エフラムの姿は案外簡単に見つかった。彼もちょうどレネを探していたようである。
「レネ、手の具合は大丈夫か?」
レネが思い出したように手のひらを眺めた。包帯がぐるりと巻かれている。フォルデに言われた通り、きちんと手当をしたのだ。
「ほとんど痛みはないわ」
「そうか。それで、きみに渡したいものがあったんだ」
エフラムが差し出したものを、怪我をしていない手で受け取る。緑色の表紙をしたこの魔導書は“ウインド”だ。
「どうしてこれを?」
「レネは炎の魔法が得意なようだが、場面によって使い分けた方がいいんじゃないかと思ってな」
例えば、とエフラムは槍を持つような仕草をする。そして、レネの喉元に一突き。ひゅん、という音と共にレネの髪が揺れる。
「敵に距離を詰められたときだ。……普段の半分の力でいい。素早く放つことは出来るか?」
エフラムの言いたいことをレネは理解した。彼が風の魔道書を選んだのは、軽くて扱いやすいという理由からだろう。
「理屈の上では可能だと思うけど……実際に試したことはないわ」
「なら、試してみるか」
「えっ……今、ここで!?」
「そうか、開けた場所のほうがいいな」
レネはまだエフラムの提案を承諾もしていない。しかし彼は構うことなく歩いて行く。慌てて彼の後を追うと、訓練場に着いた。他に人は誰も居ない。壁に立てかけてあった木製の剣をエフラムが手にする。まるで彼の自国の――ルネス城ではないかと疑うほど手慣れていた。しかし、ここは紛れもなくフレリアである。
「フレリア王子のヒーニアスと、よくここで勝負をしたんだ」
「ま、待って……。わたしと戦うつもり?」
「心配するな。当てはしない」
エフラムが剣を弄ぶ。彼はこの状況を楽しんでいるようだ。
「俺に攻撃される前に魔法を撃つんだ。準備はいいか?」
「ダメよ! 怪我したらどうするの?」
「……なら、魔法は天に向けてくれ。それならいいか?」
レネはしぶしぶ頷いた。エフラムのペースに乗せられていることには気付いていない。
二人は距離をとって向かい合った。エフラムの目は鋭く光り、レネは地べたに縫いつけられているかのような気持ちになる。
いくぞ、と言う声が聞こえた。レネは慌てて集中する。しかし、気付けばエフラムの持つ剣先が触れるか触れないかというギリギリのところに。ここが戦場であれば、レネは間違いなく命を落としていただろう。
レネがエフラムに勝てると思っていた訳では無い。しかし、だからと言って心穏やかに居ることもできなかった。魔道書を持つ手に力が込められる。
「大丈夫か?」
「……もう一回」
その言葉はエフラムの予想外だったらしい。彼が言葉を選ぶ間に、レネは繰り返した。
「もう一回よ。次はもっと上手くやるわ」
真っ直ぐな視線をエフラムに送る。レネはそのとき、彼に勝つことだけを考えていた。レネの中に燃え上がる炎はやがてエフラムに移る。
「望むところだ」
レネは簡単に諦めなかった。後退しながら詠唱、剣を避けながら攻撃を仕掛けようともした。しかし、上手く行かない。エフラムは文句も言わず、レネに付き合った。そして、ついに――
空を切り裂く刃が舞う。レネは地面に引き寄せられながら、ぼんやりとその光景を見ていた。
「おっと」
もう少しで背中を打つ、というところでエフラムに抱きとめられる。彼が手にしていた木の剣が地面とぶつかる音が響き、すぐに消えた。
「出来たじゃないか」
エフラムが目を細めて笑う。まるで自分のことのように喜ぶ彼の姿を見て、レネは可笑しくなった。
勝負はレネの勝ちで終わり――というわけではない。レネの魔法が発動したときには、エフラムの刃に捕らえられていた。良くて相打ち、場合によってはレネの負け。レネもそれを理解していたが、初めて詠唱が成功した喜びを押さえきれなかったのだ。
「エフラム王子のおかげだわ。何度も付き合ってくれてありがとう」
「また練習したいときはいつでも言ってくれ」
レネは興奮していた。自分たちがどのような状態で居るかも気に留めないぐらいに。そして、近づく足音にも気付かないぐらいに。
「騒がしいと思って来てみれば……こんなところで一体何をしているんだ?」
「ああ、ヒーニアスか。戦いで試したいことがあったんだ。勝手に使わせてもらったぞ」
このときレネは「彼がフレリアの王子なのか」ということぐらいしか考えられなかった。次のヒーニアスの言葉を聞くまで、頭が働かなかったのである。
「……とてもそうは見えないんだが」
「……あっ!」
エフラムに触れられている部分が急に熱を帯びる。しかし反対に、頭だけは妙に冷静になった。
咄嗟にエフラムから離れて立ち上がる。少し足がふらついたが、レネは堪えた。また抱き留められでもしたら、という思いが彼女を支えたのである。
一方エフラムは、特に動揺する様も見受けられなかった。彼は平然とした態度でヒーニアスと話をしている。面白くない、という思考を強引に振り払った。
ふと、ヒーニアスの視線がレネに向けられる。
「私はヒーニアス。この国の王子だ。きみはカドニアの王女なのだそうだな」
「え、ええ。……ごめんなさい、断りもなく訓練場を使ってしまって」
「それは構わん。だが、ほどほどにしておけ。この男に合わせていたら体が持たんぞ」
ヒーニアスはそう言って、地に倒れていた剣を手に取った。元の位置に正そうとしているわけではないようだ。素早く剣を一振り。そして、挑戦的な視線をエフラムへ。レネはエフラムがよくヒーニアスと勝負していたという話を思い出した。まさか、という彼女の予想は当たることとなる。
「久々にどうだ?」
「そうだな。だが、弓じゃなくていいのか?」
「お前こそ、槍を使いたいんだろう?」
勝負は瞬く間に始まった。剣、弓、槍、次々と武器を変えながら二人は何度も向かい合う。その光景はレネを勇気づけた。エフラムの強さは積み重ねられたものなのだと理解したのである。これからを生き抜くためには、彼を見習わなければならない。
一通りの武器を使い、彼らは満足したようだ。辺りはすっかり夕焼けに染まっている。
「すまない。きみを休ませなければならなかったのに、つい夢中になってしまった」
「わ、わたしはいいのよ。さっきのは一時的なものだから……」
レネが口ごもったのは、エフラムの腕に支えられたときのことを思い返していたからだ。努めて冷静であろうとするが、更に追い打ちが掛かる。
「そう言えばお前たち、婚約したそうだな」
ヒーニアスはエイリークから聞いたらしい。レネはようやく、エフラムを探していた目的を忘れていたことに気付く。
「ち、違うわ! 理由があって、その話はなくなったの」
エイリークの誤解も解いておいて欲しいと伝えると、エフラムは「ああ、すまない」と頭に手をやった。しかし言葉とは裏腹に、彼はちっとも申し訳なさそうな素振りを見せない。
レネはもう一度念を押した。
「分かった分かった、ちゃんと説明しておく。いいからきみは休むんだ。明日には出発だぞ」
心配は残ったが、一応の納得をして訓練場を後にする。去りゆくレネにヒーニアスのつぶやきは届かなかった。
「そうは見えないがな……」