道楽男なんて好きにならない07

 出発した船が一カ月も経たないうちに帰ってきたものだから、なんだか拍子抜けしてしまった。……とか思っていたら、今度はアメリカに向けて出発するという。彼らはコールドスリープしていた司さんのことを迎えに来ただけのようだった。
 もう少しゆっくりしていけばいいのに。そう思うのは私が残される側の人間だからだ。だけど千空さんたちには急いで出発しなければならない理由があるらしい。たった一日。彼らに何か言いたいことがあるなら、たった一日のうちで言わなければならなかった。
 帰ってきたそばから慌ただしく次の出発に向けての準備をしていたわけだが、日が暮れるころには大分落ち着いていた。私はやっぱり龍水さんの姿を探してしまっていて、これじゃあ南さんに何と弁明すればいいのかわからない。
 レストランにもいない。船の近くにもいない。私はわずかな期待を込めながら龍水さんの家へ向かった。

(……いた、龍水さん。何してるんだろう)
 真剣な表情で机に向かっている龍水さんを見て、前に航空写真を見せてもらったときのことを思い出した。早く声を掛ければいいのだろうけど、邪魔したら悪いかなという気持ちもある。長旅で疲れているだろうし、早く仕事を終わらせて休みたいかもしれないし。考えれば考えるだけ龍水さんに声を掛けない言い訳を思いつく。ちょっとだけ怖かったのだ。前ばかりを見ている龍水さんだから、後ろに残る私のことなんて眼中にないんじゃないかと。だけど龍水さんが私の考える枠に収まらない人だということも、私はよく知っている。
「龍水さん」
 私が呼ぶと、龍水さんはいつものように家に招き入れてくれた。
「何してたんですか?」
「船員リストの見直しだ」
 なるほど前回とメンバーが全く同じということもないのか。机にあったリストに目を向けると、急遽書き込んだような文字がひときわ目立っていた。
「南さんも行くんですね」
「次の目的地はアメリカだ。英語を話せるやつが一人でも多く欲しい。それに今から石化の謎を解明しに行くのだからな。記録は残しておいたほうがいいだろう」
「確かにそうですね」
「貴様はどうだ?」
「英語は学校で習った程度しか」
「授業で習ったからできるとも言えるんじゃないか?」
「得意だったというわけでもないですし、それなら旧世界のみなさんほとんどがそうでしょう」
「フゥン。俺はまた振られてしまったというわけか」
「……変な言い方しないでください」
 龍水さんは手のひらの上でペンをくるっと回した。
 会話の合間に挟まる妙な沈黙が気まずくて、今日も何か差し入れを持ってくればよかったなあと思う。私はなんとなくリストを上から順に読んでいって、やはりそこに私の名前がないことを確信した。
「……次はどのくらいで帰ってくるんですか?」
「数年はかかるだろうな」
「え……そんなに?」
「世界一周だぞ。まずアメリカに到着するだけで二カ月以上はかかる」
「……寂しい」
 言ってからハッと口元を覆った。龍水さんの前で言うべきではなかったし、単純に恥ずかしいというのもあった。寂しいというのは龍水さんがいなくなるからというわけではなくて、みんなに会えなくなるから寂しいという意味だ。
「すみません、今のは忘れてください」
「なぜだ?」
「……だって引きとめるようなこと言われたって困るじゃないですか」
「俺は全く困らないが」
「まあ、それならよかったですけど……」
「確かに貴様に何年も会えんというのは惜しいな」
 龍水さんはそう言って私の髪の毛に触れた。すくい上げるように持ち上げ、だけどすぐに髪の毛は指の間をすり抜けて落ちていく。
「あの、」
 これに何の意味が、と聞いたら無粋だと言われてしまうだろうか。こんなことしたって明日には会えなくなるのに。でも私だってそれをわかっていてここに来たのだから、人のことばかり言えないのかもしれない。
「俺が惜しいと言ったら貴様は困るのか?」
「……いえ」
 龍水さんの手は、次に私の頬をかすめた。思わず目を瞑ってしまったけれど、特にそれ以上は何もない。
 深呼吸をした。大丈夫、と頭の中で唱える。
「私も龍水さんのこと好きですよ」
 数年会えないのならと魔が差した。だってある意味両思いだ。振られる心配なんてこれっぽっちもないし、むしろどうして今まで意固地になっていたのか不思議なくらいだった。
 言ってしまえば今までの苦しみから解放されたようなすっきりとした気持ちになれた。辛くなるから認めたくなかったはずなのに、いつしか認められないこと自体に苦しんでいたのだ。なんとも馬鹿げた話である。
 龍水さんはまるで時が止まったみたいに動かなくなってしまった。照れているようには見えない。そうしてしばらく龍水さんを観察していたら、
「『私も』とはどういう意味だ?」
 と、彼はようやく動き出した。
「龍水さんは私のことが好きなんですよね」
 正確に言えば「私だけじゃなくて全人類」なのだが。
 龍水さんの真っ直ぐな視線が突き刺さる。圧に負けて私は龍水さんの首元あたりに視線を落とした。
「今日を逃したらしばらく伝えられなくなるなと思って……ごめんなさい」
「なぜ謝る」
「……さっきからずっと質問されてる」
「誤解のないようにしておきたいからな」
「いつも誤解を招くようなことばっかり言ってるくせに」
「何か誤解したのか?」
「……してないです」
 ずっと誤解しないように頑張ってきたのだ。誤解なんてしてたまるか。
「してないから、大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なんだ」
「……だから質問ばかりするの、やめてください」
「……」
 龍水さんは机に広げていたリストに手を滑らせた。
「俺は船長だ。船員の命を守る義務がある」
「……はい」
「船員リストは俺の独断で作ったが、客観的に見ても納得できる中身になっているはずだ」
「そうですね」
「だが辞退者も出た。結局、一番大事なのはやる気だ」
 バンッと机が叩かれる。
「俺の船に乗りたいと……少しも思わないのか?」
 どうしてそういう言い方をするんだろう。少しも思わないわけがないのに。龍水さんの目を見たら絶対に揺らいでしまうから、私はずっと俯いたままだった。
「……私はここに残ります」
 龍水さんの手に力が入ったのがわかった。ぐしゃりと音を立ててリストに皺が寄る。
「でも……世界一周して来た龍水さんの船なら乗ってみたいです」
 こういうのはズルいだろうか。嘘でも乗りたくないなんて今の私じゃ言えなかったのだ。
 頭上から聞こえてきたのは龍水さんが笑った声だった。
「貴様もなかなか俺を扱うのが上手いな」
「……別にそういうつもりでは」
「絶対に乗りたくないなんて言ってみろ。俺は諦めの悪い男だぜ?」
「まあ、それはそれで」
「フゥン、言うようになったな」
 龍水さんはリストをくるくると丸めて懐にしまった。アメリカ行きのメンバーは決まったようだ。
「どうか無事に帰ってきてください」
「ああ、貴様を泣かせるわけにはいかんからな」
 別に泣きやしませんよ。そのくらい言ってやりたかったのに、涙をこらえるほうに必死で口を開くことすらできなかった。