05.ツキの裏
フェイズ・ワンを捜査するためダグとキリルはある男を尾行していた。彼は一見ただの会社員であり、怪しいところはない。シワのないスーツを着て、綺麗に磨かれた革靴を履いてキビキビと歩いている。この男の情報は別件で逮捕した人物から得たものであるが、あまり信憑性は高くない。恩赦を得ようとした苦し紛れのデタラメや、他人への恨みを爆発させたという話もよくあるのだ。
男が合流した人物を見てダグは一瞬息を止めた。驚いたのは隣も同じだったようで、ぽかんと口を開けている。巻き込まれやすい人だとは思っていた。それでもこんなところで会うなんて考えもしなかった。男はサラに親し気な様子で話しかけ、そのまま二人でレストランに入ってしまったのだ。
「お、おい、ダグあれ……」
まあ言いたいことはわかる。ダグは店内を監視できる位置に移動し、身を潜めた。ちょうど二人が窓際の席に案内されたのが幸運だ。
飲み物だけ注文したらしい二人は、机に書類を広げて何か話し合っているようだった。おそらく仕事中なのだろう。二人が別れてからサラにあの男のことを聞けば何か手がかりを掴めるかもしれない。そう提案するダグに、彼の相棒はどこか不満そうに口を尖らせた。
「えー、それでいいのか?」
「いいも何もそれしかないだろ。まあ彼女が共犯だった場合はマズいか」
「は~? 思ってもないようなこと言うなよ」
「そうだな。まあ、何も知らないのが一番いいと思ってるよ。捜査の進展にはならないけど」
それでも引っかかったのは、彼女の運があまり良くないというところ。こういうときの嫌な予感はなぜかよく当たる。
取引なのか打ち合わせなのかわからないが、二人は一時間ほどで店を出た。サラが男と別れるのを待って声を掛ける。まだ状況がわかっていないはずの彼女だが、ダグとキリルの雰囲気から何か感じ取ったらしい。静かに二人の言葉を待つサラを見て、ダグは今さら「共犯だったら」なんて言った後ろめたさを感じていた。
もちろん彼女が男の怪しい噂なんて知っているはずもなく、聞けたのはあの男の仕事内容についてのみだった。互いに仕事もあるからとそれでサラとは別れようとしたそのとき、ダグの嫌な予感が的中する。
男が急に現れてサラの腕を掴む。阻止しようとしたが、距離があったため間に合わなかった。
「お前、サツと繋がりがあったのか!」
「え……?」
サラはまだ状況がわかってないらしく、キョロキョロと首を動かす。しかし男がナイフを突き付けると彼女はサッと顔色を悪くして、ぴたりと動きを止めた。
見られていたのだろう。こんなミスは久しぶりで、油断していたのか、それとも別のことに気を取られていたのか。ダグは銃を構える手に力が入っていることを自覚していた。彼女を危険な目に遭わせていることへの苛立ちがそうさせているというのも、十分理解していた。
「どこまで話した?」
男の手元は震えていた。そのせいでナイフの刃が今にも彼女の首に当たりそうになっている。
「お前が優秀な営業マンってこと以外は何も」
「は……」
つまり男の早とちりなのだが、だからといって簡単にサラが解放されるわけもない。男は何かしらの心当たりがあって、たった今それを自白してしまったのだ。それが何なのか聞き出せなくとも、彼女にナイフを突きつけた時点で立派な罪状がある。
「これ以上罪を重ねる前に彼女を解放するんだ」
ダグは銃で狙いを定めるが、男がサラを盾にするように立っているためトリガーを引くことができない。隣のキリルも同じ状態で、にらみ合いが続く。
「要求は何だ」
「……見逃せ」
「彼女はどうする?」
男は答えない。計画もなく衝動的にやっているのだろうから当たり前といえば当たり前だ。ダグは銃を下ろして内ポケットに入れた。男を安心させるためではない。ポケットに潜ませていた通信機で応援要請を送ったのだ。そして円を描くように男の周りを歩く。キリルと同時に男の視界に入らないようにしたかったが、もう少しのところで「動くな」と止められてしまった。男が持っているのがナイフでなく銃であれば、銃口がこちらに向いていたかもしれないのにとダグは奥歯を噛みしめる。サラと目が合うたびに余裕がなくなっていくのが嫌でもわかった。
ダグの思惑どおりであれば、到着した応援の刑事と男を挟み撃ちにする予定だ。見回り中の警官の数を考えればそう時間がかかることでもない。しかし、そのわずかな時間でさえも気の遠くなるほどだった。ダグでさえそうだったのだから、サラにとってはもっと辛いものだっただろう。
応援が到着すると、男の確保は難なく終わった。サラも身体的に傷を負った様子はない。
「これから少し話を聞かせてもらいたいんだけど、いい?」
「はい……。あ、でもその前に職場に連絡してもいいですか?」
ダグが頷くと、サラは携帯を取り出した。その間にダグは応援に来た警官にこれまでの経緯を説明する。男はパトカーで連行してくれるようだ。
「ダグ、俺こっち引き受けるからサラのこと任せていいか?」
「わかった」
気を使ってるのかと言いたいところだが、どちらか一方が男についていたほうがいいとダグ自身も考えていたため素直に受け取る。ただキリルは意味ありげに笑っていたので、何か他意があったのは間違いない。
一通り話が決まったころには、サラの職場への連絡も済んでいたようだった。思い切って半休を使った、と彼女はにこりと笑う。案外たくましいものだと感じたが、すぐにそれが彼女の精一杯だったということに気付いた。
近くに停めていた車の中で話を聞こうとしたときのことだ。彼女の体がぐらりと揺れて、とっさに手を伸ばす。
「あ……すみません。足が震えて……」
「いや……、」
抱き寄せたような体勢になってしまったこと、サラはわかっているだろうか。彼女は足に力を入れることばかりに気を取られて、ダグの戸惑いに恐らく気付いていない。何度も自分の足で立とうとして、しまいにはダグの胸に額をぶつけていた。そしてようやく彼女が顔を上げる。きっとまた「すみません」とでも言おうとしたのだろう。しかし彼女はぱっちり目を見開いて、次に顔を真っ赤にして、勢いよくダグから離れようとした。けれど立てないのだからそれができるわけもない。再びダグに引き寄せられたサラは「すみません」と下を向いた。
「そこ座ろうか。車はヴルーベリ巡査にとってきてもらうよ」
事件で営業中止となった飲食店のベンチにサラを誘導して、キリルに車のことを頼む。重大任務というわけでもないのに張り切った様子を見せる相棒にダグは口角を上げた。
サラのところに戻ると、彼女が口を開いた。声色はいつもより暗い。
「私やっぱり、運が悪いんでしょうか……」
「えーと、普段からこんな感じ?」
ダグとしても本気で言ったわけではなかったのだが、落ち込んだ様子のサラを見ると良心が痛む。いつもトラブルに巻き込まれるなら大変だろうと同情したが、彼女は首を振った。
「そんな風に感じたことはなかったですけど……」
「じゃあ違うよ。偶然が重なったんだろう」
「そうだといいなあとは思います」
ぎこちなく笑うサラを見て、ダグは一つの仮説を立てた。
「……むしろ俺かもしれないな」
「え」
「鍵を落としたのは俺とぶつかったから。事故の日も俺はいたし、ジュースをかけられたのも俺の見舞いに来たから、だったら?」
「さすがにそれは考えすぎだと思います……よ」
「もしかして“あるかも”とか思った?」
歯切れの悪い彼女を見逃してやらないのはダグの悪い癖だ。慌てて否定するのを笑っていると、サラは眉を寄せた。
「私、真面目に考えてたのに……」
「ごめん。ちょっと思いついたから」
「……もし、本当にそうだったら困ります」
「そりゃ困るよな」
「あ……いえ、その……そういう意味じゃなくて」
再び赤くなった顔、言葉を濁す仕草。それはダグを都合よく勘違いさせるのには十分だった。膝の上で握りしめられた小さな手にダグが思わず手を伸ばしかけたときにちょうど、自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。このタイミングの悪さはやっぱり何かあるんじゃないかと疑ってしまうほどだ。ダグは車を運んできたキリルに礼を言って、今度こそ本当に別行動をする。
「立てそう?」
行き場のなくなった手を再利用するかのようにサラに差し出す。彼女は「はい」も「いいえ」も言わなかったが、ダグの手を取ってしっかりと立ち上がった。