ガラスの破片を踏みたくなって14

 焚き火の煙を追えば、そこにはアシパさんがいた。他のみんなも同じだったのか、焚き火のもとに人がわらわらと集まってくる。アシパさんはキロランケさんを見るなり、
「キロランケニパが私の父を殺したのか?」
と問いかけた。
「俺が? なんだよ、いきなり……」
キロランケさんは当然困惑していた。私もそうだ。いつの間にそんな話になっていたのだろう。
「……証拠は、馬券に付いた指紋です」
インカマッさんが言うには、指紋というのは人それぞれ違う模様をしていて外国ではすでに犯罪捜査に利用されているそうだ。馬券についたキロランケさんの指紋と、アシパさんのお父さんが殺害された現場で採取されたものが一致したと。
 それなら網走監獄にいるのっぺらぼうは誰かという話になる。インカマッさんの見立てでは、キロランケさんの仲間の誰かではということだった。
「ちょっと待った。この女……鶴見中尉と通じてるぞ」
話を中断させたのは尾形だった。尾形はインカマッさんに銃を向けている。谷垣さんが素早く二人の間に割って入った。
 インカマッさんの言う殺害現場の遺留品を回収したのは鶴見中尉であり、指紋の記録を持っているのもまた鶴見中尉であるというのが尾形の意見だ。
 そもそも指紋が一致したという話の信憑性も不確かなところなのだ。誰の言っていることが正しいのか、疑心暗鬼のままこの場は解散となった。

 翌朝、改めて全員が集まった。このまま進んでいいのかという雰囲気の中、杉元さんは「行くしかない」と言う。
「インカマッとキロランケ、旅の途中もしどちらかが殺されたら……俺は自動的に残ったほうを殺す!」
なんてな、と杉元さんは笑っているけどとても冗談には聞こえなかった。しかしこれ以上の話し合いが意味をなさないということはわかっていたので、私たちは北へと出発した。

 釧路の北にある塘路湖という湖は、ペカンペという食材が沢山採れることで有名らしい。アシパさんが言うには、ペカンペがあるために湖の周りにアイヌの村がいくつもできたというほど貴重な食材だということだ。
 塘路湖の近くのコタンでお世話になった男性もアシパさんの親戚だった。彼はこの辺りに最近現れるようになった盗賊に頭を悩ませていると言う。
 盗賊たちは暗闇の中で灯りも持たず襲ってくるそうだ。そしてその親玉の身体には奇妙な刺青が彫ってあるらしい。
 網走監獄の囚人だろうと白石さんが言った。彼らは硫黄山での採掘に駆り出され、亜硫酸ガスで失明した。失明した囚人たちの親玉である男の名は、都丹庵士。彼もまた白石さんと同じように網走監獄で刺青を彫られたそうだ。

 私たちはさらに北上し、屈斜路湖の近くにあるコタンで盗賊たちの話を聞いた。彼らは光のない新月の夜に襲ってくるらしい。前回の新月には隣の村が襲われたそうだ。
 次の新月まであと数日。相手がそれまで襲ってこないのなら、先に盗賊の寝床を見つけて昼間に奇襲をかけたほうがいいと、尾形や杉元さんが言う。
 コタンの近くに温泉旅館があると聞き、私たちは情報収集に向かった。
「肩の痛みに効くといいな!」
宿の一室でアシパさんがにこりと笑う。
「うん。もうそろそろこれも外そうかなって」
「いいのか?」
「そんなに痛まないから」
「尾形が毎回やってくれてるんだろ?」
「……あ、」
アシパさんの意図にようやく気付いて私はうつむいた。おそらく顔が赤くなっていることだろう。
「お、尾形にも悪いしっ」
何とか取り繕おうとする私にアシパさんはニヤニヤとした目を向けた。
 ちょうどそこに按摩さんが通りかかる。杖をついている彼にアシパさんが「一人で大丈夫か」と声を掛けた。彼もまた目が見えないそうで、しかし音を頼りにたくさんのものが見えると言う。
「そうだお嬢ちゃんたち、夜のゲタの音に気をつけなさい」
「ゲタ?」とアシパさんが聞き返す。
「夜になるとこの辺りに出る盲目の盗賊さ。みんなはゲタの音だって言うけどあれは違う。ある晩にあたしも聞いたことがあるけどね……あれは舌の音だ。舌を鳴らした音の反響でものを見ている」
――カンッ
 按摩さんが舌を鳴らした。
「この音……」
アシパさんが顔色を変えて弓を手に取る。どうしたのかと聞けば、ここに来る途中に同じような音を聞いたそうだ。私たちは宿に来る前からずっと、きっと屈斜路湖に来たときから見られていたのだ。
「他のみんなは?」
「杉元たちは温泉に入ってる。灯りを持って助けに行かないと!」
止める間もなくアシパさんは出て行った。残された私とインカマッさんは目を見合わせる。
「私も行こうと思います。アシパちゃんのことが心配ですし、他のみなさんのことも……」
「そうですよね、私も行きます!」
按摩さんは危険だからと止めてくれたけど、だったらなおさらみんなのことが心配だ。私たちは提灯を借りて宿の外へ出た。
 インカマッさんは脱衣所を確認してくれている。私は森の奥に進んだ。こちらからは見えなくとも、灯りを持っていれば誰か気付いてくれるかもしれない。音を立てないように慎重に歩いているつもりだが、いつ撃たれてもおかしくない状況だ。そう思うと余計に緊張して足元が不注意になる。
 背後でガサリと音がした。心臓がぎゅっと掴まれたみたいに息ができなくなる。尾形たちかもしれない。だけど盗賊かもしれないと思うと怖くて私はその場に立ちすくんだ。
「――ッ!」
口元を手で覆われた。逃げないようにするためかもう片方の手で腕を掴まれている。私は身を硬くすることしかできなかった。
 しばらくすると腕を掴んでいた手が離れ、つんと頭を突かれる。ようやく私は振り返ることができた。
 そうだったらいいなとは思っていた。そしてやっぱり尾形がそこにいて、私はぎゅうと抱き着いた。けれどすぐに違和感が襲ってくる。鼻先に触れたのはどう考えても肌だ。当然である、尾形たちは温泉に入っていたのだ。
 私は素早く外套を脱いで尾形に渡した。尾形がおとなしく羽織ってくれたのはいいが、肝心なところは隠れていないような気がする。……なるべく下を見ないようにしなければ。
 尾形と私はしばらくその場に身を潜めていた。下手に動くと相手に場所を察知されてしまうからだ。もし敵が近くを通るようなことがあれば、灯りがあるためこちらからは対処することができる。尾形は温泉に入る際も銃を持ち込んでいたのだ。
 かなりの時間が経った今も、盗賊が近くを通るようなことはなかった。日が昇り、うっすらと闇が晴れてくる。それと同時に提灯の燃料が切れてしまった。

――ダンッ!
 尾形の銃が盗賊を捕える。相手も日が昇り始めていることに気付いたのか、退却の姿勢を取っているようだ。ここを逃す手はないと、尾形は盗賊を追いかけようとする。
「お前はここで待ってろ。いいな?」
私は頷くことしかできなかった。尾形が後ろから近付いてきただけで動けなくなってしまうくらいなのだ。一緒に行ったところで出来ることがない。
 私は尾形が歩いて行った道をじっと見つめていた。無事なのだろうか。
「お嬢さん」
「え……あ、土方さん?」
 土方さんはしゃがみ込んでいた私に手を差し伸べ、立たせてくれた。
「久しぶりに会ったところすまないが、状況を説明してもらえると助かる」
「えっと……都丹庵士という刺青の囚人が率いる盗賊団を退治しに……あっちのほうへ尾形が向かったところです」
「そうか。一人で心細かっただろう。都丹庵士とは面識があるからもう安心するといい」
土方さんは争いをやめさせるために先へ進むそうだ。土方さんのほかにも永倉さんや牛山さんもいるらしい。
 この明るさではもう盗賊に襲われる心配はないからと、私は宿へ戻ることになった。

 部屋で一人待っていたら、アシパさんたちの声が外から聞こえてきた。部屋の戸を開けたのは尾形だった。
 いつの間にか服を着たらしい尾形は、私にずいと外套を差し出してきた。
「それ、もともとは尾形のなんだけど」
と、私は今さらすぎることを言った。
「こんな刺繍だらけにしやがって、着れるか」
「ごめん」
「新しいのがあるからいい。それはお前にやる」
尾形から外套を受け取る。きちんと畳まれているのが少し意外だ。
「ありがとう。無事でよかった」
「……家永もいるそうだ。肩んとこ、診てもらえ」
「そうする。いつもこれ、結んでくれたの嬉しかった」
「……まだ外せんかもしれんぞ」
「そのときはまた結んで」
尾形は小さなため息をついた。「いいぜ」と照れくさそうに言うから、私も恥ずかしくなってうつむく。
 アシパさんたちの話し声が近づいてきて、尾形は逃げるように行ってしまった。