ガラスの破片を踏みたくなって09
樺戸監獄の近くの宿で土方さんたちと合流した。……が、ここに来る途中で白石さんが第七師団に捕まってしまったそうだ。白石さんのことは諦めようという空気になっていたが、杉元さんは助けたいと言う。その方法として、詐欺師の鈴川を使うということだった。
白石さんが連れて行かれたのは旭川にある第七師団の本部らしい。第七師団と言えば、言わずもがな尾形の所属していた部隊だ。旭川の街中を堂々と歩いていたら目立ってしまう。そこで私たちは近くのアイヌのコタンに潜伏して作戦を練ることになった。途中で鈴川が逃げ出そうとしていたが、かなり痛い目にあっていたようなので次はないだろう。
決まった作戦としては、鈴川が犬童四郎助という網走監獄の典獄に成りすまして白石さんの居場所を聞き出すというものだった。土方さんも永倉さんも「似てない」と言っていたが、鈴川が髪や眉を整えていくうちに、彼を見る目が変わっていった。
私から見ればもう潜入できそうなものだったが、鈴川によると他にもいろいろ準備が必要らしい。しかし準備といっても鈴川のほうで事は済むそうだ。することのなくなった私たちはコタンで休ませてもらうことになった。
アシリパさんはすでに土方さんに寄りかかってスヤスヤと眠っている。アシリパさんを眺める土方さんの目は優しい。床にそっと寝かせてあげて、私もその隣に横になった。
鈴川が準備をしているというあいだ、私たちは何度か旭川の街とコタンを往復した。白石さんがどこに捕まっているのか少しでも情報を探るためだ。
私は尾形と一緒に街を回っていた。そんな場合ではないとわかってはいるが、旭川は栄えているので見ているだけでも楽しい。
「おい、なにキョロキョロしてんだ」
「……えっと、今日は何を食べようかなあって」
「目立つだろうが」
「ごめん」
実を言うと私はあんこうを探していた。しかし旭川は港町でもなく、希望は薄い。尾形に言ったら鼻で笑われて終わりだろう。理由を言わないのは驚かせたいという気持ちも多少あるからだが。
「軍服を着た人が多いね」
「兵営があるからな」
「尾形の知り合いもいたりする?」
「まあ、いるだろうな。お前も一応顔が割れてんだ。油断するなよ」
「うん」
私は外套を頭まで深く被りなおした。尾形に返そうと思っていた外套だが、再会したときすでに尾形が別のものを着ていたので返しそびれてしまったのだ。……まあ、返せとも言われていないから私も甘えているところはある。
結局大した情報を得られないまま私たちはコタンに戻った。杉元さんたちも白石さんに関する情報は得られなかったそうだ。
「見ろよ」
キロランケさんがにやりとした顔で紙を広げた。いったいどこから入手したのか、街の地図のようだ。
「白石を連行した連中の肩章の番号が二十七だった。旭川に四つある歩兵聯隊のひとつ……歩兵第二十七聯隊」
キロランケさんが指したのは二十七聯隊の兵舎だった。ちょっと待て、と尾形が声を上げる。杉元さんが振り返って首を傾げた。
「どうした尾形」
「いやお前らアホか」
尾形が外套を肩までずり上げる。そこには二十七と書かれた肩章が縫いつけられていた。
「あ、そうだったっけ。ってことは鶴見中尉も同じ聯隊か……」
これはますます気をつけなければならなくなった。さすがに鈴川一人で潜入するというのは無理がある。そこでもう一人に選ばれたのが……
「似合ってるぞ杉元!」
アシリパさんは杉元さんの変装を気に入ったようで、けらけらと笑っている。
五年前に家永さんに顔をズタズタに食い千切られて白い布を被っている、犬童の部下という設定だ。単純に見た目が不気味で怖い。
「これならバレない! けど白石だったら服を見て杉元だとわかる」
「本当に大丈夫ぅ?」
「声もそれっぽくしたらいいんじゃないか? まあ、あまり喋らず鈴川に任せておいたほうがいいとは思うが」
「イヌドウ……」
杉元さんの絞り出したような声にアシリパさんは吹き出してしまった。ボロが出ても困るため、「イヌドウ」しか喋らないという設定も加わった。決して面白かったからではないと思いたい。
杉元さんと鈴川で潜入し、万一に備えて尾形が外で狙撃準備することになった。私とキロランケさんとアシリパさんは、逃げるための馬を準備して敷地の外で待機。三人のことが心配ではあったが、中に潜入することはもちろん尾形の近くにいても目立って邪魔になってしまう。馬を連れて近づきすぎるのも怪しまれてしまうため、待つことしかできないのだ。しかし、
「何だか雲行きが怪しいな……」
キロランケさんの視線の先には兵士が数名。思っていたより脱出が困難になるかもしれない。
「私、南側に回ってみます。二人はこのまま作戦通りで」
「そうだな。もしかしたら散り散りになるってことも想定しておいたほうがいい。もし何かあったら網走で合流だ」
「一人で大丈夫か? 何かあったらすぐに逃げるんだぞ」
「うん。もし見つかったら迷ったって誤魔化すよ。アシリパさんとキロランケさんも気をつけて」
私は馬を一頭連れて敷地の外をぐるりと半周した。「この辺りでいいか」と思ったまさに今、敷地内のほうから銃声が聞こえてきた。
銃声を聞きつけたからか、兵舎からは次々と軍人が飛び出してくる。……これは非常にまずいのではないだろうか。
どうすればいいか迷っているあいだにも、さらに銃声が続く。私は意を決して馬に飛び乗った。
「きゃあああ! ごめんなさい、馬が暴れて! みなさん、どいてください!」
馬にしがみつくような体勢で敷地内を掛け抜ける。敷地内の兵士は私を避けるように道を空けた。どうやら疑われてはいないようだ。
窓から杉元さんと白石さんが飛び降りてくるのが見えた。鈴川は見当たらない。
杉元さんは撃たれているようだった。走って逃げるのは難しいだろう。私はギリギリまで杉元さんに近づいて、馬から転げ落ちた。
二人は目を丸くしていた。しかしすぐに状況を察してくれたようで、白石さんが杉元さんを馬に乗せる。
「杉元こっちはダメだッ! 南へ逃げろ!」
尾形が駆け寄ってきながら南側を指さした。アシリパさんたちが待機していた方向は、すでに兵で固められているらしい。
「大丈夫?」
白石さんは私の腕を引いて立たせようとしてくれた。だけど立とうとしたその瞬間、左肩にズキっと痛みが走る。
「馬から飛び降りたときに肩を痛めてしまったみたい。全速力では走れないかも……私は殺されたりしないと思うから、白石さんは気にせず逃げてください」
「おい白石ッ! その諦めようとしてる女を引きずってでも連れてこい!」
遠くで銃を構えた尾形が叫んでいる。
「え、ええっ!?」
白石さんは戸惑いながら尾形と私を見比べた。
「こっちの肩は大丈夫?」
「はい、でも……」
「尾形ちゃんがあんな叫んじゃったからもう仲間ってバレてるよ。頑張って逃げよう」
「はい……」
差し出された白石さんの手を、私はぎゅうと握った。
尾形の援護で何とか逃げているような状態だった。このままでは捕まってしまう。そう思っていた矢先に見つけたのが気球隊の試作機だという飛行船だった。
尾形といつの間にか馬を降りた杉元さんで飛行船の周りの兵を追い払っている。一人だけ操縦席に残して私たちは飛行船に乗り込んだ。ゆっくりと浮かび上がるあいだにも、追手がぞろぞろと差し迫っている。
相手は引火を恐れて撃てないようだった。しかしそれはこちらも同じこと、飛行船にしがみつこうとする兵を銃の持ち手を使って叩き落としている。完全に機体が浮けば、操縦士も蹴り落としてあとは逃げるだけ。だが、山のように群がった兵士の背中を一人の男が駆け上がってきた。
男は他の兵と違う、白の軍服を着ていた。襟元には二十七の数字が刻まれている。尾形とは面識があるようだ。
男は何か言っているが、早口すぎて「鶴見中尉」以外は何も聞き取れない。
「相変わらず何を言ってるかサッパリ分からんですな鯉登少尉殿。興奮すると早口の薩摩弁になりモスから」
煽るような尾形の言葉を受けて、鯉登少尉が切りかかってくる。杉元さんが銃剣で受け止めたが、かなり形勢が危うい。
一方的に杉元さんが攻撃されている。その状況を変えたのが一本の矢だった。……アシリパさんの矢だ。
鯉登少尉がひるんだ隙に白石さんが頭上から蹴りを入れる。白石さん共々落ちて行ったかのように見えたが、白石さんは自分の身体に縄を括りつけていたため無事だった。だが、白石さんのすぐ先には木が差し迫っている。
「痛ッ! 痛ででッ!」
白石さんはそのまま木に突っ込んでしまった。バキバキと音が痛々しい。しかし(白石さんには気の毒だが)悪いことばかりでもなかった。木の上からアシリパさんが白石さんに飛び移り合流できたのだ。
アシリパさんと白石さんを引き上げたあと、杉元さんと私の傷の具合を確認することになった。杉元さんはアシリパさんが見て、私の肩は尾形が見てくれている。尾形は私が背負っていた銃をヒョイと取り上げた。
「しばらく銃はお預けだな」
「……どうなってるの?」
「詳しいことはわからん。骨折か脱臼だろうがな。どちらにせよ肩を固定しておいたほうがいい」
肩に触れる尾形の手は優しかった。布を使って肩と腕をぐるぐる巻きにされる。それを見ていた杉元さんが申し訳なさそうな顔で私に声を掛けてきた。
「ごめんね、俺のせいで。でも助かったよ……ありがとう」
「いいえ、杉元さんは大丈夫でしたか?」
「左胸にまだ弾が入ってるって。まあ、何とかなるよ」
「こんな危険を冒してまで俺を取り戻しに来るなんて……俺は脱獄王だぜ? 自分で逃げられたのに……」
「みんな白石は諦めようと言った。助けに行こうと言ったのは杉元だけだ」
アシリパさんの言葉を聞いて白石さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「網走では白石が必ず俺たちの役に立ってくれる。信じてたから助けに行こうと決めた」
でも、と杉元さんは続けた。
「お前、土方と内通してたな?」
白石さんがゾッとした顔で飛行船から飛び降りようとする。それを引き留めたのも杉元さんだった。
杉元さんは懐から囚人の刺青を写した紙を取り出した。これは白石さんが札幌で牛山さんに手渡したものらしい。牛山さんから土方さんに渡されたそれは、旭川に潜入する前に杉元さんの手に戻って来たそうだ。土方さんとしてはそれが本物かどうか確認する意図もあったのだろう。
「……デタラメの写しだった。白石は俺たちを裏切ってなかった」
杉元さんがにこりと笑う。白石さんもほっとした様子で、あとはこのまま網走を目指すだけだ。