ハリネズミ10

 硫酸ばかりかタングステンまでみつけて、ライト完成まであと少し。浮かれながら帰り道を歩いていたら、突然の豪雨に見舞われる。通り雨かと近くの洞穴に逃げ込んで、しかしいっこうに雨が止む気配がない。
 早く戻りたいところだけど、採ってきた素材を死守しなければ意味がないので、私たちは天候が回復するのを待った。
「あー……早くゼノに自慢したかったのに」
「ゼノは逃げねえよ」
「うん……」
 空を見上げながら両手をこすり合わせる。身体が濡れて寒いのだ。
 火を起こせたらよかったが、この雨のせいで乾燥した木なんて見つかりそうにない。前に雨で風邪を引いたことを思い出すと、嫌な予感しかしなかった。
「寒くない?」
「寒ィな」
「……そっち行ってもいい?」
「……ああ、」
 いいのか悪いのか微妙なところだったけど、私はスタンリーの隣に行った。しかし腕が触れる程度の距離に座ってしまったため、温かくもなんともない。むしろ濡れた部分が中途半端に触れて冷たい。やらなければよかったと思うほどだ。
 スッと横にずれて距離を空けると、スタンリーの伏せられた目が私を捕える。気付いたら私は言い訳を並べていた。
「思ったほど温かくならなかったっていうか……むしろヒヤッとしてて余計寒いかなって」
「遠慮もなんもねえな」
「……ごめん」
 私はそそくさと元の位置に戻った。呆れたような目が私に向けられている。隣にいても気まずいし、向かい合って座っても気まずいってなんだ。

「スタンリーはさ、石になってるとき何考えてた?」
「……あんたは?」
あ、教えてくれないんだ。でも「あんたに関係ない」とかじゃないだけまだマシなのかもしれない。
「私は起きたらどすればいいかなって考えてたけど、途中で諦めたときもあったかな」
例えば石化から十年後に想定していたことなんて、百年も経てば役に立たなくなる。それから千年経ったら後はそんなに大差なくて、もともと自分のしていた研究について考えたりもしていた。くじけそうになったときはこう思うのだ。私は無限に考えられる時間を得たと。
「わかんねえな、科学者のメンタル」
「私はそこまで。ゼノのほうがずっと楽しそうにしてる」
「かもな」
「スタンリーは? 楽しい?」
「それなりに。今は何もねえけどゼノが全部作るってわかってるかんね」
「なにか作ってほしいものがあるとか?」
「タバコ」
「……ああ」
前にゼノがタバコを毒ガス呼ばわりしていたことを思い出す。はたしてゼノが作るだろうか。頼まれれば張り切って作ってくれるかもしれない。ただスタンリーは現時点で頼んでいないし頼むつもりもないと言う。……じゃあどうして私に言った。私がゼノに伝えることをスタンリーは期待していないとは思うけど、聞きっぱなしというのも歯がゆい。
「……それは、ゼノなら頼まなくても作ってくれるだろうってこと?」
「さあ」
「ちなみに私は材料も作り方も全然わかんないから」
「一ミリも期待してねえから安心しな」
「あっそう」
 ぶっきらぼうに言った勢いのまま、私は膝を抱えて丸くなった。どうせすることもないし寝てしまおう。食べ物を探しに行くこともできないから省エネ万歳だ。
 ざあざあと雨の音が耳に響く。目を瞑ると、一人ぼっちになったような気がした。寒くてとても眠れやしない。
「俺もそっち行っていい?」
 なんだかとんでもないことを言われた気がしてガバッと頭を上げる。スタンリーはいつも通りの表情だった。照れているとかそんなことは一切なく、ただ効率的に暖を取ろうと言いたいのだろう。
「……いいよ」
 さっきの私よりも、スタンリーはぴたりとくっついてきた。最初はお互いの濡れた服が肌にひっついて少し気持ち悪かった。けれど、次第に熱を感じるようになる。それだけならよかったのに、自分が別の理由で熱くなっている気がして、どうすればいいのかわからなくなってしまった。
「体ガチガチじゃん」
「……寒くて」
「ああ、寒いかんね」
からかわれているのだろうか。そうだとしたら悔しい。そもそもこうやって意識しているのがすでにダメな気がする。何をしても勝てないなら、もう寝てしまおうじゃないか。
「寝る」
「寝れんの?」
無視だ無視。私は全体重を乗せる勢いでスタンリーに寄りかかった。この際「重い」とか「痛い」でもいいから少しは動揺しろ。すると今度は肩を抱きよせられて本当に意味がわからない。

 結論から言うと私は寝た。いつもみたいに途中で目覚めることなく朝までぐっすりだった。すでに雨は上がっていて、地面はぬかるんでいるけど歩けないほどではない。ずっと同じ体勢でいたから体はバキバキだ。しかし立ち上がろうとして、肩に回された腕の存在を思い出してしまう。そして見てしまった。至近距離で彼の顔を。
――いやいやいや。
 悲鳴を上げなかっただけでも偉い。どうにか逃げ出そうとしたが、スタンリーの腕はがっちりと私を捕えている。
「起きてよ! 雨止んでる!」
 私は自分の膝を見ながら叫んだ。情けないことこの上ない。
 スタンリーの気だるげな声とともに私は解放された。

「絶対起きてたでしょ」
「いま起きた」
「軍人がそんなことでいいの?」
「休めるときに休むのがプロだろ」
「ご立派ですこと」
「で、まだ出発しねえの?」
「……する。ごめんなさい」
……またやってしまった。恥ずかしさに蓋をしながら立ち上がる。もういい加減スタンリーに突っかかるのはやめにしたい。だけど視界のすみっこで、スタンリーはなぜか目を細めて笑っていた。

 それからは大きなトラブルもなく無事に帰ることができた。二週間にも満たない期間だったが、遠目に見た拠点は明らかに進化している。
 私はスタンリーの腕を掴んで揺さぶった。
「ねえ、あれ畑じゃない?」
「畑だな」
 住居のすぐそば、きちんと区画分けされた土地が耕されている。風にゆらゆらと緑が揺れていて、目覚めてからもう数カ月が経ったのだと実感した。あれがトウモロコシだとしたら、小指ほどしかなかった芽が遠くからでもはっきり見えるほど成長しているということだ。
「せっかくゼノにいろいろ見せびらかそうと思ってたのに、なにこの先を越された感じ」
「見せびらかしてやりゃいいじゃん」
「……それもそうね!」
子供のように走り出そうとした私にスタンリーがストップをかける。
「硫酸こぼして泣くぜ」
「……確かにそれは泣く」
「ゼノは逃げねえって言ったろ」
「はい……」
私たちはゆっくり最後の坂を下りた。まずは畑の世話をしていたカルロスとマックスに手を振る。続いてマヤとシャーロットにただいまを言って、ゼノとブロディが製鉄炉にいることを教えてもらった。
 ブロディのすぐそばには電球の形をしたガラスがいくつも並べられていた。真空管ポンプもきっちり完成している。製鉄炉は水車が完成したおかげで無事に人力からは解放されたみたいだ。
「ゼノ、ブロディ! ただいま!」
 ゼノたちに後ろから声をかけると、二人とも勢いよく振り返ってくれた。
 さっそく私は成果を披露した。硫酸、硫黄まではゼノも満足そうに頷いていたが、タングステン――灰重石にはさすがのゼノも驚いたようだ。思った通りの反応をもらえて嬉しい。だけどゼノはすぐに「すまない」と表情を暗くする。
「タングステンを溶かすほどの火力はまだ確保できていないんだ」
「ゼノならすぐだよ」
「すまないと言ったばかりだが、僕は銅やガラスが溶ける程度の火力の約束しかしていないはずだよ」
「……えっ、それも私?」
「冗談さ。アテはあるからなんとかしよう」
「ありがとう、お願いね」
「明日の朝までには完成させておくよ。それはそうと、二人とも疲れているだろうから今日はゆっくり休んでくれ」
ゼノの言葉にしっかりと頷いた私たちは、久しぶりの家へ戻ることにした。スタンリーが私の家と別方向に歩き出したのを見て、ああそうかと思い出す。私たちはずっと一緒なわけじゃない。当たり前のことだけれど、今は違和感がある。寂しい、と思っている自分に気付いて慌てて首を振った。振り向きもせずにずんずん歩いている彼は、寂しいなんて思っていないか、よほど疲れているかのどちらかだろう。……いや、両方かもしれない。

 次の日、約束通りゼノは火力をパワーアップさせていた。そして無事に電球が点灯する。これでひとまず終わりだ。不本意ながらも私に協力してくれた彼に、お礼くらいは言っておかなければならないだろう。
「スタンリー、いろいろ手伝ってくれてありがとう」
「別に」
「……感動してる?」
「そりゃあんただろ」
スタンリーの指が私の目元をすくった。それだけなら「やっぱりカッコイイな」で終わっていたのに、彼は濡れた指を私に見せつけてくる。最悪だ。
 それがスイッチになったのか、目から勝手に涙がぽろぽろとこぼれてくるようになった。だって、いつまでも消えない明かりをみていたら感動するのが普通じゃないか。私は両手で顔を覆って鼻を啜った。「めでたいね」と言う彼に、私は頷くことしかできなかった。