水城レンバール。周囲を湖に囲まれたこの城は、守るに易く攻めるに難い。天然の要塞とも言われている。攻め入るには正面の橋を渡る他ない。
 周囲は驚くほど静かだ。見張りの兵すらも見当たらない。
「本当にエイリーク女王がここに?」
「ああ。俺たちがここに囚われていると噂が流れている。恐らくエイリークをおびき寄せるための罠だろう」
迷う様子もなくエフラムは足を進める。レネも魔道書を握りしめて、必死に後を追った。指先が汗ばむのを感じる。今までにないほどレネは緊張していた。
 一同はあっさりと城内に入ることが出来た。信じられないことに敵兵は一人もいなかったのだ。
 城の内部にもいくつか水路があり、小さな橋が掛けられている。先頭を行くエフラムが足を止めた。
「橋が落とされている。急いだほうがいいな」
「ええ、西の回廊から渡りましょう」
カイルはまるで城の構造を知っているかのように見えた。それにエフラムもフォルデも、足取りにためらいがない。レネの疑問にフォルデが気付く。
「実はここに入るの二度目なんですよ」
「そうだったの?」
「はい。グラドの襲撃後、俺たちは前線で戦い孤立しました。物資も尽きて一度ルネスに戻ろうかと相談してたら、エフラム様がレンバール城を落とすって」
それで本当に成し遂げてしまったというのだから驚きだ。「その後すぐにグラド兵に囲まれて逃げたんですけどね」とフォルデは笑っているが、逃げたというのも簡単な話ではないだろう。
「ずいぶん無茶するのね」
「エフラム様には驚かされます。まあ、そのおかげで生き延びているのかもしれませんけどね」
フォルデの口調は軽い。それがレネにはちょうど良かった。

 キン、と響く音。音は次第に大きく、多数に。程なくして一つ一つを聞き分けられないほどになった。
「エフラム様、東の回廊で戦闘が起きているようです」
「エイリーク様ですかね?」
「恐らくは。やることは二つ……敵を倒し、エイリークを救う。準備はいいか?」
エフラムの問いにカイルとフォルデが素早く答える。二人にレネも続こうとしたが、それより先にエフラムが口を開いた。
「まず、俺が道を切り開く。続いてカイル……絶対に後ろに敵を通すな。フォルデとレネは敵に挟み撃ちにされないよう、後方に気を配ってくれ。ミルラのことも頼む」
エフラムの視線がレネに向く。お互い頷き合うと、彼は勢いよく駆け出した。瞬く間にエフラムが遠くなる。彼の右手に握られた槍は、照明の光を一人占めするかのようにキラキラと輝いていた。

「俺が前に出ますので、隙を見て魔法を。くれぐれも弓兵には気を付けて下さい」
「わかったわ」
 フォルデの剣が攻撃を受けとめる。弾いた瞬間を狙い、炎を飛ばす。指先が熱い。頭がクラクラする。それは炎の熱のせいだけではなかった。
 一人、また一人と敵は倒れていくが、現れる数のほうが多い。今にもフォルデは囲まれそうである。
「フォルデ! 下がって!」
レネは上位魔法の書――ボルガノンを手に集中した。放たれた力は、多くのグラド兵の体勢を崩す。フォルデは間を置かず、敵数人の弓の弦を切りレネのほうへ走った。
「引きましょう! 奥へ急いで下さい!」
レネに返事をする余裕などなかった。ミルラの手を引いて、なりふり構わず足を動かす。
 フォルデはすぐにレネたちに追いついた。後ろには帝国兵が迫っている。しかし、彼は決してレネを追い抜くことをしなかった。

「フォルデ! レネ! 良くやった!」
エフラムとカイル、そして見覚えのない騎士が向かってくる。無事にエイリークと合流出来たようだ。
「後は任せてくれ」
その言葉は何故かレネの目頭を熱くさせた。泣くようなことなんて何一つ起きていない。レネは乱暴に目を擦って、頷いた。
 エフラムたちが武器を構える。すれ違いざま、エフラムの後ろに就いていた騎士から視線を感じた。エフラムの闘志溢れる瞳とは違う、落ち着きを持った色。レネのことを探っているようだったが、彼は特に何も言うことなくエフラムに続いた。

 遠目に見てもエフラムたちが圧倒的に優勢だった。そして、間もなくグラド兵の攻撃が止む。敵将が倒れたのだ。
 胸を撫で下ろすレネにフォルデが声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
「ええ……。あの方は?」
「あの方……ああ、ゼト将軍です。ルネス騎士の中でも屈指の腕前ですよ」
そう、と力なく返事をするレネにフォルデは詰め寄った。
「あの、それより手です! 怪我をされているんじゃ」
そう言われて、初めて手に目を向ける。赤く腫れていて、数ヶ所が切れている。上位魔法の加減がわからなかったのだ。無我夢中で持てるすべての力を放とうとした。そうして自身の手までダメージを受けるなんて、間抜けな話である。
「痛そうです……」
ミルラが眉を下げる。本当は彼女の言う通り痛かったのだが、心配を掛けないようレネは表情を崩さなかった。
「別に大丈夫よ。このぐらい」
「後でちゃんと手当して下さいね。エフラム様に怒られますよ」
「……わかったわよ」
レネがそっぽを向くと、フォルデは笑い出した。控えめに、ではあるが。レネは眉を寄せる。「何?」と尋ねると、フォルデは「すみません」と言う。
「俺のイメージしてた王女様とは随分違うなと思って。あっ、もちろん悪い意味じゃないです! それに、あんな戦い方もあるんだなと」
フォルデが言っているのはレネがボルガノンを唱えたときのことのようだ。まんまと話をすり替えられたような気はするが、レネは黙っていた。
「多勢に無勢というか、ちょっと厳しいなと思ってたんです。そこで大勢の敵を魔法で攪乱……。上手く行きましたね」
レネは少し決まりが悪かった。何故なら、そのように意図していたわけではなかったからだ。レネの狙いは敵を攪乱することではなく、敵を倒すことだった。むしろ、あの場で咄嗟に敵兵の弓の弦を切ったフォルデのほうが要領良く動けていたのである。
「……あれはただ、狙いが逸れただけよ」
レネの声は小さい。今度は別の熱が頬に籠る。フォルデは先ほどよりも豪快に笑い声を上げた。