エフラムとエイリークが何か話しているのを遠目に、レネは身支度をしていた。炎の魔道書に、エフラムに渡された風の魔道書も忘れていない。傷薬を入れた麻布を腰にぶら下げる。そろそろ出発の頃合いだろうか、と考えるレネに近づくものがいた。
 ゼト将軍――エイリークたちと合流したときフォルデが言っていた、ルネス王国の中でも腕の立つ騎士。あのとき、レネは確かに彼から視線を感じていた。今に至るまで言葉を交わすことはなかったため特に気に留めていなかったのだが、やはり何か思うことがあったのだろう。
 ゼトは丁寧に頭を下げ名乗った。洗練されたその動きは、彼の真面目さを物語っている。

 私がこのようなことを申し上げる立場でないと分かってはいますが、とゼトは前置きする。
「この度の協力、感謝します」
レネは面食らった。あまり彼の言葉に良い予想をしていなかったのである。何を言われるのかと肩に力が入っていたが、思わぬ感謝の言葉に力が抜けた。
「いえ……あの、気になさらないで下さい」
 ゼトが目線を下げる。これが本題ではないのだろうと感じた。
「……失礼を承知で申し上げます、レネ王女。王女は何があっても身の安全を第一に考えて頂きたい」

もしこの戦いでレネが命を落としたら。例えルネスが勝利を収めたとしても、カドニアとの問題が発生する。ゼトはそう言いたいようだ。彼はレネが行軍に加わることを良くは思っていないのだろう。しかしエフラムの決定ゆえ、反対もしないのだ。
「……将軍が国のことを案じているのは分かります。……でも、すみません」
ゼトは目を見開いた。言葉を挟まれると気持ちが折れてしまいそうだったので、レネはそのまま続けた。
「迷惑を掛けることもあるかと思います。けど、ここで帰ったらわたし……一生後悔します!」
言い終えると肺が急に酸素を欲する。肩で息をして、呼吸を落ち着かせる。やがて冷静になってゆくと、目の前の将軍を酷く困らせているのだと気付いた。彼は言葉を探しているように見える。
「すみません。勝手ななことばかり言って……」
「……いえ、私のほうこそ申し訳ありません。これからよろしくお願い致します」
「え……?」
「私もエフラム様に同行することになりました。何かあれば遠慮なく申し付けてください」
認めてくれたのだろうか。ゼトは多くを語らなかったが、これ以上口を出す気はないらしい。
「ありがとうございます。ですが、わたしは個人として身を置いているのであまり気を遣わないで下さい。ただ、一つだけ……」
「何か?」
「どうしたら戦力になれるのか、教えて下さい」
「……ふっ」
「ど、どうして笑うのですか?」
「……失礼しました。その、エフラム様のようなことをおっしゃられると……」
「何だ? 俺がどうかしたか?」
ゼトと二人だと思っていたところに急に別の声が入り、レネは肩を震わせた。いつの間にかエフラムは話を聞いていたらしい。と言っても正に今、というところのようだったが。
「な、何でもないわ! ゼト将軍もエフラム王子に同行するって話だったから、挨拶してたのよ!」
ちらりとゼトを見ると、彼も頷いてくれた。エフラムは特に疑うこともなく納得したようである。
「エフラム王子こそ、エイリーク王女との話は終わったの?」
「ああ、そろそろ出発するぞ」
「では、私が皆に声を掛けて来ましょう」
ゼトは素早く動いた。彼が遠くなるのを見届けて、深く息を吐き出す。多分、緊張していたのだ。
 何気なくエフラムに目を向ける。彼もレネを見ていたようで、目が合った。
「……本当にいいのか?」
「いいって言ってるじゃない」
レネはできるだけ何てことのないように言って見せた。それが上手くいったかどうかはエフラムにしか分からない。
 ぬるい風が二人の間を通り過ぎる。間が空くのが気持ち悪い。虚勢を張るのも難しい。レネは耐えきれず零した。
「本当は……あれだけ大口叩いて来たから帰れないのよ。格好悪いじゃない」
「レネ……」
「だから、早く王座を取り戻してくれないと困るの!」
何か言いかけたエフラムを遮り、レネは出来る限りの笑顔で言った。 「もう出発するんでしょう? 皆を待たせたら悪いわ」
「あ、ああ……そうだな」
勢いよく足を踏み出すと、気持ちのいい冷たい風が頬を掠めた。