ガラスの破片を踏みたくなって19

 いずれ力を借りるなんて言ったわりに、鶴見中尉からの連絡は全くだった。まさか適当にあしらわれただけだった? そう疑っていたところに連絡が来た。札幌まで来るようにとのことだった。
 なぜ札幌なのかと当初は思っていたが、札幌行きの汽車の中で連続殺人事件の話を耳にする。刺青の囚人が絡んでいるのかもしれない。そうであれば金塊を狙う尾形が姿を現すかもしれないということだろうか。
 そもそも尾形が樺太から帰還しているかどうかさえ私は知らされていない。鶴見中尉を頼ると決めたのは自分だが、こんなことで大丈夫だろうかと疑問が残る。それでも自分一人で行動するよりはマシなのだろうが……。
 札幌に到着した私は、事件のあった現場周辺を歩き回った。そうして見かけたのは杉元さんたちの姿だった。
 よかった。アシパさんも一緒だ。しかし彼らに声を掛ける資格が私にあるのだろうか。立ち止まってただ彼らの行方を眺めていたら、ふと杉元さんが振り返る。胸がどくんと鳴った。杉元さんはアシパさんの肩を叩いて、一緒に私のほうへ歩いてきた。
 二人が笑顔を向けてくれたことにほっとしつつも、尾形のことをまだ話していないのだから当然だと思い直した。アシパさんが杉元さんと一緒にいるということは、もしかしたら尾形はすでに杉元さんに殺されてしまっているのかもしれないし。
「久しぶりだな。元気にしてたか? どうして札幌にいるんだ?」
 網走を目指していたときのような気軽さでアシパさんは声を掛けてくれる。
「鶴見中尉に言われて……」
「やっぱり鶴見中尉も札幌に目をつけてたか……」
杉元さんが腕を組む。
 あれ、と思った。杉元さんもてっきり鶴見中尉の指示でここに来たのかと思いきや、どうも違うらしい。
「ああ、俺たち軍とは手を切ったんだ。金塊は俺たちだけで探すことにしたよ」
「そうだったんですね」
「……まだ鶴見中尉と繋がってる理由ってやっぱり尾形?」
「……はい」
「そっか」
杉元さんの声は想像していたより優しかった。やっぱり尾形はもう……。うつむく私に杉元さんが何かを差し出した。何かと思えば、北見で撮った尾形と私の写真だ。
「これ、尾形が持ってたんだ……って、ええっ? どうして泣くんだい?」
杉元さんはキョロキョロしながら慌てている。とりあえず写真を受け取って懐にしまったけれど、当分涙は止まりそうにない。
 はあ、とアシパさんがため息をつく。
「杉元、それじゃ尾形を殺して奪ったと思われても仕方ないぞ」
「……生きてるんですか?」
ほらな、とアシパさんが杉元さんを小突いた。
「ごめん! 紛らわしい言い方して。この写真は樺太で尾形を病院に連れて行ったときに着替えさせたから……」
「よかった……」
さっきとは別の意味で涙を流す私を前に、杉元さんとアシパさんは顔を見合わせた。そうしてようやく私は二人に謝らなければならないことを思い出した。尾形の生死でうやむやになりかけていたが、尾形が二人にとって敵であることに変わりはないのだ。
「ごめんなさい……。尾形が二人に酷いことしたの、知ってるのに……」
「……それはそうだけど、この写真を見て尾形にも大事な人がいるんだなって思ったよ」
杉元さんの声色はどこまでも優しかった。
「尾形が邪魔してくるなら殺す。それはこれから先も変わらない。だから俺が殺す前に尾形をみつけてやってよ。静かに暮らしてる人をわざわざ追いかけて殺したりはしないから」
「私も杉元と同じ気持ちだ。私は樺太で尾形の右目を奪ってしまった。だからアチャのことを許すってわけじゃないが、殺して復讐したいわけじゃない」
「ありがとう……。尾形が今どこにいるか知りませんか?」
 二人は首を横に振った。だけど金塊を追っていれば必ずどこかで再会すると思っているようだ。

 ライスカレーのおいしい店があると二人に誘われついて行くと、白石さんとあと二人知らない人が席についていた。一人は白石さんの知り合いの刺青を持った囚人の海賊房太郎さん。もう一人はロシアの狙撃手の方だそうで、名前がわからないから頭巾ちゃんと呼んでいるそうだ。彼は尾形に口を撃たれて喋ることができない。日本に来たのは尾形を追っているからだと聞いて、私は何と言っていいかわからなくなった。
 樺太での話を聞きながらライスカレーを口に運ぶ。カレーは評判の通りおいしかった。しかし半分も食べ切らないところで店の壁が破壊される。何事かと思ったら牛山さんだった。続いて銃を構えた土方さんが現れ、杉元さんが銃剣を抜く。店内は大混乱となった。
 外へ出ると妙な格好をした門倉さんが走ってきた。そして彼の口から尾形という名前を聞く。尾形は土方さんたちと行動を共にしていたそうだ。今さっきまでこの近くにいたらしい。
 アシパさんは再び土方さんたちと手を組むことに決めたようだ。
 話がまとまり、土方さんたちが拠点としている場所へ向かうことになった。尾形が現れるかと期待したが、今のところ何もない。杉元さんが言うには「俺たちが合流したから出てこれなくなったんだろう」ということだ。尾形があの乱闘騒ぎをどこかで見ていたのだとしたら、私のことにも気づいたのだろうか。
「……来ないのか?」
 アシパさんが立ち止まって私を振り返る。
「私は鶴見中尉に言われてここに来ているから、みんながどこを拠点にしているか知らないほうがいいと思う。私にその気がなくても後をつけられたりするかもしれないし」
「そうか……、気をつけるんだぞ」
 私はみんなに別れを告げて街の探索に戻ることにした。尾形のほうから来てくれると思っているわけじゃないけど、少し期待したのも事実だ。それほどあの写真は私にとって衝撃だった。今もどこかで私のことを見てくれているんじゃないかって、自惚れもいいところだ。
 結局、尾形と接触することはできないまま日が暮れた。街で宿を取ったが第七師団からの接触もない。札幌に来いとは言われたが、そのあとは自由にしていていいのだろうか。
 翌日、日が沈むころに私の前に現れたのは月島軍曹と鯉登少尉だった。鶴見中尉は明日にでも札幌に到着するらしい。
 私は意を決して二人に聞いてみた。鶴見中尉が私に何を期待しているのか、と。
「期待ぃ?」
鯉登少尉がとても不服そうだったので訂正しておく。
「どう利用しようとしているのかということです。ただの親切な人じゃないというのはわかっていますから」
鯉登少尉は拳銃を私の喉元に突きつけた。私は声を発することもできず、ただ周りの人がざわざわと騒いでいることだけはわかる。
 しばらくすると拳銃は下ろされた。フンと鯉登少尉が鼻を鳴らす。
「尾形百之助をおびき寄せるエサにもならん」
「……演技力が足りなかったのでは?」
「月島ァ!」
奇声を上げる鯉登少尉をなんとかなだめる。どうして私がこんなことしなければならないのか。
「私を人質にするつもりですか? 尾形は危険を冒してまで他人を助けるような人じゃないですよ」
「ならどうして札幌までのこのこやって来た? 鶴見中尉殿が厚意でやっているわけじゃないと知りながら、心のどこかで危険が迫れば奴が助けてくれると期待しているんじゃないのか?」
図星をつかれて言い返せなくなる。月島軍曹が肘で鯉登少尉の脇腹をつつく。鯉登少尉はハッとして、それから気まずそうな顔をして咳ばらいをした。
「……私は尾形百之助のことが大嫌いだ。だがそれはお前に関係のないことだった」
「鯉登少尉の言ったことは正しいです。だけど、尾形が助けてくれなくても……私が尾形をみつけて連れ去るくらいの気持ちでここまで来ました」
もういいでしょうと、私たちの間に月島軍曹が入ってくる。鯉登少尉にも月島軍曹にも鶴見中尉の考えは知らされていないそうだ。それでこの話は終わり、次はこれからのことについての連絡だった。
 宇佐美が突き止めた情報によると、今晩また殺人事件が起こるらしい。宇佐美もいるのかと思うとげんなりする。それはさておき、第七師団としてはそこで刺青を確保しておきたいそうだ。
「あの、それで私は……?」
「囮になれ。……ああ、近くで月島が待機する手筈になっているから安心していいぞ」
「……え?」

 実のところ、尾形なんて関係なくて私はただいいように使われているだけなんじゃないだろうか。殺人鬼をおびき寄せるため、私は札幌ビール工場の近くで娼婦の振りをすることになった。
「娼婦の振りって何をしたらいいんですか?」
鯉登少尉に尋ねると、彼はなぜか月島軍曹のほうを見た。
「今日はただ立っているだけでいい。近づいてきた男に刺青があるかはこちらで確認する」
「わかりました」

……しかし、待てども待てども誰も声を掛けてこない。この作戦は失敗なんじゃないだろうか。そんなことを考えていたらどこからか花火が上がった。物陰に身を潜めていた月島軍曹が姿を見せる。
「……これ、失敗ですかね」
「……娼婦っぽくなかったのかもしれん」
慰めともとれる言葉を残して月島軍曹は行ってしまった。私はもう宿に戻るなり好きにしていいそうだ。それならそれで、私は尾形を探させてもらおうじゃないか。

 銃声が多すぎる。網走のときのように尾形をみつけられたらと思ったが、難しそうだ。尾形がいるならどこか高い場所に窓がある建物の中だろう。私は工場の敷地内の建物を一軒ずつ調べて回ることにした。
 一つ目の建物は外れ。窓から外を覗くと、ちょうど向かいの建物に杉元さんの姿が見えた。尾形や杉元さんたち以外に遭遇したら何と言い訳すべきか、考えながら階段を下りる。
 次の建物の階段には血痕が残っていた。上りたくない……けど、尾形が大怪我をしているかもしれないのだから、引くわけにはいかない。
――ダン!
 かなり近くで銃声がした。この上に誰かいる。そう思ったら急に足が震え始めた。血痕はこの先にも続いている。……どうしよう、覚悟してここまで来たんじゃなかったのか。でも、こんなところで尾形に会えないまま死ぬのも嫌だ。
 進むことも戻ることもできないまま立ち止まっていたら、上のほうから足音が近づいてくる。私は自分の太ももをつねって先へ進んだ。もし知らない人だったら迷子になったとでも言えばいい。いきなり撃たれるなんてこと……考えたら吐きそうになるのでやめた。
「止まれ」
 見上げてキラッと光ったのは銃身だった。だけど姿を見なくても声でわかる。
「尾形ッ!」
私は階段を駆け上がった。撃たれるかもしれないなんて全く思わなくて、目を真ん丸にした尾形の胸に飛び込むまで、きっと私は不死身だった。