ハリネズミ14

 一時はどうなることかと思ったけれど、私は比較的ハッピーな毎日を過ごしていた。だって好きな人にほぼ毎日会える。と、まるで学生のように恋を楽しむことにしたのだ。もしスタンリーに恋人ができたら少し……いやかなりショックは受けると思うけど、そのときはそのときだ。私もそうなりたいという気持ちがまったくないわけじゃない。でも、ぶつかって傷つくくらいならこの程度の距離がちょうどいい。……そう思っていたはずなのに、なぜこんなことに。

 触れたくちびるは冷たいのに、それ以外の場所がじんじんと熱い。スタンリーとキスしてしまった。というかされた。なんで、どうして。

 その日はシンデレラ城あらためゼノ城が完成して、みんな浮かれていた。夜には肉を食べて、お酒を飲んで、ちょっとしたパーティだった。
 でも、酔っていたといってもそこまでじゃない。
 最初はみんなで話していて、いつのまにかスタンリーと二人になっていた。ゼノの話をしたことは覚えている。だけど次第に言葉が少なくなっていって、スタンリーの目がどんどん近づいてきた。それで目を閉じたら……あ、これ私のせいでは?
 そして今に至る。完全に酔いが覚めてしまった。これからどうすればいいんだ。
 スタンリーもそこまで酔っているようには見えないけど、単に顔に出ないタイプなんだろうか。だって素面だったらぜったいこんなことしない。今も彼からの視線を感じているけど、正直目を合わせるのが怖い。
「……酔ってる?」
「そこまで」
いやどっちだ。酔ってる人に「酔ってる?」なんて聞いても意味がないことを今さら思い出した。
 今日はまともに話なんてできそうにない、というのが私の出した結論だ。とにかく時間を置いて……でも話すって何を? と思わなくもない。
 酔ったから部屋に戻る、と言い訳をして立ち上がる。……うん、ちゃんと足元はしっかりしている。
「送る」
「え……ていうか、すぐそこだけど」
 城には全員分の部屋があって、午前のうちに荷物も移動している。だからもう今まで住んでいた家に帰ることはないし、同じ建物の中だから送るなんてことも基本的には必要ない。
「送りてーの」
ああこれ絶対酔ってる。面白いから明日ゼノに証言させよう。だけどゼノはよそを向いていて緊急事態にちっとも気付いてくれやしない。
 一分もかからない道を歩く中で、私の頭にはもう一つ別のことが思い浮かんでいた。送り狼……むしろ部屋に上げたほうがいい? いや上げてどうする!? 私、やっぱり酔っているかもしれない。
 そして私を部屋まで送り届けたスタンリーはあっさり帰っていった。変なこと言わなくてよかった。

 ただ問題は次の日だ。当然スタンリーも私も酔っていないはずで、そしたらどうすればいいのだろう。キスのことに触れるか触れないか。度胸のない私が選ぶのはやっぱり触れないという選択肢だった。
 すごく会いたいというわけじゃないけど、そういう日に限ってなかなかスタンリーと顔を合わせる機会がなかった。午前中は畑仕事と牛の世話をして、午後からはゼノを手伝うことになっている。ゼノと一緒にいるかと思いきや、いない。
「あの」
 作業の手を止めないまま私は切り出した。ゼノもまた、手を止めずに私のほうを見た。
「……昨日、見てた?」
「君たちがキスをしていたところなら見たよ」
「……はい」
「ついでにスタンが君を送っていったところも見た」
「……はい」
「よかったじゃないか」
「いや……え、よかったの?」
「僕に聞かないでくれ」
それもそうだ。私は手元に視線を戻した。
「……酔ってたのかなと思って」
「そこまでアルコールに弱い印象はないな」
なんだろう、ゼノがとても頼もしい。頼もしすぎて彼が本来、私よりスタンリーの味方であるだろうことを忘れそうになる。

 今日の仕事を終え研究室を出ると、ちょうどスタンリーと鉢合わせになった。さあどうする、と考えるより先にスタンリーの手が頬に伸びてくる。
 どうも頬に張り付いていた髪をのけてくれたらしい。突然すぎて頭がついていかない。もしかしてそういう感じなのか。喜んじゃってもいいのだろうか。
「ゼノいる?」
「あ、うん。まだ中に」
「まだ終わりそうにねーの?」
「もうすぐ出てくると思う」
「……中で待つか」
 スタンリーはノックもせずガチャリとドアを開けて研究室に入っていった。
 それだけか、と思ってしまった。つまりまだ何かを期待していたということだ。では何を。例えばゼノじゃなくて私に用があった、とか。
 キスさえなければ小さな幸せを感じていられたのに、一度欲が出るともう止められない。どうして報われたいと思ってしまうのだろう。
 私は設置途中のシャワー室へ向かった。手を動かしていなければ余計なことを考えてしまいそうだった。
 シャワーの仕組みは簡単で、川から引っ張ってきた水を温めて流すというものだ。しかしぴたりと狙った温度のお湯を出すというのは難しく、そこそこ熱くなったお湯に水を混ぜて調整するという方式になっている。熱は製鉄炉から流用できるようゼノが設計してくれた。レバーとノズルの製作はブロディ。では私が何をしたかというと、川からシャワー室まで水を引くポンプの調整だ。農耕の水撒きに使っているものと併用だからそこまで頭を悩ますことはなかったけど、思ったよりも水の勢いが弱くて苦労したのだ。改良は重ねたけど、一度タンクに水を溜めて温めるという手順を踏むためシャワーを浴びるまでに三分はかかる試算だ。
 あと少しの調整だけが残っていて、明日にも開通できるかなというところだった。だけど今、私は燃えている。というか何かしていないとおかしくなりそうだった。薄暗くなった室内に電気をつけて、レバーとポンプを連動させるという最後の作業にとりかかる。

 いけたかな、と思ってレバーを操作してみる。とりあえず水だけでもいいから出るところを見てみたい。手ごたえはいい感じ。だけどその瞬間、シャワー室のドアが開いた。
 サーッと勢いよく流れだした水がドアを開けたスタンリーに直撃する。その後ろのゼノもスタンリーほどではないが濡れていた。慌てて水を止めたがもう遅い。
「ごめん! 大丈夫?」
 スタンリーはびしょ濡れになった髪をかき上げた。
「電気ついてるから何やってんのかと思ったら、あんたまだ働いてたのかよ」
「一人で遅くまで作業するのは感心しないね。だが無事に完成したようでよかったよ」
「えっと……何か拭くもの持ってくる! あと着替え!」
 私は二人の間をすり抜けようとした。そしてあることに気付く。
「そうだ、せっかくだからシャワー使ってみない? 第一号!」
「そりゃいい提案だけど、あんたも濡れてんじゃん」
「そこはスタンリー、ゼノ、私の順でどうでしょう」
単に濡れた量で決めた順だった。私は言うほど濡れていないからシャワーの必要はないのだけど、単にシャワーを浴びたいという理由で三番目にねじ込んだのだ。
 スタンリーとゼノは顔を見合わせた。二人は私に先にどうぞ、と言う。気持ちはありがたいけど、さすがにびしょ濡れスタンリーより先にというのは気が引ける。
「でも私が一番だと二人を結構待たせちゃいそうだし……」
「別に俺はいいけど?」
「僕も構わないよ。というかほとんど濡れていないしね」
「……だめ、先に浴びてて! 私は着替えとってくるから!」
このままだと言いくるめられてしまいそうだった。だから言い逃げだ。しかし足音を響かせないように気をつけながら早歩きをしていて気付く。二人の着替えはそれぞれの部屋にあるのでは……?
 戻るか。そうして引き返すこと数歩、通路の向こうからゼノが歩いてきているのが見える。
「どうしたの?」
「君が勝手に僕たちの部屋に入るとは思えなかったからね。スタンの着替えは僕がとってくるから君は自分の分を用意するといい」
「さすがゼノ~……」
「いいから行っておいで」
「はい……お手間おかけしました」
私は大急ぎで部屋に戻って着替えを準備した。思えば特に急ぐ必要もなかった気もする。いちおう部屋を出たあと、スタンリーやゼノの部屋がある方向へ向かった。ゼノがあまりにも大荷物なら手伝おうと思ってのことだったけど、二人分の着替えとタオルでそうなるわけがなかった。

 どうしても気になっていることがある。今はゼノと二人きりで聞くにはいいチャンス。シャワー室の前まで来たら聞きづらいから、今のうちに言ってしまうのがいい。でもこんなこと聞くの、恥ずかしい。ぐるぐる考えていたらゼノのほうから「何かな」と声がかかる。
「……恥を忍んで聞きたいことがあるんだけど」
「おお、何だろう」
「…………スタンリー、私のこと何か言ってた?」
フッとゼノは笑った。それはどういう意味。でも強くは言えない。大声も出せない。
「そう臆病になる必要はないと僕は思うがね」
「……でも怖い」
「もしもスタンが『あいつ俺のこと何か言ってた?』と聞いてきたら僕はどう答えるのがいいだろう」
「気になることがあるなら自分で聞きに行け、とか……?」
「では先ほどの質問にもそう返させてもらうことにしよう」
「……だよね、ごめん」
「謝る必要はないよ。君の主張もわからくはない」
「……ほんと?」
ゼノは笑って「二割程度なら」と言った。
 シャワー室までもすうぐというところで、私が行く理由がなくなったことに気付く。最後にシャワーを使うつもりではいたけど、他人がシャワーを浴びているところを部屋のすぐ前で待つってどうなんだろう。私だったら嫌だ。しかも異性だし。
「……やっぱり私、食堂で待ってるね」
「ああ、わかった。僕が終わったら呼びに行くよ」
「ごめんね、ありがと」

 食堂には誰もいなかった。昨日、ここでキスしたんだなと思うと妙に恥ずかしくなった。今後ここに来るたびに思い出してしまうなら大変だ。
 私は待つ時間でお茶を淹れることにした。茶葉の香りでリラックスしていたら、このままベッドに行くのも悪くないなと誘惑される。ゼノが呼びに来ないなら、私はたぶんベッドに行っていた。
 少し時間が経ったところ、食堂に現れたのはゼノでなくスタンリーだった。彼の髪の毛からは水滴がしたたり落ちている。
「ちゃんと髪拭きなよ」
「はー……ゼノと全く同じこと言ってやがる」
 スタンリーは髪を乱暴に拭きながら私の隣に勢いよく座った。
「まだお湯あるけどお茶淹れる?」
「そんままでいい」
「そう?」
 立ち上がろうとしたけど、スタンリーのほうが先だった。彼はコップにお湯を注いでまた私の隣に戻ってきた。そのせいかはわからないけど、髪を拭く手は完全に止まっている。
「……何?」
「濡れてるのが気になって」
「これ全ッ然、水吸わねーの」
スタンリーは肩にかけたタオルをひらひらと動かした。確かに一応タオルということにはなっているが、言ってしまえばただの薄い布だ。水を吸う力はほとんどないと言ってもいい。
「風邪ひくよ」
「ひかねーよ」
「でも、」
「じゃ、あんたが拭いて」
「えっ」
「俺は濡れてても平気だかんね」
そんな、そんなの……。
 スタンリーは頬杖をついて挑発するような笑みを浮かべていた。
「……困る」
「困る?」
「だってそうでしょ、お風呂……シャワー浴びたての女が髪濡らしたまま近くにいたらって想像してみてよ」
逆の立場になってみろ、という思いだった。だけどよく考えてみたら、スタンリーはそんな状況でも全く困らないかもしれない。むしろそんなの慣れっこなのでは。あ、ダメ。想像したら悲しくなってきた。
「……ごめん、困らないか」
「なに一人で納得してんの」
「いや、だって……」
「……確かに、相手があんただったら困るかもな」
スタンリーはそう言ってガシガシと頭を拭き始めた。
 今のはどういう意味だろう。私としては結構いい意味に聞こえた。湯上がりの私が近くにいたら戸惑うって……そこまでは言ってないし、困るというのも意味によっては真逆の感じになっちゃうけど。
「……困るの?」
「あんたも今、困ってんだろ」
「……まあ」
 顔が赤くなっていないか心配になってきた。お茶が温かいからというのは無理がある。私も湯上がりだったらよかったのに。
 スタンリーはすぐに頭を拭く手を止めた。いつもそんな感じだったのかな、と石化前の生活を想像してみる。私は詳しくないけど、軍人だからそんなことに時間をかけられないのかもしれない。
 私はスタンリーの後ろへ移動した。そうして首からタオルを取り上げて
「……拭いてあげる」
とんでもないことを言ってしまった。スタンリーは振り向かないまま「ん」と返事をする。そっけないけど、今はそのほうがありがたかった。だって今、すごく顔が熱い。
「次はドライヤー作りたいな」
「……あんたはそうだよな」
「どういう意味?」
「深い意味ねえから忘れて」
「えー……」
ぎゅ、ぎゅ、と挟みこむようにして水気をとっていく。最初よりはマシになったけどまだ、というところだ。いっそタオルを頭に巻いたままにしておけばいいと思うけど、絶対嫌がるだろうなと容易に想像がつく。

「おや」と声を上げたのはゼノだった。スタンリーまでここにいるとは思わなかったらしい。
「すまない、待たせたね」
「ううん、早かったよ」
「おお、もう少しゆっくりしていたほうがよかっただろうか」
ゼノの意地悪に私はぶんぶんと首を振る。
「ゼノ、髪濡れてんじゃん」
「どの口が言うのか不思議で仕方ないよ」
「ちゃんと拭かねえとこいつに怒られるぜ」
「……いや怒ってはないけど?」
 スタンリーは笑っていた。ゼノもやれやれという感じで、頭を拭きながらスタンリーの隣に座る。
「ほら、スタンなんか放っておいて早く行くといい」
「そうする。二人ともおやすみ」
おやすみ、と二人の声が重なった。