ガラスの破片を踏みたくなって07

 朝起きたら隣に尾形の姿はなかった。目が合った牛山さんは「さあ?」とでも言うように首を傾げている。罠の確認はアシパさんと杉元さんでするそうなので、私は尾形が近くにいないか探してみることにした。
 朝の澄んだ空気が気持ちいい。こうしていると金塊をめぐる争いなんて忘れてしまいそうになる。みんなでずっと獲物を取って、料理して……という生活が続けられたら楽しいだろうな。そんなこと言ってる場合じゃないってわかってるけど、心の中で考えるくらいは許してほしい。
「あ、尾形」
「ん」
 尾形は声を掛けるなりヤマシギを三羽ずいと突き出してきた。
「どうしたの? これ」
「捕ってきた。罠には二羽しか掛かっていないようだったからな」
「みんなのために? ありがとう」
「……自分が食べたいからだろう」
 尾形はそう言って髪を撫でつけた。照れているのだろうか。かわいいなと思ったのが顔に出ていたのか、尾形がムッと眉を寄せる。
「尾形は銃の扱いが上手だよね」
「何だよ急に」
「私のそのくらいできたらなあって。でも今まであんまり練習したことなかったから仕方ないのかな。尾形は昔から狩りもやってたの? 軍に入ってから?」
「……昔、じいちゃんに」
「おばあちゃん子って言ってたもんね」
 尾形が差し出してきたヤマシギを受け取ろうとするが、尾形はいっこうに手を離そうとしない。持ってほしかったわけじゃなかったようだ。尾形がヤマシギを持ったまま無言で歩き出すので私もその後を追った。

 もといた場所に戻ると、アシパさんたちが罠で捕れたヤマシギの羽をむしっているところだった。
 尾形は見せつけるように三羽のヤマシギをみんなの前に落とした。牛山さんに「よく撃ち落とせたな」と言われて嬉しそうにしている。杉元さんはそんな尾形の様子が気に入らないみたいだったけど、羽をむしるのに忙しいみたいで言い争いにまでは発展しなかった。
「チンポ先生、ヤマシギの脳ミソです」
アシパさんは塩を振ったヤマシギの脳ミソを牛山さんに差し出した。牛山さんはすごく微妙な顔つきだった。気持ちはわかる。だって脳ミソ……しかも生なのだ。ただアシパさんのキラキラした瞳には逆らえなかったみたいで、結局牛山さんはちまちまと口に運んでいた。
 しかしその次、尾形があまりにもあっさりと断るのだ。これには牛山さんだけでなく杉元さんも驚いていた。断ってよかったんだって、二人の顔が言っている。
 私はここに来るまで何度か脳ミソをもらったことはあったから、そこまで抵抗はなかった。ただやっぱり慣れない。おいしいと言えばおいしいんだけど、火を通してもいいんじゃないかなあという気持ちのほうが強いのだ。
 残りの部分はチタタにするということで、みんなで順番にヤマシギを叩いている。
「アシパさん、尾形がチタタプって言ってません!」
杉元さんが手をぴしゃりと上げながら言った。アシパさんはヤレヤレという顔で尾形に近づく。
「尾形ぁ~どうした?」
尾形はなおも無言を貫いていた。そのやり取りがおかしくて笑っていたら、尾形に睨まれてしまう。でも全然怖くない。
「おい、何がそんなにおかしい」
「なんか、妹に振り回されるお兄ちゃんみたいだなって」
あ、と思ったのは言ってしまったあとだった。尾形が父親と弟を殺してしまったって、忘れていたわけじゃないのに。
「……ごめん」
「いやなんで今度は急に落ち込んでんだよ」
「だって私、今すごく無神経なこと言った」
尾形はぽかんとした顔をしていた。しかしすぐに、ああと頷く。
「今に始まった話じゃねえだろ」
「……そんなに?」
つまり他にも失言があったということだ。どれだろう。罪悪感がないって言ったのは一度謝ったけど……ああ、偽善者と言われたこともあった。こうやって私が一人で大騒ぎしているところも尾形は嫌なのかもしれない。
「ちょっと来い」
「え、でも……」
「どうせあとは煮るだけだろ」
「うん……」
ごめんね、とアシパさんに言って席を立つ。歩いているあいだ、尾形の顔が見えなくて不安が増していった。
 アシパさんたちからある程度離れたところで尾形は足を止めた。くるりと振り返った彼の表情は、いつも通りのように見える。だけどすぐに眉を寄せてチ、と舌打ちをした。
「面倒くせえ」
「……ごめん」
「いや……視線が気になったから」
「え?」
 尾形の視線の先を追うと杉元さんと目が合った。声は聞こえていないと思うけど、なんだかちょっと恥ずかしい。
 怒られるつもりで来たけど、尾形は無言で遠くを見つめていた。私から話をしたほうがいいのだろうか。でも、話すと言ってもまた謝ることになってしまいそうだ。
「尾形」
「何だよ」
「何か言いたいことがあったのかなと思って」
「ああ……」
まるで忘れていた、とも受け取れるような言い方だった。
「……さっきのも罪悪感ってやつか?」
「え……と、お兄ちゃんみたいって言ったことなら、そうだよ。触れてほしくなかったかなって」
「前はあんな無遠慮に聞いてきたくせにか」
「……ちょっとは遠慮もしてるんだよ」
「まだ聞きたりないって?」
はは、と尾形は笑った。背中がぞくりとする。尾形の言う通り、まだ聞きたいことがあったのは事実だ。そんな浅はかさを知られてしまったことが、今さらかもしれないけど恥ずかしかったのだ。
 いつかみたいに尾形は「で」と続きを促してきた。本当に聞いてもいいのだろうか。迷っているあいだも尾形からの視線をひしひしと感じて居心地が悪くなる。
「一つ、言い訳をしてもいい?」
「言い訳?」
「尾形のことね、全然わからないの。知りたいのに。私が今まで会ったことある人に尾形みたいな人っていなかった。だからいろいろ聞きたくなっちゃう。嫌だったら嫌って言ってね」
「……嫌ならいちいち話さねえだろ。宇佐美を見習えよ」
「え、罵倒されたいってこと?」
尾形はわざとらしく大きなため息をついた。「なんでお前はこう……」って、呆れたような視線を向けられている。
「というか、いつまでついて来るんだ」
「えっと、」
……どうしよう。みんなの前で言うつもりだったけど、尾形には先に言ってしまおうか。その答えが「ついて来るな」だったら落ち込みそうだ。尾形ならあり得そうで怖い。
「網走まで一緒に行きたい」
「お前も金塊が欲しいのか?」
「ううん。せっかくだからって言い方はおかしいかもしれないけど、ここでお別れってのも……私も行く場所ないし」
「ああ、寂しいのか」
「……そうかも。尾形はどうするの? 金塊が手に入ったら何がしたい?」
 尾形は無言でうつむいた。言いたくなかったのだろうか。
「杉元は惚れた女のためって言ってたな」
「そうなんだ」
もしも尾形も同じ理由だったら嫌だなと思ってしまった。それ自体はすごく素敵な理由だと思うが、尾形の口からは聞きたくない。
「無理に言わなくても大丈夫だからね」
「さっきからそればかりだな」
「……うん。あの、もし嫌じゃなかったらだけど、金塊見つけたらあとでいいから、一緒にあんこう鍋を食べたいな」
「別に網走に金塊があるわけじゃねえだろ」
「……そうだね」
「覚えてたらな」
尾形は私から顔を逸らして言った。嬉しいのに胸がギュッとなる。しかし鍋ができたとアシパさんに呼ばれたものだから、私は返事をする機会を失ってしまった。

「あ、あの! 私も網走まで一緒に行っていいですか?」
 私の決死の告白を聞いた三人はぽかんとしていた。唐突すぎたかもしれない。そう考えると急に恥ずかしくなって、頬にカッと血が上ってくる。
「あ、そっか。尾形を探してるって言ってたもんね」
 杉元さんの言葉で私の頬はますます熱くなった。尾形を追いかけてきたっていうのは本人にも言っているけど、改めて言われると結構とんでもないことをしたんじゃないかと思うのだ。
「言われなくても私はそのつもりだったぞ」
「うん俺も」
アシパさんと杉元さんに続いて、うんうんと牛山さんも頷く。尾形は相変わらずそっぽを向いていたけど、否定されなかったことが嬉しかった。