ガラスの破片を踏みたくなって05

 谷垣さんは恩返しのため軍を抜けて村に残っているそうだ。彼は仕掛け矢で足を痛めたところをアイヌの村の人たちに助けてもらったという。
 私も怪我が治るまではとりあえずということで、村のお世話になることになった。
 村の人たちはみな親切で、私も仕事を習いながら日々を過ごしていた。刺繍や料理など、没頭できるものがあるというのはいい。もう何日も経ったというのに、夜ひとりで横になると私はまだ尾形のことを思い出してしまう。
 この感情の名前がわからない。悲しいような憎いような、だけど嫌いというくくりにはしたくない。尾形の言葉で本当のことを聞きたい。早く忘れてしまえばいいのに、次第にその気持ちは強くなっていく。
 尾形に貸してもらった外套は裾が破けてしまっていた。尾形はもう返されることを期待していないだろう。内心でそう言い訳して私は外套を刺繍の練習台にした。教えてもらった模様は、魔よけの意があるそうだ。

 顔の傷はやはり痕が残ってしまった。これ以上の回復は見込めそうにない。……だというのに私はまだアイヌの村にいた。
 出て行けとは言われない。村の人たちとは仲良くやっていけていると思う。ただ私が夜にうじうじしてしまうだけだ。
 そんな中、村を訪れた人たちがいた。いや、訪れたというのは正しくないかもしれない。その人たちの中には私がお世話になっている方のお孫さんもいたのだ。
 彼女はアシパさんというそうだ。彼女のほかにも男性が三人。彼女らの話の中に「金塊」という単語を聞いて、私の中で決心がついた。
「あの! 私も連れて行ってくれませんか」
 話を聞いていた全員が驚いていたようだった。谷垣さんは当然私のことを止めてくる。どうして、と理由を聞いてくれたのは杉元さんだった。
「会いたい人がいて……どこにいるかもわからないんですけど、その人も金塊のことを知っているみたいだったから、みなさんと一緒に行けばいつか会えるんじゃないかなって」
「金塊を狙ってるなら、その人と俺たちは敵対するかもしれないよ?」
「……私も説得はするつもりですけど、万一のときはすみません」
 言っている途中で我ながら無理がある話だというのは感じていた。もし断られたら一人でも行こう。この広い北海道で彼を見つけられる自信はないけれど、動けずにいる自分が嫌だった。
「私が探している人がどうかはわかりませんが、私自身は金塊の分け前はいりませんので」
「いいんじゃないか?」
 そう言ってくれたのはアシパさんだった。
「私は真実を知りたいから行く。ここにいても現状は変わらない。自分が納得できるかどうかという意味では、同じことだと思う」
 アシパさんの言葉もあって、私の同行は許可された。
 銃と、刺繍を施した尾形の外套を手に立ち上がると、谷垣さんと目が合った。
「持っていくのか?」
「はい」
「銃は武器だが、一歩間違えればお前の身を危険に晒すことだってある」
「はい。……それでも、私にはまだ重いかもしれないけど、持っていきます」
「……そうか」
 最後は言葉を飲み込んでくれたように見えた。私は谷垣さんと村の人たちに頭を下げて、アシパさんたちとともに出発した。

 旅の目的地は網走だそうだ。網走の監獄には金塊のありかを示す暗号を囚人の身体に刺青として掘った男がいるらしい。
 札幌、日高と経由して今私たちは夕張にいる。札幌へは武器や爆薬の補充のため。日高へは金塊の手がかりを持つ囚人がいるという情報があって寄った。
 結果的に日高にいた囚人は亡くなってしまって、その皮を杉元さんが剥いだ。金塊をめぐる道のりは思っていた以上に過酷だった。だけど引くという選択肢は私の中になくて、なんとか食らいついている。私にできることといえば銃を使った狩りぐらいのものだけど、獲物が捕れたらみんなが喜んでくれるので、ここにいてもいいのかと悩むこともなかった。
 夕張では杉元さんと白石さん、それからアシパさんとキロランケさんと私の二手に分かれて聞き込みをしていた。有益な情報は今のところない。
 刺青のある囚人が人前で肌を晒すことなんてあまりないだろうし、どうしたものか。考えていたら、視界の隅をふと見覚えのある影が通り過ぎる。
 アシパさんはちょうど通行人に声を掛けたところのようだった。キロランケさん、と呼んだ私の声が切羽詰まっていたからか、キロランケさんは目を真ん丸にした。
「どうした?」
「探してる人を見つけたかもしれなくて。ごめんなさい、行ってきてもいいですか?」
「あ、ああ……。じゃあ、あとで集合場所に」
「ごめんなさいっ!」
 早くしないと見失ってしまう。走って追いかけていたら、尾形らしき人はトロッコで炭鉱の中に入ろうとしていた。
「尾形!」
「……ああ?」
 尾形が乗るトロッコに手をかけると引きずられそうになる。尾形は舌打ちしながら私のことを引き上げてくれた。
「なんでお前がここにいるんだよ」
「聞きたいことがあって追いかけてきた」
 はあ、と尾形はため息をついた。この時点でわりと心が折れそうになる。尾形もなぜか銃を構えているし、ゆっくり話をできる状態でもなさそうだ。
「……ところで何してるの?」
「わかってて来たんじゃねえのか」
「金塊?」
「まあな」
と言いながら尾形は発砲した。
「何!?」
「レールを切り替えただけだ」
「この先に何かあるの?」
進行方向に向かって身を乗り出そうとしたら、尾形に頭を押さえつけられる。死にたくなきゃじっとしてろって、なんでそんな物騒なことになってるんだ。
「オイ止まれ止まれ! マイトに火をつけた、発破に巻き込まれるぞッ!」
「え!?」
「いかん。お前も手伝え」
私は尾形に言われるがまま銃身をトロッコの車輪に当てた。反対側で尾形も同じようにしている。かなり嫌な音がしているけど、減速していることはしていた。そうしていたら、前方から爆発音が聞こえてきた。
 トロッコは完全に止まった。尾形がトロッコから降りて車体を押しているので私もそれに続く。だけど今度はガスみたいな匂いが充満してきて、まずいと思ったときにはすでに体が宙に浮いていた。
「尾形、なんで……?」
私は尾形に抱きしめられていた。そのおかげで外傷はほとんどない。だけど尾形は頭から血を流している。どうして。私は弾避けなんじゃなかったのか。
「さらにデカイのが来るかもしれん! 早く外へ逃げろ!」
近くにいた炭坑夫が叫んだ。早く逃げないととは思うが、風が強くて立っているのも難しい。地面に這いつくばりながら進んでいるけれど、最初の入り口まで戻るとなると無理だ。
 先を進んでいる尾形がちらりとこちらを振り返った。
「……いいよ、先に行って」
「お前みたいな偽善者を見てると腹が立つ」
「うん……」
「止まるな」
 尾形は私の腕を掴んだ。グイと引かれて涙が出そうになる。全部谷垣さんと私の勘違いだったんじゃないかって、信じたくなってしまったのだ。
 おそらく尾形も出口がどこにあるのかわかっていないようだった。分かれ道で尾形は一瞬迷いを見せた。進もうとして、しかしその反対方向から声を掛けられる。運が味方したのか、私たちは出口までたどり着くことができた。
 私たちが出てすぐに入り口は封鎖された。被害を最小限にするため必要なことらしい。
 尾形の額ににじむ血を指でそっと拭う。そのときすでに私は涙を流していた。
「何だよ」
「死ぬかと思った」
ぎゅうと尾形に抱き着いて泣いた。聞きたいことがたくさんあるのに、全部忘れてしまいそうだ。
「死ぬのが怖いくせに置いて行けと言うのか」
「置いて行けとか言ってない!」
「……よくわからんな」
「なんでわかんないの! 尾形に死んでほしくなかっただけなのに、そんな言い方ばっかりして」
なおもわあわあと泣いていたら、尾形に体を引きはがされた。尾形と目は合わない。彼の視線の先を追うと、杉元さんやアシパさんたちがいた。それからなぜか札幌で出会った牛山さんもいる。
「……手を組むしかねえか」
「ほんと?」
「泣くか笑うかどっちかにしろ」
「だって殺し合いになるかもしれないって杉元さんが言ってたから」
よかったと安心する私を見て、尾形は呆れたような顔で髪をかき上げた。