ハリネズミ13

 ゼノのメモのおかげでマッチ作りは順調だった。技術的、素材的な問題はほぼないといってもいい、それでも苦労するのが、マッチの持ち手部分の製作だった。
 スタンリーは一日に何本タバコを吸うのだろう。五本だとしてマッチも五本。一カ月で……百五十? 細かく木を切るのはもちろん手作業で、私は器用なほうでないからとても時間がかかる。それなのに使うのは一瞬……あ、すごく嫌になってきた。
 とりあえず三十本。本当はもうちょっと作るつもりだったけど、タバコはすでに出来上がっているだろうしあまりゼノを待たせたくない。
 ゼノの家に行くと、ゼノは大きめの機械をいじっていた。線を踏まないように近づくと、それが音を出す類のものであることがわかる。
「ゼノ、マッチ三十本できたけど……少ない?」
「おお、思ったより早かったね。三十本もあれば十分さ。なにせ僕はタバコ一箱……つまり二十本しか作っていない」
 ゼノは無邪気に笑って椅子の背にもたれた。作ったばかりの爪のアタッチメントで机をトントンと叩いている。手袋はまだ理解できるけど、この爪先は何なのだろう。見るからに邪魔でしかないけれど、ゼノは器用にそれを使いこなしていた。食事用、製図用といろいろ種類はあるらしい。まあ本人が使いやすければ私としては構わないのだが。
「一本吸ってみるかい?」
「いらない……。っていうか吸ったら一箱に足りなくなるじゃない」
「気付きやしないさ」
「絶対気付くと思う……。でも私としてはマッチの成果を見てほしいかな」
「ああ、それなら少し待ってくれ」
ゼノは立ち上がってわざわざ私を椅子に座らせた。この家に椅子は一つしかないから必然的に彼がベッドに座ることになる。私は机の上に置かれた謎の機械と向かい合わせになった。機械からはザーザーという雑音と、それからトントンと何かを叩くような音が聞こえている。
「これ何?」
「通信機だよ」
「もう完成してるの?」
「ほとんどね。たった今テストをしていたところさ」
「え……?」
そう言われてしまうと、通信機のむこうからの音が何らかの意味を持っているように聞こえる。……あ、これもしかして。
「モールス信号? 私わからないんだけど……何か言ってるんじゃないの?」
「どういうことだ答えろ、と言っているね」
「何が!?」
私は椅子から飛び退いてベッドに座るゼノの腕を引っぱった。早く返事して、と言っても彼は大丈夫だと笑うばかりで話にならない。
 そしてバン! と家のドアが開かれた。スタンリーが眉間にシワを寄せて立っている。背中には大きな機械を背負っていて、通信の相手が彼だったことを示していた。
「で、緊急事態って?」
スタンリーの冷ややかな視線が私とゼノに注がれた。いや、私は関係ないはずだ。掴んだままのゼノの腕をゆすってどうにかしてくれと訴える。
 スタンリーがつかつかと歩いて来て、私とゼノの間を割るようにどすんと座った。怖すぎて私は椅子の上に避難した。ゼノ、早く何か言ってよ!
「渡したいものがあったんだ」
 ゼノはタバコを取り出してスタンリーの膝の上に置いた。スタンリーはタバコを凝視したまま固まっている。スタンリーのこんな顔、初めて見た。
「君もほら、早く」
「うん……」
 私はサッと椅子から降りてタバコの隣にマッチ箱を置いた。そしてまた椅子の上に戻る。
 スタンリーは慎重な手つきでタバコの箱を開いた。そして一言
「吸っていい?」
もちろんとゼノは頷いた。ただやっぱり家の中では吸ってほしくないみたいで、外へと誘導している。私も流れで彼らについて行った。
 外へ出るとすでにスタンリーはタバコを吸っていた。いくらなんでも速すぎる。だけど、彼の吐いた煙を見ているとなぜかなつかしい気持ちになった。
「サンキュ、ゼノ。……それから、あんたも」
「え……うん。どういたしまして」
……スタンリーが笑っている。すごく普通に笑っている。もはや恐ろしいとしか言いようがないタバコの効果。頭でそんなことを考えてみたけど、スタンリーの笑顔の破壊力がすごすぎてまともに脳が動かない。
「なにぼけっとしてんの」
「……いや、その」
笑顔がすてきで見惚れてましたなんて言えるわけもなく。私はぐいと顔を背けた。
「……お腹が空いたので、何か食べてきます!」
それからはもう、一目散に走った。もちろんお腹が空いているというのは嘘で、手ぶらのまま家へ帰る。ところがその途中、ルーナに会ってしまって無視もできず私は足を止めた。
 一言だけ声をかけるつもりが、ルーナは私の顔を見て目を真ん丸にした。
「どうしたの? 顔真っ赤」
「……そんな赤い?」
「すっごく赤い」
ルーナはにやりと笑って詰め寄ってきた。あ、これは勘付かれている。十歳くらい年下の女の子に気付かれちゃうくらいわかりやすいって大丈夫か私。
「誰?」
ほら、いきなり核心をついてくる。若い女の子って怖い。私はただ無言で首を振った。
「ふーん……? まあ大体わかるけど?」
「えっ」
「頑張って。応援してる」
ルーナは私の肩をぽんと叩いて行ってしまった。
 両手で頬を触るとこれでもかというくらい熱くなっている。これ以上ほかの人に見られたらたまったものじゃない。早く家に帰らなければ。
 運がよかったのかはわからないけど、ルーナ以外の人に出くわすことなく家に到着した。扉を閉めた瞬間、足の力が抜けてへなへなとその場に座り込んでしまう。頭の中に思い浮かぶのは、私に向けられた彼の笑顔だ。
 無理。もう無理。だってあれは反則。前からうすうすそんな気はしていたけど、認めよう。

 私は性懲りもなくスタンリー・スナイダーを好きになってしまった。

 好き、と頭の中で言った途端に体が熱くなった。でも同時に馬鹿だなと思う自分もいる。私はあのときに比べて何か成長しているだろうか。していなければきっと同じ結果が待っている。それなら好きなんて言わないほうがマシじゃないか。……ああ、でも結局あのときも好きだとは言っていない。
 なんだか昔のことを思い出して悲しくなってしまった。今日はもう寝てしまおう。
 決して寝心地のいいとはいえないベッドにダイブすると、硬くてちょっと痛かった。
 目を閉じた私の頭には、笑顔のスタンリーと子供のころの一番怖いスタンリーが交互に浮かんだ。今さらだけど全然吹っ切れてないんだなと思った。謝ってくれたスタンリーにこれ以上どうこう言うつもりはないし、私としても早く忘れてしまいたいところなのに、やっぱり思い出してしまう。でも、これは建前だ。自分のことだからよくわかる。
 上手くいく自信がないから言い訳にしてるだけ。何かと理由をつけて逃げようとしている。結局はスタンリーに好きになってもらう自信がなくて、告白する勇気もないということだ。

 一晩寝た私の気持ちは驚くほどすっきりしていた。昨日はぐずぐずとベッドの中で悩んでしまったけど、寝て回復するなんて実に単純な頭をしている。
 顔を洗いに川まで行くと、ちょうどそこにはゼノがいた。
「ゼノ、おはよう」
「……ああ君か、おはよう」
「あれからスタンリー、何本タバコ吸った?」
「三本目に手を伸ばしたところで止めたよ。気になるなら君も見張っておけばよかったのに」
「そうだね」
ゼノの隣に並んで顔にばしゃっと水をかける。他の人だったら躊躇していたかもしれないが、ゼノなら見られてもいいかと思ってしまう。ゼノもゼノで私が顔を洗ったところでたぶん何も気にしていない。
「……何か心境の変化でも?」
「え?」
「昨日とはまるで別人だ……なんと言ったらいいか、吹っ切れたように見える」
「確かにそうかもしれない」
「……吹っ切れてしまったのかい?」
「どうしてゼノが慌てるの」
なんだかおかしくなって笑ってしまった。ゼノは不満がありますとでも言いたげな表情だ。
「自分のこと、許そうと思って」
ゼノは首をかしげた。確かに説明が足りなかったという自覚はある。でもあまり詳しく言いたくもないし、どうしたものか。
 一晩寝て思ったのが「私は悪くない」だった。子供の私は「みんなが好きなスタンリー」が好きだったけど、今は違う。……顔が好みだというのに変わりはないけど、好きになったのはここで過ごした積み重ねがあってのことだ。だから悪くない。泣く必要なんてない。
 それともう一つ、あのときの自分を許すことにした。だからって忘れはしないし反省もしている。ただ「もう悩まなくていいよ」と自分に言い聞かせることにしたのだ。
「……スタンリーのことは好きだよ。今まではそれが悪いことだって思ってたけど、そんなことなくない? みたいな」
「おお、エレガントな気付きだね」
「ありがと」
「しかしそれを先に僕に言ってしまってよかったのか? スタンにはまだ伝えていないだろう?」
「うん。本人にわざわざ言うつもりはないし」
「……なんだって?」
信じられない、とゼノが詰め寄ってくる。
「なら僕から伝えさせてもらってもいいだろうか」
「ダメに決まってる! 何言ってんの!」
「しかし――「朝からキャンキャンうるせえな」
びくりと体がこわばった。振り返るとやっぱりそこにはスタンリーがいて、今の会話を聞かれていないかと肝が冷える。
「やあスタン、おはよう」
「あんたらほんと仲いいな」
絶対に言うな、と念をこめてゼノを睨む。やれやれ、とわざとらしい表情でゼノは頷いた。
「今のは……言い合いしてただけ。ちょっと道徳的な意見の相違があって……ねえ?」
「まあそんなところだ」
「ゼノにんなもん求めるほうが疲れるぜ」
「でも言わずにはいられなかったというか……」
「あんたも頑固だよな」
「……ところでスタンリー、あと何本タバコ残ってる?」
「あー……九?」
私とゼノは目を見合わせた。もう半分以上吸ったのかと、たぶん考えていることは同じだ。
「僕はしばらく作るつもりはないから、あと一週間はそれで我慢してくれ」
「はあ? 一週間? 死ぬって」
「3700年も禁煙していたんだ。君ならできるさ」
話は終わりだと言わんばかりにゼノは歩いて行ってしまった。ちょっと、こんなところに残していかないで。
「……頑張って」
 一瞬、睨まれたような気がしたけど私は見ないふりを決め込んだ。そうして私もそそくさと仕事に取り掛かったわけだけど、その日の午後にもう一度スタンリーと顔を合わせる機会があった。そのときの彼はタバコに火をつけないまま咥えていて、ああゼノの言いつけを守るつもりなんだと感心したのだ。
 だけどその五日後、家に思わぬ来訪者があらわれる。
「ね、タバコ作ってよ」
普段の彼からしたら「甘えている」という言葉がぴったりの態度だった。まさか私に好かれている自覚でもあるのだろうか。もしそうだとしたらとんでもない男だ。だけど私にはすごく効く。
「……か、かわいく言ったって無駄! っていうか作り方知らないし!」
「かわいくは言ってねえよ」
「<一ミリも期待してねえから安心しな!>」
「悪かったって」
「……まあ、ゼノに頼むくらいなら」
「マジで、サンキュ」
こうして私は彼と一緒にゼノのところまで行くことになった。
 ゼノはまるで予想していたかのようにタバコを一箱差し出す。ゼノはため息をついているけど、最初から渡す気はあったみたいだ。私いなくてもよかったな、と思いながらタバコに火をつけるスタンリーを眺める。そして数秒後、上機嫌の彼と目が合って、私は一緒に来たことを後悔する。