エフラムはグラド兵の攻撃を避けつつ、デュッセルを目の前にした。帝国三騎の一人――黒曜石のデュッセルと呼ばれた男が持つ槍に力は込められていない。
「デュッセル! 俺たちと来てくれ!」
「……わしに生など不要。陛下はわしを裏切り者と仰られた。もう、生きる糧がないのだ……」
デュッセルはエフラムに「殺せ」と言う。しかし、エフラムが望みを受け入れることは無かった。
「ふざけるな! あなたがここで死んでどうなる? 皇帝ヴィガルドの乱心……誰が止める!? 帝国の未来を……民を見捨てると言うのか!」
「エフラム殿……」
「反逆者として生きること。帝国の将であるあなたにとって死より辛い屈辱であることは知っている。だが、それでも――」
エフラムが拳を握りしめる。ギリ、と音が聞こえたような気がした。
「……すまなかった」
デュッセルがエフラムに背を向ける。そして、グラドへ槍を向けて言った。
「エフラム王子……立派になられたな。この老体、そなたに預けよう」
決着が着くのは早かった。グラドの中にもデュッセルと考えを同じくする者がいたのである。まとまりのない軍に勝利を許すエフラムではなかった。
デュッセルもまた、グラド皇帝の異変について詳しいことはわからないようだった。しかし、皇帝はある日を境に人が変わってしまったという。それはグラドの皇子、リオンと闇魔道士たちが魔術研究の末に“魔石”を誕生させた日だった。
「エフラム」
「どうしたミルラ?」
「わたしが帝都に感じた禍々しい気配。それは人の心を呑み込み、どんな良い人でも悪い人に変えてしまいます」
「まさか、魔石が関係しているのか……? デュッセル、魔石は今どこにある?」
「皇子がお持ちだ。あの日以来、リオン皇子は常にあれを手にしておられる」
「わかった。リオンに詳しい話を聞き、二人で皇帝を正気に戻す。帝都へ向かおう」
ここから先は船旅になる。船の準備が整うまで、休息をとることになった。
レネは町をぐるりと歩き回っていた。港町に来るのは初めてで、わくわくしていたのだ。それに、今まで付き人なしで自由に行動することがほとんどなかったため、ちょっとした冒険気分を味わえた。
潮風の匂いがつんとする。白い鳥が海辺を飛ぶさまは、遠い世界の絵画のようだ。いいところだと思うが、人々にあまり活気が感じられない。
「レネ、一人でどうしたんだ?」
「散歩してたの。エフラム王子こそ、一人になっていいの?」
「まあ、大丈夫だろう。……それより、妙な噂を聞いた」
「噂?」
「幽霊船が出るそうだ。船が次々と沈められるから、ここで足止めされてる商人が多いんだと」
「ゆ、幽霊?」
レネは背筋に冷たいものを感じた。まさか、そんな単語を聞くなんて思いもしなかったのである。噂止まりの話ならいいのだが、実際に船は港に戻っていないらしい。
「怖いのか?」
「だ、だって幽霊よ! エフラム王子は平気なの?」
む、とエフラムは頭をひねらせた。
「槍で倒せるならいいんだが……それが出来ないとなると、困るな」
「困るって……もう、信じられないわ」
「だが、ここで立ち止まるわけにはいかない」
「それはそうだけど……じゃあ、槍で倒せる幽霊がいたらちゃんとやっつけてね」
ああ、とエフラムは頷いた――はずだったが。
「いやっ! こっちに来ないでっ! 気持ち悪い!」
ぼてぼてと音を立てて骨が積み上がってゆく。たまに、ぎょろりとした一つ目の赤い生物。鋭い牙と槍を持つガーゴイル。
レネはフォルデやカイルらと船を守っていた。港から出向した後、噂通り幽霊船に遭遇したのだ。幽霊船から橋を掛けられ、次々と魔物が乗り込んでくる。しかしエフラムはこれを好機と、敵船に乗り込んでいったのだ。
「レネ様、今日はかなり気合が入ってますね……」
俺は楽できるからいいですけど、とフォルデは頭を掻いた。
「だって、近づかれたら嫌だもの!」
レネはそう言って、風魔法を詠唱する。
魔物は橋から、空から、油断したらすぐに船を乗っ取られてしまいそうだ。
「あっ、そいつはもう死んでますって!」
「また動き出しそうで怖いのよ」
「それは一理ありますけど……あー! ちょっと! ここで炎の魔法はやめてください!」
「ご、ごめんなさい……つい……」
あまりの恐怖に得意な魔道書に手が伸びていた。フォルデが止めていなければ、レネは船を炎上させてしまっていただろう。
「……レネ様、ここは我々に任せて船内で休まれていては?」
「おい、カイル! 俺たち二人じゃこの数は無理だって!」
言い争いとまでは行かないが、殲滅効率は明らかに落ちていた。三人は一歩、後退する。レネだけ船内に戻るという選択肢はなかった。
「……みっともないところを見せてごめんなさい! ちゃんと戦うから、早く終わらせましょう!」
平常心、と心の中で唱えて魔道書を撫でる。フォルデとカイルの二人も、連携を取り戻して敵をなぎ倒して行った。
やがて、魔物の援軍が止む。敵将を討ったエフラムが船に戻ると、レネは力が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
「おい、大丈夫か?」
「ええ……少し、休ませてもらうわ」
レネは壁に手を這わせながら、船内へと降りて行った。
「う……うーん」
出来ることなら眠りに落ちたかった。目を閉じて質素なベッドの上で寝返りをうつ。しかし瞼の裏に現れるのは恐ろしい魔物たちの姿。額にじわじわと汗が滲んでくる。
耐えられず、レネは起き上がり休憩室を出た。何かにぶつかりそうになる。
「レネ、大丈夫ですか?」
ミルラだった。彼女は眉を下げてレネの顔を覗きこむ。
「大丈夫、ちょっと寝付けなかっただけよ」
「……でも、顔色が悪いです。エフラムを呼びますか?」
「な……! どうしてそうなるの!」
「エフラム、レネのことを気にしていました」
「……エフラム王子はこの軍の将だから」
きっと深い意味はないのだろう、と自分に言い聞かせる。ミルラは少し不満気な様子だったが、気付かない振りをした。
「ねえミルラ。少しだけ、手を握っていてもいいかしら」
ミルラは口を開くより早くレネの手をとって頷いた。レネはそのまま休憩室に戻り、ベッドに体を預ける。
「ミルラも一緒に寝る?」
「いいえ。でも、レネが眠るまでここにいます」
「ありがとう」
目を瞑ったレネの頭を、ミルラは空いている方の手で撫でた。
ミルラが傍にいたことによって、不思議と恐怖は和らいだ。温かくて柔らかい感触が心を落ち着かせる。レネはすぐに意識を手放したが、夢の中に魔物が出てくることもなかった。