最高の強度を誇るタングステン。ゼノの口から出てきたそれは、おそらくこの先も必要となってくる。ただそのほとんどが中国産であり、アメリカの――しかもこの付近に限って掘り当てることができるのだろうか。旧世界で使っていたものが風化して地表近くに眠っているなんてこと、あり得るのかどうかもわからない。
「だが鉱山に眠っているとして、タングステンを掘り当てるための明かりは必要だ。一時間でも三十分でもいいから、フィラメントとして使える素材を探すしかないね。木でも植物でも、とにかく一度高温で炭化して試していくしかない」
「わあ……」
「ところでもう一つ確認しておくが、バッテリーのアテはあるのかい?」
ゼノは痛いところをついてくる。たとえ電球ができたとして、それを洞窟に持ち込むためにはバッテリーが必要だ。拠点付近で使うだけなら配線でどうにかなるが、私に求められているのは携帯できるライトなのだ。
電池という方法も考えたが、消耗が激しすぎて実用的ではない。おそらく銅が枯渇する。それなら洞窟まで線を引っ張るほうがまだ現実的だ。
「バッテリー……硫酸?」
「ちょうどガスマスクを作ったばかりじゃないか」
「え、採ってこいってこと?」
「ここから北へ行った辺りに火山があるはずだよ」
「いやいやいや……ちなみに水車ってあとどのくらいで完成するの?」
「あと一週間もあれば完成するよ。君たちがこれ以上Dr.ブロディに頼みごとをしなければの話だが」
「……行ってきます」
「準備をおろそかにしないようにね。銀のお守りくらいなら作っておくよ」
「ありがと~……」
とにかくスタンリーに報告しなければならない。だが、足がものすごく重い。硫酸地帯の調査で亡くなった人もいるのは有名な話だ。だけど硫酸の必要性もわかるから嫌だとは言えない。
「何? すっげー暗いじゃん」
「硫酸を探しに行くことになりました。下手したら死にます」
「アテは?」
死にます、のところだけ聞こえなかったとかあるのだろうか。スタンリーがあまりに平然としているから、大丈夫なんじゃないかと錯覚しそうになる。
「火山とか温泉とか……ゼノは北だって」
「あー……ラッセン火山? わりと距離あんな」
「ラッセン火山……名前は聞いたことあるかも」
「観光名所だろ。まあ今はどうなってんのか知らねえけど」
「……キレイなままだといいなあ」
半分は現実逃避だった。このフワッとした気持ちのまま出発するしかない。もちろん準備はするけれど。
必須なのはガスマスクとガスを探知するための銀、それからガラスビンだ。水銀のときと違って数日かけて行かなければならないから、食料も少しは持っていくべきだろう。それだけで荷物がいっぱいになってしまいそうだ。
出発の日の朝、ゼノが見送りにきてくれた。先端に銀を塗装した長い棒を渡される。これが黒く変色したらすぐさまマスクをつけなければならない。お守りとは言い得て妙だ。
「二人で大丈夫かい?」
「うん。荷物的にもう一人欲しい気もするけど、マスクは二つしかないし、今からもう一つ作るのも時間がかかるから」
「くれぐれも気をつけてくれよ」
ゼノがあれこれと注意事項を上げていく。最初は私もスタンリーもまじめに聞いていた。だけど、途中で面倒になったのかスタンリーが話を遮る。
「わかったからあんたは仕事に戻りな」
「……全く、君はこれだから」
なおも口を動かすゼノを前に、腕を引かれる。本気でびっくりした。五歩くらい歩いたところですぐ手は離れたけど、スタンリーがまさかこんなことをするなんて思わないじゃないか。
スタンリーはさして気にした様子もなく歩いている。置いて行かれないよう早歩きをしていたら、あやうく彼を追い越してしまいそうになった。
「……ペース速くね?」
「あなたの歩幅的に、このくらいかと思って……」
「俺に合わせてたらすぐバテんぜ」
「君のペースでいいんだよ、くらい言えばいいのに」
「あんたのペースでドーゾ」
「……ドーモ!」
それなら私のペースで行かせてもらおう。といっても先行しているのはスタンリーで、ゆっくり歩いてくれているのが嫌でも伝わってきていた。必要だからやっているのだとわかっていても、たまに後ろを振り返ってくれるのが嬉しい。
一日目は何事もなく終わった。ずっと二人きりというのは慣れないけれど、スタンリーは無駄口を叩くタイプじゃないから淡々としていられる。
そして二日目。運の悪いことに、ここにきて初めての肉食動物に遭遇してしまった。
ソレに気付いたのはスタンリーだった。彼はまっさきに私の腰を抱えて木の上に避難させた。抱えられた瞬間は何が起きたのかよくわからなくて彼のことをひっぱたきそうになったけれど、すぐにタダごとではないと気付いて沈黙する。スタンリーは私を避難させたあと、腕を大きく振り上げた。
草むらがガサガサと揺れる。ライオンらしき動物をみつけて息が止まった。スタンリーはまだ地上にいる。でも何をしたらいいのか、何をしたらいけないのかもわからない。私はただじっとスタンリーを見守ることしかできなかった。
ライオンは明らかにスタンリーを見ていた。スタンリーは直立のまま腕だけを横へ上へと動かしている。威嚇なのかもしれない。見ている私としては気が気じゃないけれど、きっと彼のほうが恐ろしい思いをしているだろう。私を木の上に逃がしてくれたのだって、一瞬の判断だったはずだ。
もしスタンリーが襲われるようなことがあったら、道具を全部投げつけてやろう。私が腰のナイフに手をかけたそのとき、ライオンが動いた。
ライオンはスタンリーに襲い掛かることなく逃げて行った。全身から力が抜けていくのを感じた。
それでもまだ声を出していいものかわからない。じっとスタンリーを見ていたら、彼もこちらを向いた。
「泣いてんの?」
「……だって」
あなたが死ぬかと思った。嗚咽のせいで言葉が上手くでてこない。
「降りれそう?」
私が首を横に振るとスタンリーは笑った。さっきまでライオンと向かい合っていたくせに、暢気なものだ。
「とりあえず荷物下ろしな」
「……ん」
ガスマスクなど、衝撃で壊れそうなものをスタンリーに手渡す。すべて地面に避難させたところで、スタンリーは私にむかって両手を伸ばした。
私は目を閉じて飛び降りた。衝撃として痛かったは痛かったけれど、スタンリーがきちんと受け止めてくれたおかげで怪我はない。
「目ェ閉じたら逆に怖いだろ」
「なんでそんな普通にしていられるの?」
「さっきのマウンテンライオン、人は滅多に襲わねえの」
「……そうなの?」
ん、とスタンリーは頷いた。心なしかいつもより優しい気がする。そう思っていたら、
「歩ける?」
すごく気遣ってくるじゃないか。やっぱり優しくなった。勘違いなんかじゃない。
……なんで。もしかして泣いたから? でも相手はスタンリー・スナイダーだ。彼は女が泣こうが眉一つ動かさない男である。
歩けない、と甘えてみたい気持ちは一割くらいあった。スタンリーがどう出るかという意味での興味だ。でもさすがにできない。私はコクコクと頷いて拳で涙をぬぐった。スタンリーが歩き出して、私も後ろから追いかける。