4話
シノたちと別れたアネットはまず、体を綺麗に洗って使用人の服に着替えさせられた。次に使用人の部屋に案内され、久しぶりに見たベッドにアネットは悲鳴を上げそうになってしまった。
シノの言った通り、初めは掃除を覚えるそうだ。今の時期は落ち葉が多く、庭の掃き掃除を主に担当することになった。仕事を教えてくれる先輩のメイドはそんなに年も離れていなさそうで、話しやすかった。何より、優しい。彼女は伸びきったアネットの髪を飾りのついた紐で結ってくれた。お揃いで嬉しかった。
ブランシェット家の庭は広いもので、半日使っても掃除を終えることができなかった。きっと明日にはまた落ちた葉が増えている。それに加えてべつの仕事も覚えなければならないそうだ。
夕方になると、あたたかい食事が待っていた。パンも柔らかくて、香ばしい香りがする。「おいしい」と思わず呟いてしまって、隣でくすりと笑い声がした。
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ファウストに出された宿題と睨めっこしていると、部屋のドアがノックされた。開けてみると、ヒースクリフが紅茶のセットを持って立っていた。
ヒースクリフは紅茶をすすっているだけでも絵になる。シノはネロお手製のレモンパイに手を伸ばした。
「アネット、頑張ってるみたいだよ」
「へえ」
「みんなに可愛がられてるみたい。ついお菓子をあげたくなっちゃうんだって」
「よかったな」
「……シノは、アネットと自分を重ねた?」
「いや……」
それはどうだろう。確かに似ているところもある。一人で、誰にも頼れなくて、だが、シノ自身はそれを悲観する前に慣れてしまった。アネットとはそこが違う。アネットはおそらく、魔女だと気付くまでは普通に暮らしていたはずだ。ただ、最初に仕えた先は最悪だったようだが。
「違うと思う。けど、そうなのかもしれない」
後になって約束させられた話を聞いたときは、重ねてしまったかもしれない。強いか、知識があればこんなことにはならなかった。かつて師匠と呼んだ男の顔が嫌でもよぎってきてシノは頭を振った。せっかくのパイがまずくなる。
ネロのレモンパイは相変わらず美味しい。ブランシェットで食べたのと同じものではないが、これも気に入っている。シノがねだるとネロは小言を言うが、結局は作ってくれるところが好きだ。
ヒースクリフは上品にフォークを使ってパイを切った。
「シノに会いたがってたよ」
「オレに?」
「うん。シノはいつ帰ってきますかって」
そう言われて悪い気はしなかった。初めて子分ができたような、と言うと「子分はないだろ」とヒースクリフに呆れられる。
「にしてもしっかりしてて驚いた。ヒースクリフ坊ちゃんって呼ばれたからびっくりして」
どうやら礼儀もしっかり教育されているようだ。だが、アネットに坊ちゃんと呼ばれることはヒースクリフにとって少し恥ずかしいらしい。
「べつに恥ずかしくないだろ、堂々としてればいい」
「前からいる人に言われるのは慣れたけど、自分より年下の女の子に言われるなんて想像しなかったから」
「ふうん。そんなものか」
シノには想像できない悩みだった。
ブランシェット家に子供の使用人がいないわけではない。シノも幼いころから仕えているのだ。しかし、ヒースクリフやその両親と話す機会はほとんどない。シノも魔法使いだからという理由で声がかかったのだ。
「とにかく、ブランシェットに行ったときはアネットに声を掛けてあげて」
「わかった」
シノはそう言ったものの、任務や修行のせいでなかなか都合がつかなかった。気付けば二ヶ月が経過していた。
「シノ!」
アネットはシノを見るなりぱっと花を咲かせたような顔で寄ってきた。シノは胸の奥がむず痒くなったが、アネットを近くで見るなりぎょっとした。
「……お前、身長伸びてないか?」
伸びたと言ってもシノより小さいが、この速度は脅威だ。シノの焦りを知ってか知らずか、アネットは満面の笑みで「伸びたよ!」と言う。
「何食べてる」
「え……みんなと同じだけど」
「……成長期ってやつなのか?」
シノの独り言にアネットは首をかしげた。
「今日はどうしたの?」
「ヒースが用事があるっていうからついてきた」
「泊まり?」
肯定すると、アネットは嬉しそうに笑った。なんだかそわそわしている。「えっと」アネットは箒をぎゅっと握りしめていた。
「仕事が終わったら、またおしゃべりできる?」
「ああ、オレがそっちに行く」
「うん。じゃあ、また」
アネットはパタパタと走って行った。率直に、明るくなったなと思った。ここで働くよう提案したシノとしては鼻が高い。自分の好きな場所を彼女も気にいってくれて誇らしかった。
ヒースクリフを待っている間、他の使用人からもアネットの話を聞いた。掃除と、最近は洗濯を覚えているらしい。失敗することもあるが、一生懸命ちょこまかと走り回って頑張っているから、周りも微笑ましく見守っているようだ。もうすぐ十五の誕生日を迎えるそうで、使用人仲間でケーキを用意してやろうとしているらしい。
「……ん、十五?」
十五歳。シノにとっては二年前のことだ。……十五歳、アネットがそうだと言われてもいまいちピンとこない。
「ヒース、大丈夫か?」
用事の終わったらしいヒースクリフは眉間にしわが寄っていた。険しい顔の主人もそれはそれで凛々しく見える。素直に称賛しただけなのに、ヒースクリフはため息をついた。
「ああ、書類ばっかり見てたから目が疲れて」
「そうか。部屋に戻るか?」
「少し庭を歩こうかな」
「わかった、オレも行く」
シノが言うとヒースクリフはやわらかく笑った。
冬の庭は少し寂しい。春の庭を知っているとよけいにそう感じる。硬くなった芝生を踏むと、くしゃりと音がした。冷たい風が二人の髪を揺らす。
「ヒースは知ってたか? アネットがもうすぐ十五になるって」
「ええと、十四歳なのは知ってたけど、誕生日は知らなかったな」
「……もっと子供だと思ってた」
小さくて、細くて、頼りない。しかし二ヶ月ぶりに会ってみて、言われてみれば年相応に見える気もする。
「……シノは、小さい子供だから手を差し伸べたわけじゃないだろ?」
「当たり前だ。ただ、もっと早く……いや、やっぱりいい」
もっと早く会えていたら。考えたところで意味がない。過去に何もないなら未来のために生きればいい。ヒースクリフの隣に立っていられるような魔法使いになるために。シノはそう考えて今まで生きてきた。アネットもきっと同じだ。彼女はここで前向きに生きている。
「アネットはシノに会えてよかったって思ってるはずだよ」
「オレがヒースに会えてよかったってのと同じか?」
「……同じかもしれないけど、今そこを並べるなよ」
ヒースクリフは呆れ顔で首を振った。
シノはヒースクリフと別れて、使用人の宿舎へ向かった。入口の柱のそばでアネットがちょこんと立っている。彼女の白い頬は赤くなっていた。
アネットはシノに気付くとぶんぶんと手を振った。
「冷えるぞ」
「シノ、もうすぐかなと思って」
アネットは照れくさそうに笑った。
「今度からは部屋の中にいろ。かぜ引く」
「うん、わかった」
シノとアネットは宿舎のエントランスの長椅子に二人並んで座った。
「ごめんね、部屋に二人で座れる場所なくて」
「ああ、知ってる。オレも前ここにいたんだ。なつかしいな」
「そうなの?」
「ここに来たばかりのころな」
シャーウッドの森の番を任されてからは森に住むようになったから、かなり前の話だ。だが、あのときと景色はほとんど変わっていない。
「それよりお前、もうすぐ誕生日なんだろ? 何か欲しいものはないか?」
「えっ、知ってたの?」
「さっき他のやつに聞いた」
「そっか……うーん、欲しいもの……」
アネットはしばらく考えていた。うんうんと頭をひねっている。そして、思いついたようにパッと頭を上げた。
「シノはその日、来てくれるの?」
「約束はできない。けど、なるべく行くようにする」
「……じゃあ、空を飛びたい」
「空?」
箒に乗せてほしいということだろうか。それならべつに今からだって構わない。しかし、彼女は首を振った。
「今日はいい。また今度、乗せて」
「それだけでいいのか?」
「……うん。じゃあ、またね。おやすみ、シノ」
「おやすみ」
そんなに嬉しそうな顔をされたら絶対に行かなければならない。走り去るアネットの背中を見ながらシノは思った。