転生したら角名倫太郎に振られた後の世界だった06
ゴールデンウィーク初日、部活を終えた私は自宅で物理の教科書と向き合っていた。
短いスパンで昔のことを思い出していたからイケるかもしれないと思ったのが甘かった。あれから一週間、過去の夢は一度も見ていない。
仕方ないから一年生のときの教科書を探し出したが、イマイチやる気がでなかった。今度は問題集を広げて、とりあえず試験範囲内のパターンをいくつか丸暗記している。
まあこの調子でやれば赤点を回避できそうだなという手ごたえはあった。しかし一科目だけ赤点回避すればいいというものでもないので、まだまだ先は長い。孤独な戦いである。
「めっちゃ勉強してるとか言う人初めて見た」
角名くんの「初めて見た」というセリフ、前回のやらかしを思い出すから本当にやめてほしい。
ゴールデンウィーク二日目、私が朝からやたらとげっそりして見えたらしく、角名くんが声を掛けてくれたという状況だった。
ネットを固定するロープを縛りながら私は答える。
「……私この状況で勉強してないとか言ったらヤバくない?」
「まあ確かに。調子はどうなの?」
「頑張れば赤点回避はできそう」
「なんかその全く謙遜しない感じ、新鮮」
「赤点取りそうなら部活休んで勉強しろって北さん言いそうだし」
「あ~……」
何か心当たりがあったらしく、角名くんは遠い目をした。
ロープを縛り終えて、今度はネットの高さの確認をする。大丈夫そうだったので、サイドバンドとアンテナを取り付けた。
「そういう角名くんは成績どうなの」
「必要最低限はやってる」
「ふーん。謙遜してそれなんだ」
「いや、あんたに合わせてありのまま言っただけ」
「なんだ、一緒に焦りたかったのに」
「ゴールデンウィーク終わったくらいから双子が騒ぎ出すと思うよ。テスト前は部活できないしね」
「……それはあんまり関わりたくないかも」
「一緒に勉強すればいいじゃん」
角名くん、完全に面白がっていますねこれは。私じゃあの二人は手に負えないし、そもそも一緒に勉強するような仲でもないのに。
「教えられることもないし教えてもらうようなこともないかな」
「うわ辛辣」
「事実だし」
ネットが完成し、私は角名くんの頭上にむかってふんわりとボールを投げてみた。角名くんは文句を言いたそうにしながらも、バシンとスパイクを決めてくれる。
「いきなり何」
「やってみたかった」
「ちょっと低い」
「ごめんごめん。じゃあ私はドリンク作ってくるから」
角名くんが打ったボールをカゴに戻して外へ向かう。ジャグに水が溜まるのを眺めながら、ちょっとはしゃぎすぎたかもしれないなと反省したのだった。
で結局どうすんの。ゴミをまとめる私に治くんはそう言った。一体何の話だ。私が首を傾げると、治くんも同じように首を傾けた。かわいいな。
「勉強会。角名に誘われんかった?」
「えっ」
あれお誘いだったんですか……? いや違うな、私が「教えることも教えられることもない」とか先制パンチをかましたから言えなくなってしまったのだろう。最初から普通に誘ってくれたらよかったのに、そこに至るまでの会話が回りくどすぎるのだ。どうしたもんかな、と私は考える。
「どこでするの?」
「ファミレス」
「それ治くん大丈夫じゃなくない?」
「どういう意味や」
「だって注文したら料理が運ばれて来るんだよ?」
「まあ、せやんな。一年のときは俺んちでやったんやけどツムがうるさくしよって収拾つかんくなって、なら外のほうがええな思たんやけど」
「おいサム! なに俺のせいにしてんねん!」
「地獄耳か」
「聞こえとるわ!」
大股で近づいてきた侑くんが、治くんの背中に蹴りを入れる。治くんも負けじとやり返した。そう、これだから私の手には負えないのだ。
「あのー……」
とばっちりを食らわないよう距離を置いて声を掛ける。二人は掴みあったまま同時に私のほうに顔を向けた。
「私まだみんなについていけるようなレベルじゃないと思うから今回は遠慮しとくね」
まあ楽しそうではあるけど、女一人で混じる勇気はない。私の返事が意外だったのか、侑くんは「ほーん?」と、私にじりじり近づいてくる。治くんと取っ組み合いしていたことはすでに忘れてしまったようだ。
「あ、いや……決して嫌というわけではなく」
「俺らには『教えられることもないし教えてもらうようなこともない』やんな?」
「……誤解です」
侑くんがにこりと笑ったのを見たのは、これが初めてな気がする。っていうか角名くん、侑くんには言ったんかい!
「角名くんどこ!」
事の元凶にむけて叫ぶ。治くんがスッと指差した先を見ると、角名くんがスマホを構えているのが見えた。
このときの私は誰がどう見ても高校生そのものだっただろう。彼らと一緒になってぎゃあぎゃあと騒いでいたら、見かねた北さんから仲良く叱られたというわけだ。そして、
「勉強やったら学校ですればええやん」
というキャプテンのお言葉により、来週の放課後、なぜか私を含めた二年生チームで残って勉強をすることになった。学校ならまあいいかと私も強く断らなかったのである。
部活と勉強漬けの日々が続き、ゴールデンウィークはあっという間に後半戦に入った。残すところはあと二日……と言っても、今日の練習試合を終えれば明日は丸一日の休みだ。
練習試合は同じ兵庫県のシード校と行われる。私はスコアシートをきちんと書けるか不安で仕方がなかった。
「いや練習試合で緊張しすぎでしょ」
角名くんが私の横を通り過ぎていく。あいつ、他人事だと思って……!
そうして不安のなか始まった練習試合だが、蓋を開けてみればいいことだらけだった。まず一番大きかったのが、相手校のマネージャーさんと情報交換が(私がほぼ教わる側だけど)できたということ。日々の作業の時短とか、不安だったスコアシートも一緒に見てくれた。連絡先も交換したから、私にとっては大収穫だったと言える。そして楽しかった。やっぱりみんなも試合となるといきいきしているように見える。ただここでも双子の喧嘩は発生したから、そういうものとして慣れなければいけないかもしれない。
相手校を見送ったのち、ミーティング。それも終わってモップ掛けをしていたら、角名くんが近づいてきた。
「明日ってなんか予定ある?」
「家事と買い物かな~」
「あー……」
「角名くんは? もしかしてみんな自主練で出てきたりする?」
「俺は出ないつもり。他はどーだろ。せっかくだし休むほうが多いんじゃない?」
「よかった……。実は全員出席で、休日という名の罠だったらどうしようかと」
「さすがにそれはない」
角名くんは手を差し出してきた。貸して、と言われて私はモップを握る手に力をこめる。
「えっ、いいよ疲れてるでしょ。やっとくから先帰って休んだら?」
「このあとすることないし、別に明日も用事とかないし」
「ありがと。でも角名くんがやってたら一年生が飛んでくると思う」
「まあ、そうか」
ジャージのポケットに手を突っ込んだ角名くんを見てふと思う。もしかして今の会話って何かのお誘いだったりする……?
連絡先の聞き方も勉強会のお誘いも回りくどかった角名くんだ。「明日予定ある?」は、もうちょっと深読みすべきだったかもしれない。角名くんも明日は予定がないようだし。いやでも……、
「自意識過剰」という単語が頭に浮かぶ。休日わざわざ会う約束をするのと部活のマネージャーに連絡先を聞くのじゃワケが違う。ここは気にしないのが正解というやつだ。
「角名くんは寮にいるとき、何してるの」
「スマホ見てたら時間過ぎる感じ」
「あ~私も。中間終わってからスマホ買えばよかったかな~」
「言ってたらキリないでしょ。どうせ期末もあるし」
「……だね」
私がモップをかけるのをチョロチョロとついてくる角名くんの図、というのはなかなかに面白いんじゃないだろうか。まあ角名くんじゃないから誰も動画に撮ったりする人はいないのだが。
結局モップを片付けるまで私は角名くんと喋っていた。着替えに入ったタイミングもほぼ一緒だったから、まあ遭遇する。「帰ろ」と言われてびっくりする。そんなに気を許してくれてるの?
分かれ道で角名くんは自然と私の家の方向へ歩いて行った。私はそれをすごいなあとは思いつつも、どこか他人のような気持ちで眺める。一線引いておきたかったのかもしれない。
「荷物持ちしてもいいけど」
角名くんは私の家の前で立ち止まってそう言った。少し間を置いて「明日」と付け加えられる。私にはこれが罪悪感から来るものなのか、厚意から来るものなのか判断がつかなかった。
「や、そんな悪いよ」
「どうせ暇だし別に。一人じゃ大変じゃない?」
「……一個確認していいかな、角名くん私に気を使ってるよね」
「ないとは言わないけど、俺が嫌々やってるように見える?」
「見え、ない……」
「ならいいじゃん」
「前の私はどうか知らないけど、今の私は人に頼るのが少し苦手みたい……」
「少しどころじゃないでしょ」
まあ、そうなんだけど。だって私から見たらみんな子どもなんだから、仕方ないじゃん。……と言うわけにもいかないから難しい。
そしてここで彼を頼らなかった場合、意地を張ったあげく手が回らなくなったという最悪のパターンにもなり得る。どんなに精神的に大人なつもりでも、私はここで大人の特権を使えないのだ。車があれば買い物は一往復で済むし、クレジットカードを持っていたら通販で荷物を配達してもらうこともできる。だけど今はそんなことすらできない。だから本当は、角名くんからの申し出はとてもありがたかったのだ。
私は角名くんをちらりと見上げた。まだちっぽけなプライドが邪魔をするから、予防線を張らせてほしい。こんな大人でごめんねと、心の中で謝る。
「……じゃあ、角名くん私と三往復する勇気があるならよろしく」
「え……三往復ってなに」
角名くんは途端に面倒くさそうな顔をした。それに安心する私は本当に馬鹿だと思う。
「一回じゃ持ちきれないもん。買うものいっぱいあるから長丁場になるよ」
「……逆に聞くけど一人で六往復する気だったってこと?」
「まあそれは私の体力と相談で」
「……治も呼ぼ」
「え、ちょっと……」
なんかこの状況、前と同じだ。角名くんはすでにスマホで治くん(多分)に電話を掛けている。
「あ、もしもし明日ヒマ? 買い物付き合ってほしいんだけど……そう、昼はラーメン……うん、後で時間は連絡する」
電話が切れる。私は呆然と角名くんを見ることしかできなかった。
「なに?」
「なんで治くん……」
「三人だったら二往復で行けるし。それとも俺と二人がよかった?」
「……っていうか私がいるって治くんに言ってないでしょ」
質問に意図的に答えなかったのが伝わったのか、彼はにやりと笑う。けどそこには触れず、
「治はラーメンのことしか考えてないよ」
などと、とてつもなく失礼なことを言いだした。だけど私もそこに関しては否定できない。ごめん。
「だから治くんにしたんだ。悪いやつ」
「じゃあ明日十一時に迎え行くから。それでいい?」
「……ハイ」
角名くんは満足したのかにこーっと笑って帰っていった。