転生したら角名倫太郎に振られた後の世界だった08
ゴールデンウィーク明けの教室は、すでに中間テストのムードだった。明後日からはテスト期間で部活も禁止。先生たちも授業中にテストを意識したことばかり言ってくる。ここ出るぞ、と言われたところに私はひたすらマーカーでチェックをつけた。
「あかん、バレーしたい」
バレー部での居残り勉強会は金曜日の放課後、二年一組の教室で開催された。開始十分もしないうちに侑くんが嘆く。部活が停止になって三日目だから、ストレスが溜まっているようだった。
私を含めて全員が侑くんのひとり言を無視した。反応したって不毛な結果にしかならないとわかっているのだ。カリカリとシャーペンの走る音だけが教室に響いている。
開始から三十分が経ち、そろそろ集中力が切れて来たかなというところで角名くんが立ち上がった。彼は教室から出ていって、戻ってきたときには紙パックのフルーツオレが一緒だった。いいな、私も甘いもの欲しい。
角名くんにつられてか、みんながぞろぞろと席を立つ。なんかタイミングを逃してしまった。
「進んでる?」
二人きりになった教室で角名くんが話しかけてくる。机に肘をついた彼は、完全に休憩モードに入っていた。まあ、メリハリは大事だと思う。
「それなりに。意外とみんな静かにやるんだなって感心した」
「赤点取ったらどうなると思う?」
「え、補習?」
「そう。『補習受けたらその分バレーできんってわかってんのになんで勉強せんの』」
角名くんの背後に北さんの姿が見えた気がする。なるほどそれでみんなちゃんと勉強しているのか。北さんパワーおそるべし。
「それって経験談?」
角名くんもかつて赤点を取って北さんの正論パンチをくらったことがあったのだろうか。角名くんには「さあ?」とはぐらかされてしまった。
「でもちょっと気になるんだよね。あんたが赤点取ったら北さんがどんな反応するか」
「え……どういう意味?」
「記憶喪失だし仕方ない頑張ったねって感じなのか、両立できないなら部活辞めろって言うのか」
「……私にだけ部活辞めろは言わないでしょ。頑張ったねも違う気がする」
「でしょ。それならどんな反応するのかなって」
「いや私に赤点を期待しないでよ。どうせならいい点とって褒めてもらいたい」
「北さん『赤点とは?』って感じだけどね」
「じゃあ褒めてくれないか」
そもそも赤点以外でテストの点数を北さんに教えることもないような気がする。教えたところで「それがどうしたん」とか言われたら大ダメージだ。
会話も一区切りついたところで私は問題集に向き直った。ジュースを買いに行ったであろう三人が戻ってきたのはそれからしばらくしてのことだった。人のこと言える立場ではないけど、外でお喋りしてたのがバレバレだ。
最終下校時刻のニ十分前にもなれば、真面目に勉強しようという空気も薄れてくる。現に双子はテキストを閉じてあくびをしていた。銀島くんもさっきから窓の外を眺めているし、角名くんに至ってはスマホを触っている。かく言う私もさっきからテキストのページが進まない。それならもう帰ったほうがマシというものである。
片づけをしていたら、角名くんがじっとこちらを見ているのに気づいた。「帰るの?」と聞かれて私は頷く。
「じゃあ俺も帰ろっかな」
「はあ?」
声を上げたのは侑くんである。気持ちはわからなくもない。何せ彼は唯一、私と角名くんの微妙な感じを知っている人間なのだ。そりゃ私だって思うよ。なんか今、一緒に帰る感じだったもんね。
「なに」
「いや、なにって……そんなら俺も帰る!」
ガッとまとめて荷物を鞄に突っ込む侑くん。こんな感じで勉強会は解散となった。
「あの、角名くん」
侑くんたちからの視線に気づかない振りをし続けた帰り道、ようやく彼らとお別れしたところで私は切り出した。
「実は、ちょっとずつなんだけど思い出してきてるんだよね」
私が言うと、角名くんは目を丸くした。
「記憶のこと?」
「うん。でもまだ角名くんたちのことは思い出せてなくて、小さいころの記憶から順番に」
「へえ」
「えっと、だから大丈夫だよって話」
「ふーん。関西弁は?」
「え、そこ?」
角名くんはちょっと考えるような顔をした。言葉を選んでいるみたいだった。もしかしたらだけど、私がもとの私に戻らないのを疑問に思っているのかもしれない。
「昔のことは、昔こんなことがあったなあって思い出しただけ。変かもしれないけど、他人の記憶を覗き見てるみたいな……?」
「……そう」
角名くんの反応はあまりよくない。話すべきではなかったのかもしれない。私としては角名くんが責任を感じているようだから大丈夫だと伝えたかっただけだ。しかし、もう少し考えてから伝えるべきだった。こんなことを話されて、なんて言えばいいか困っているのだろう。
「……ごめん」
「何が?」
「いきなり言われても困るよね」
「……いや、」
角名くんは何か言いかけたけど、やめてしまった。気まずい空気のまま私たちはいつもの分かれ道に到着する。
「じゃあ、また明日」
「うん、またね……」
どうしよう角名くんを余計に悩ませてしまったかもしれない。遠ざかっていく角名くんの背中を見ながら私はため息をついた。もっとスマートな気遣いができたらよかったのに、全然だめじゃないか。
そうこうしているうちに、テスト期間が終わった。無事に赤点なしで乗り切ることができて万々歳だ。あれから角名くんとはほぼ話すこともなく、だけどそれくらいがちょうどいいのかなあと思っていたりもした。
約一週間ぶりの部活では、みんな鬱憤が溜まっていたのかいつもよりも熱が入っていた。球拾いをしていた私のもとに、勢いよくボールが飛んでくる。試合なら間違いなくアウトの判定である。
ボフンと音を立ててボールが私の胸に収まった。私はドッジボールのごとく球を受け止めてしまったのだ。
サーブ練習をしていたらしい侑くんが「何やねん」と叫ぶ。まずは謝れや、と言ったのは治くんだった。
「ごめん取っちゃった。侑くんのサーブ、なんかいつもと違う?」
「お、わかっとるやないか。新しいサーブの練習してんねん」
「まだ全然使いもんなってへんけどな」
「いちいちうっさいわ!」
侑くんがやろうとしているのはジャンプフローターというサーブらしい。略してジャンフロ。そしていつものはスパイクサーブ。威力はスパイクサーブのほうが上だけど、ジャンフロは軌道が読みにくいという利点があるそうだ。二刀流できたらかっこええ、ということで練習を始めたらしい。しかしなかなか思うように上達しないみたいだ。そこで私は侑くんに動画を撮ってみないかと提案する。
「ん、動画?」
「私じゃわからないけど、自分で見たらどこが悪いかわかるかなと思って」
「ほーん? ならやってみよか」
ちょうど横からになるように距離を取ってスマホを構える。三本くらいサーブを打ったところで録画を止めた。侑くんは動画を見て何やら難しそうな顔をしていた。役に立てたら嬉しいなと思ってのことだったが、そのあとの侑くんの動きは明らかに最初よりもぎこちなくなってしまった。
やばい、余計なことしちゃったかも。焦る私に声を掛けてくれたのは北さんだった。
「あれは動き修正しようとしてんのやから、よかったんとちゃう」
「あ、そうなんですかね?」
「どこがアカンかったかわかったんやろ。やからそんな焦らんでええよ」
「はい、ありがとうございます」
北さんに頭を下げて球拾いに戻る。今日は直撃ゼロで終えることができた。私もちょっとだけ上達しているかもしれない。……球拾いだけど。
侑くんのサーブはメキメキ上達していったが、インハイ予選ではジャンフロ禁止令が出されてしまった。まだ実戦で使えるほど成功率が高くはないのだと言う。
おそらく侑くんも試合で使えるレベルではないとわかっていたのだ。だからこそ悔しいと思うのだろう。
「まあ全国まで隠し玉持っといたほうがいいじゃん」
ピリッとした空気を読んだのか読んでいないのかは分からないが、角名くんがいつもの調子でさらりと言う。
「私も! 全国で侑くんがサービスエース取るの楽しみにしてる!」
私は全力で角名くんに乗っかった。しかし角名くんはともかく、私は白々しかったらしい。侑くんはめちゃくちゃ冷めた目で私のことを見ていた。落ち着いてくれたようで何よりです。
◇
稲荷崎高校は無事にインハイ予選を突破した。……けど、思っていたよりすごくて……すごすぎて、私は圧倒されていた。みんなのプレーもそうだけど、応援がとてつもないのだ。まだ予選なのに観客がわんさかいるし、なんか私まで見られている気がして(そんなことはないのだろうけど)無駄に緊張してしまった。
「なにこの程度でビクビクしてんの」
「ええ、だって……」
「全国行ったらもっとすごいよ」
角名くんは応援席を見上げながらニヤリと笑った。
「そういえば今年の春高の動画……なんかヤバかったような」
「ああ、見たなら知ってるか」
「『思い出なんかいらん』が強烈すぎて忘れてた」
「あれは俺も最初ビビった」
「……ところで全国ってどこであるの?」
「富山」
そんなことも知らなかったのか、という呆れた目である。角名くんはあれから案外普通だ。あの気まずい空気のとき彼が何を言いかけたのか私はずっと気になっていたけど、向こうから言ってこない限りは何も言わないほうがいいのだろう。そしておそらく角名くんは言わない。もう記憶喪失のことに関してはあまり話題に出さないようにしよう。そう思っていたのに帰りのバスで角名くんはあっさりと、
「記憶は順調に戻ってんの?」
と、聞いてきたのである。しかもみんなの前で。
まあ、みんなに話すいいきっかけになったとも言える。しかしみんなも試合で疲れているだろうに、私の話題で盛り上がるのは申し訳ないというか。それに高校時代の記憶はまだ一つも戻っていないから、すぐに話すことはなくなってしまった。最終的には私含めたほぼ全員が寝ていたと思う。それほど試合は過酷だったのだ。