ガラスの破片を踏みたくなって11

 谷垣さんの名前を久しぶりに聞いた。ずっと小樽にいたのかと思いきや、アシパさんを探して私たちの後を追っていたそうだ。
 そう話してくれたのは、谷垣さんと一緒にこの近くまで来たというインカマッさんという女性とチカパシくんという男の子だった。そして今、谷垣さんが大変なことになっているという。何でもこの辺りで家畜や野生のシカを惨殺して粗末に扱う人間がいるらしく、谷垣さんがその犯人だと地元のアイヌの人たちに誤解されて追われているそうなのだ。
 話し合った結果、私たちで真犯人を見つけて谷垣さんを助けようという結論に至った。杉元さんが言うには、その真犯人が鈴川の言っていた囚人……姉畑支遁かもしれないということだ。
「ねえ尾形、谷垣さんを見つけるなり殺したりとかしないよね?」
 銃を手に先を進む尾形に声を掛ける。尾形は振り返ってにやりと笑った。
「ああ、谷垣狩りの続きをするのもいいな」
「……しないよね?」
「鶴見中尉の命令で俺を追ってきたってんなら見逃す手はねえな」
「違うと思う。谷垣さんはただ恩返しがしたいだけって言ってた。私のことも助けてくれたし」
「お前はむやみに他人を信じすぎだ」
「……そう?」
「鶴見中尉のことも『すごく優しい』って言ってたよなあ?」
 あれは仕方ないんじゃないか。尾形も尾形で私が鶴見中尉を優しいと言ってもニヤニヤ笑っているだけで否定しなかったし、実際に鶴見中尉は部下に慕われていたようだし。まさか政府に反乱を起こそうとしているなんて想像できるわけがないのだ。杉元さんも顔を串で刺されたりと色々あったようだし、本当に人というのはわからない。
「お前も鶴見中尉のいい駒になってた未来があったのかもな」
「……私、そんなに利用価値ないと思うけど」
「わかってんじゃねえか」
「もう」
 足のつま先で尾形の長靴をちょんと突く。尾形は痛くもかゆくもないと笑っていた。
――銃声が聞こえてきたのはそれから間もなくのことだ。真犯人かもしれないし、もしかしたら谷垣さんかもしれない。
「どうだろうな、谷垣は銃を奪われてんだろ?」
「じゃあやっぱり真犯人かな」
「まあ、行けばわかる」
 音をたどって行く間も銃声は何度か続いた。そして見つけたのは、アイヌの村人に追われている谷垣さんの姿だった。銃はアイヌの人たちが谷垣さんに向けて撃っていたようだ。
「派手にやってやがる」
 尾形は天に向けて銃を一発撃ちこんだ。谷垣さんもアイヌの人たちも動きをぴたりと止め、一斉に尾形のほうへ振り返る。尾形は髪を撫でつけながら言った。
「久しぶりだな、谷垣一等卒」
「尾形上等兵!」
 谷垣さんが尾形の名前を呼んだことで、アイヌの一人が私たちを谷垣さんの仲間なんじゃないかと言った。しかし尾形は無視をして谷垣さんに問いかける。鶴見中尉の指示で来たのか、と。
 谷垣さんの答えは否だった。事前に聞いていた通り、アシパさんを探してここまで来たのだと言う。彼女をおばあちゃんのところに連れ帰すのが目的だそうだ。
「頼めよ。『助けてください尾形上等兵殿』と」
「あんたの助ける方法なんて……この人たちを皆殺しにする選択しか取らないだろう。手を出すな、ちゃんと話せばわかってくれる!」
「ははッ、遠慮するなって」
 尾形と谷垣さんの会話を聞いていたアイヌの村人の間に不穏な空気が走る。一人の男が尾形に銃を向けた。
「俺に銃を向けるな殺すぞ?」
「尾形、やめてよ!」
「邪魔をするな」
尾形を止めようとして腕にしがみついた。けれど難なく振り払われてしまう。その勢いで私は地面に尻もちをついてしまった。
 いよいよまずいと思ったけれど、現れた初老の男性の一言によってアイヌの人たちが銃を下ろす。どうも、村に来るように言われているようだ。
 谷垣さんは拘束された。私たちはそのままでいいらしい。立ち上がろうと右手を地面につけるが、土がぬかるんでいてずるりと滑ってしまう。片手だけしか使えないというのは本当に不便だ。
「助けてください尾形上等兵殿」
「……何だよ、怒ってんのか? お前が邪魔するからだろうが」
「怒ってない。……どっちかって言うと悲しかった」
 もう一度立ち上がろうとすると、今度は簡単に立つことができた。そうしてふと尾形の右手が宙を掴んでいるのに気付く。もしかして手を貸そうとしてくれたのだろうか。……いやいや、こんなことで絆されてなるものか。
「行こう。谷垣さんを助けないと」

 谷垣さんは連れて行かれた先で木の檻に縛り付けられていた。その周りでは殺す殺さないの議論が行われている。警察に連れて行かれるか殺されるかの二択のようだ。見ている限り、殺せという意見のほうが優勢だった。
「尾形、止めなくていいの?」
「とりあえず成り行きを見守ろうぜ。警察に連れてかれるってんならここで暴れる必要もないだろ」
「うん……」
しかし議論は白熱していくばかりで、谷垣さんが解放される様子はない。
「ちょっと待った」
議論に割って入ったのは杉元さんだった。杉元さんたちも別のアイヌの人たちと一緒にいたようで、谷垣さんが捕まったと聞いて来たそうだ。
 杉元さんが真犯人を捕まえてくるということで話はまとまった。期限は三日。杉元さんが真犯人を連れてくるか、もしくは三日後の処罰まで、谷垣さんは檻の中に閉じ込められることになった。
「三日以内に姉畑を連れて戻れなかったときは、尾形が谷垣を守ってくれ」
 アシパさんは尾形をまっすぐ見上げて言った。
「あの子熊ちゃんを助けて俺に何の得がある? 奴は鶴見中尉の命令で俺たちを追ってきた可能性が高い。鶴見中尉を信奉し、造反した戦友三人を山で殺す男だ」
「谷垣と行動していた三人のことか? あいつらを殺したのはヒグマだ。俺がその場にいたんだから間違いない」
 うん? と、杉元さんの言葉に尾形は首を傾げる。谷垣さんの件に関してはそもそもが誤解だったようだ。
「アシパさんの頼みを聞かねえと、嫌われて獲物の脳ミソもらえなくなるぜ」
「……言っとくが、俺の助ける方法は選択肢が少ないぞ」
よかった、話はまとまったようだ。だけど三日以内に真犯人を見つけなければならない。
「おい、まさかお前も行くつもりか?」
 杉元さんたちについて行こうとしていたら、尾形に呼び止められた。
「人探しだから、人数は多いほうがいいかなって」
「谷垣の話だと姉畑はヒグマを探してんだろ? その腕で何ができる? 返って足手まといになるんじゃないのか?」
「それは……」
確かに尾形の言う通りだ。もしかしたら杉元さんは姉畑をヒグマから守ることになるかもしれない。そうなると身軽ではない私がお荷物になってくる。
「尾形は心配してるんだ。そうだろう? 尾形」
アシパさんがにやりと笑う。尾形は何も答えなかった。
 結局、私は尾形と村に残ることになった。杉元さんたちを見送ったあと、尾形の隣に腰を下ろして気になっていたことを聞いてみた。
「もし谷垣さんを連れてここから逃げることになったら、どちらにせよ私が邪魔じゃない?」
「杉元たちが真犯人を連れて戻って来ると信じられんか?」
「そうじゃないけど……」
「どっちにしたって邪魔になるなら安静にしておいたほうがいいだろ」
「……わかりにくい。心配してくれてるなら最初からそう言ってよ」
「なあに嬉しそうにしてやがる」
揶揄われているのはわかっていた。だけど本当にそうだったから頷いた。それでも尾形に伝わったかどうかわからなくて、
「嬉しいよ」
と言ったのだ。
「……お前、いちいち恥ずかしいやつだな」
尾形は呆れたような顔でフンと鼻を鳴らした。