2話

 魔法が使えるとわかったとき、周囲の目の色が変わった。冷たくて怖かった。けど、それでも抱きしめてくれた両親をアネットは信じた。愛していると言われたからだ。
 しかし、次の日起きたら知らない場所だった。大きな屋敷の小さな部屋だった。屋敷の主に言われて自分が売られたのだと知った。
 屋敷にはアネットと同じぐらいの年の少女が数人いた。みな、瞳が濁っていた。
 主は少し太った男で、屋敷の使用人は女ばかりだった。ただ一人だけ、主の近くにいつも控えている男がいて、その男は魔法使いだった。
 言うことを聞かなければ痛い魔法が飛んでくる。アネットはそうやって「一生あなたに仕えます」と約束させられた。

 思い出しただけでも悔しい。約束を破ったら魔法が使えなくなるなんて知らなかった。シノに聞かれて思い出したのは地獄の日々だった。シノに腕を掴まれているせいで、涙を拭うこともできない。
「離してよ」
「……ああ、悪かった」
腕が自由になり、上着の裾を目元に押し付ける。アネットはそのまま丸くなって床に寝転んだ。
「寝るのか?」
「……うん」
シノはそれ以上何も言ってこなかった。人の気配がする中で寝るのは久しぶりだ。眠れないかもしれないと思ったけれど、目を閉じると睡魔が襲ってくる。シノに借りた上着があたたかくてやわらかかったからかもしれない。

 翌朝、アネットはシノに声を掛けられて目を覚ました。窓の外は眩しいくらい晴れていて、昨日の土砂降りが嘘みたいだ。
「迎えが来た。オレはもう行く」
「……これ」
アネットの腕には長すぎる上着の袖をシノに見せると、シノはからりと笑った。
「やる。どうせあの服も洗わなきゃいけないだろ」
「うん。ありがとう」
「ここから出たくないか?」
「……えっと、」
出るというのは、森での暮らしをやめて人と生きていくということだろう。人間であればそうしたかった。魔力を失ったからといって、胸を張って自分が人間だとは言えない。魔法使いや魔女は寿命が長いと聞いているけど、今の自分がどうなのかは知らない。アネットが答えられないでいると、シノはすっと立ち上がった。
「また来る」
シノが戸を開けると、昨日の男の人たちが立っていた。
「……病人は?」
アネットの一番の気がかりだった。病人がいるのに中に入れてあげなかった。具合を悪くさせてしまったかもしれない。
「あ……えっと、この通りです」
昨日、背負われていた人がひょっこり顔を覗かせる。
「だそうだ。じゃあ、またな」
シノたちは行ってしまった。戸を閉めるといつも通りの何もない小屋で、彼らとの出会いが夢だったんじゃないかと思ってしまう。隙間風がぴゅうっと吹いて、冷たかった。

****

小屋から距離を取ったところで、東の魔法使いと賢者は空に飛び立った。じゅうぶんな距離を上昇したところでシノは切り出す。
「相談したいことがある」
一番後ろを飛んでいたシノの言葉に、全員が一斉に振り返った。先頭のネロが速度を落として、みなもそれに合わせる。
「さっきの子供、魔法は使えないって言ってた」
「……まさか」
ファウストは信じられないという顔をした。あの子供が魔女じゃないかと言い出したのはファウストだ。
「あんな場所で人間の子供が一人で生きていけるわけがない」
「人間じゃないそうだ」
「人間じゃないけど魔法は使えない?」
ヒースクリフが首をかしげる。
「ああ。それ以上は泣き出したから聞かなかった」
意味がわからない。そんな表情で彼らは互いに顔を見合わせた。「それで」とネロが口を開く。
「相談ってのは?」
「オレは孤児で、運よくブランシェット家に雇われたから今がある。今のオレに誰かを雇う力まではないけど、どうにかしてやりたい。たぶん、このままだと冬は越せない」
「ずいぶん肩を持つじゃないか。昨日は薄情なやつだと怒っていたのに」
ファウストが言ったのは事実だ。賢者が気を失っているというのに、雨の中に追い返された。薄情だと不満を言うシノに、ほかの三人は仕方ないと言い聞かせていたが。
「意地悪したと思ったら後で気にして様子を見にくるの、ファウストにそっくりだろ」
「な……」
「はは、確かに言えてる」
「……ええと、どうする? 引き返す?」
遠慮なく笑うネロに対して、ヒースクリフは笑いをこらえるためかファウストに気を使ったのか話を逸らした。

 ネロは箒に賢者を乗せているため先に帰ることになった。ヒースクリフはブランシェットに行き、彼女を雇えないかと両親に相談してくれる。ブランシェットがダメだったときのため、魔法舎で仕事ができないか確認しておくと賢者は言った。魔法舎には北の魔法使いもいるので、あまり望ましいとは言えないが。
「ファウストはどうする?」
「なんだその言い方……シノは二人乗りは得意なのか?」
「オレを誰だと思ってる」
「……付き合うよ」
ファウストは帽子を深く被りなおして降下を始めた。

「もう少し遠くに下りるか?」
「オレが魔法使いだってことは知ってるから近くで平気だ」
「言ったのか」
「そのほうが魔女だって言いやすい」
「まあ、確かにそうだが……怖がられなかったか?」
「いや……」
そう言われると、魔法を怖がる様子はなかった。嫌悪感を向けられることもなかった。あのときはそれどころじゃなかっただけの話かもしれないが。
 小屋のすぐ前で箒から降り、戸を叩いたが返事はない。寝ているのかと思ってそっと中を見たが、少女はいなかった。
「いないじゃないか」
「川だ」
「わかるのか」
「泥で汚した服がない。オレならそうする」
「……ふっ、頼もしいな」
ここから洞穴まで行く途中に川があった。今なら流れも静かになっているだろう。シノが先に歩き、ファウストもそれに続いた。

 シノの予想通り、少女は見つかった。大きな石の上に裸足でしゃがみ、服と靴を川にさらして泥を落としている。
 ファウストが息を呑んだのがわかった。
「同情してるのか?」
「……違う。たくましく生きている姿に感銘を受けただけだ」
「ふうん」
シノがにやりと笑うとファウストは目を逸らした。
「……言うなよ」
「わかってるって」
 二人に気付いた少女はポカンとした顔で固まった。流れてしまいそうになった靴をシノが拾い上げる。
「来たぞ」
シノの言葉に少女はぱちぱちと瞬きをした。ファウストがため息をつく。
「……シノ、わかるように言ってあげなさい」