ガラスの破片を踏みたくなって06
アシリパさんや杉元さんと合流した私たちは、街の隅にある工房に来ていた。工房の中には剥製がたくさん置いてある。人間の形をしたものもあった。間違っても「剥製って本物を使って作るんですよね」なんて恐ろしくて聞けやしない。
尾形が炭鉱で追っていたのはこの工房の主だったそうだ。その人は炭鉱内で亡くなってしまったらしい。そしてなぜ追っていたかというと、贋物の刺青人皮を作っていたからだということだった。
六体の人間剥製のとなりで私たちは家永さんの作った鍋を食べることになった。尾形がここに来るまでに手を組んだという土方さんや永倉さんも合流している。
家永さんが作ったのは馬の腸を煮込んだモツ鍋だった。おいしいけれど、目に入るところに剥製さえなければなあと思う。
杉元さんは手を組むことに関して懐疑的のようだ。特に尾形が鶴見中尉を裏切っていることが気になるらしい。一度寝返ったやつはまた寝返る、と。
「杉元……お前には殺されかけたが俺は根に持つ性格じゃねえ。でも今のは傷ついたよ」
傷ついてなさそうな顔で尾形が言う。しん、と部屋が静かになった。白石さんが「ケンカするな」と言ってくれたのが幸いだった。
杉元さんは私が探していた人が尾形だったということに、私は尾形の顎が割れる原因が杉元さんだったということに驚いていた。尾形が入院しているときに「不死身の男にやられた」と聞いていたけど、杉元さんのことだったなんて全く思いもしなかった。意外と世間は狭いのかもしれない。二人がこれから仲良くやって行けるかどうか、かなり心配だ。
鍋を食べながら私たちは今後について話し合い、まずは贋物を見抜けそうな人物を探すことが決まった。家永さんの心当たりにあった熊岸という男は、贋札を作って月形の樺戸監獄に収監されているそうだ。
話が一段落すると、次は工房に手がかりが残されていないか探ることになった。ここで贋物の判別方法がわかってしまえば、わざわざ月形に行く必要がなくなるからだ。
それにしても人が多い。探すといっても手持無沙汰になりそうだったので、私は外に出ることにした。何か落ちていないだろうか。下を見ながら歩いていたら、突然背後から口を塞がれる。
「んんーッ!」
「静かにしろ」
私の後ろにいたのは二階堂だった。その他にもゾロゾロと軍服を着た兵士たちが家を取り囲むように増えてきている。どうにかして中のみんなに知らせたかったけれど、二階堂のせいで身動きが取れない。そうこうしているうちに家の中に火のついた瓶が投げ込まれてしまった。
「なんでお前がここにいる」
二階堂は私の口から手を離した。しかし別の男から銃を突きつけられているので下手なことはできそうにない。
「……尾形を追いかけて」
ク、と二階堂は笑った。
「見ただろうお前も。俺がヒグマに襲われてんのを呑気に眺めてるようなクソ野郎だ」
「……私が撃つ前に尾形も撃ってた」
「あいつはお前が銃の扱いにモタついてる間、谷垣が出て来るのを待ってたんだよ!」
「……そんなこと、」
「お前のことなんて言ったか知ってるか? 『弾避けに使えるかもしれんから連れて行く』って、かわいそうになァ!」
「それは……谷垣さんに言われてたから、平気」
本当は平気なことなんて一つもない。唇を噛んで耐える私を二階堂は別の男に引き渡した。
「私のこと殺さないの?」
「……お前にはヒグマの件で借りがある。俺は杉元佐一さえ殺せればそれでいい」
そう言って二階堂は建物の中に入って行った。
私は銃を突き付けられたまま、近くの木の陰まで移動した。さっきからずっと銃声が聞こえている。火の勢いも増していくばかりで、まだ中から避難してきた人は誰もいない。
――ダン!
私を拘束していた男の手がだらりと滑り落ちて行った。周りにいた軍人たちも次々と倒れていく。幸い生きてはいるようだった。
燃える工房の二階の窓から尾形がこちらを見ている。
窓からアシリパさんや家永さんたちが脱出してきたのを見て、私は地面を蹴った。彼女らに合流して工房から離れる。それから少しして尾形や杉元さんたちも工房から出てきた。
まだ軍の追手がいたため尾形と話す暇もないまま街中へ向かっている。この大勢では目立つため樺戸監獄まで二手に分かれようという案が出てきた。
まだ合流できていないのが白石さんとキロランケさんと永倉さんだった。土方さんと家永さんはその三人を探してから出発するそうだ。
樺戸監獄まではできるだけ他人と接触しないようにしながら行こうということだった。川沿いに北を目指していたところ、牛山さんが小声で話しかけてくる。
「尾形と話さなくていいのか?」
「えっ……」
「さっきからずっとチラチラ見てるだろ?」
「あ、あとでゆっくりしたときにでも」
「そうかい」
実は一つ疑問に思っていることがあった。私はこの旅にどこまでついて行っていいのだろう。弾避けのことに関しては尾形から直接聞いてはいないものの、二階堂から正解をもらってしまった。それなら私の目的は達成してしまったのではないだろうか。二階堂から聞いたことに納得できないなら、すぐにでも尾形と話をすればいいのだ。……だけど、許されるなら網走監獄まで一緒に行きたい。決して長い時間ではないけれど、ここまで来る中でアシリパさんや他のみんなへの情が湧いた。彼女の旅を見届けたい。それから尾形のこともある。二階堂から聞いた事実は悲しかったけれど、今まで何度も助けてくれた尾形のことはやっぱり嫌いになれなかった。……それと、もしかしたら今は「弾避け」なんて思ってないんじゃないかって、実は少し期待をしている。馬鹿だなと自分でも思うけど、そうでも思っていないと立っていられそうにないのだ。
「見ろ杉元。トゥレプタ チリがいる。ヤマシギだ」
アシリパさんが指差した先にはヤマシギが三羽いる。ヤマシギは私も食べたことがあるけど鍋にするとこれがまたおいしい。アシリパさんは脳ミソが好きなようだ。
気付かれないように茂みの中に隠れながら様子をうかがっていたら、尾形が銃を構える。アシリパさんがそれを静止すると、尾形は不満そうな表情を見せていた。
その日はアシリパさんの教えにしたがって、ヤマシギ用の罠を仕掛けて休むことになった。焚き火ごしにチラリと尾形を見ると、ちょうど目が合ってしまう。ここで目を逸らすのも変だと思って私は尾形の隣に移動した。
「何だよ聞きたいことって」
「え?」
「言ってただろ、炭鉱で」
「ああ……」
後で、と言ったのを尾形は覚えてくれていたようだ。というか何を聞かれるのかずっと気になっていたのかもしれない。
私はぎゅうと自分の膝を抱きしめた。答えを聞くのが怖かったのだ。
「それとは違う話なんだけど……どうして何度も助けてくれたの?」
「助けたのは助けられる状況だったからだ。俺は自分の命を投げ捨ててまでお前を助けたりはせん」
「そう……。でも三回も助けられちゃったね。私、尾形がいなかったらきっともう死んでるよ」
「俺がいなきゃそもそも家が燃えたりはしなかったかもしれないがな」
「責任感じてるの?」
「いいや全く」
尾形の一貫して悪びれない様子に気が抜けて笑ってしまった。「で」と尾形は続きを促してくる。
「わ、わたしのこと……どう思ってる?」
目を真ん丸にした尾形を見て、しまったなと思った。気付けば杉元さんや牛山さんも私たちのほうを興味深そうに見ている。アシリパさんが寝ているのが唯一の救いだ。
「あ、ちがう……違うの」
「聞いてやるから落ち着け」
「私のこと弾避けにしようとしてるって!」
焦りで早口になってしまった。だけどちゃんと言えた。尾形が驚いているのは、なぜそれを私が知っているのかということだろう。
「今の話、本当かよ」
「あ、杉元さん! 気持ちは嬉しいけど、大丈夫。アシリパさんも起きちゃうし」
立ち上がった杉元さんは今にも尾形に掴みかかりそうな勢いだったけど、私の言葉を聞いて腰を下ろしてくれた。
「最初は谷垣さんがそうなんじゃないかって忠告してくれて、お昼には二階堂さんからそうだったって聞いた」
「……わざわざ俺の口から確かめるためにここまで来たのか?」
「そう。もし本当のことだったとしても、今はそんなことないって、思って……くれてたら……いいな、って」
「は、健気なもんだ」
「……け、健気な人はきらい?」
「さあな、知らん」
けっこう勇気を出して聞いたのに、尾形はフイと顔を逸らしてしまった。その一方で他二人からの生温かい視線を感じる。特に杉元さんは目をキラキラと輝かせていて、さっきまで尾形に掴みかかろうとしていたのが嘘みたいだ。
「……答えてくれないなら、ずっと付きまとうから」
「お前に限った話じゃない。俺が生き残るためなら誰だって身代わりにする。これで満足か?」
「満足は、してない……。でも答えてくれてありがとう。それから助けてくれたことも」
「フン」
私は尾形に背を向けて寝そべった。尾形もそうしたみたいで、背中同士がわずかに触れる。
弾避けというところに関して尾形の認識が変わったわけではないようだが、思っていたよりは平気だった。朝になったらアシリパさんたちに、網走まで一緒に行きたいと言ってみよう。朝食はヤマシギだろうか。罠にたくさん掛かってくれてたらいいなあと願いながら私は眠りについた。