2話

 久しぶりのあたたかい食事は輝いて見えた。
「おいしいです……」
噛みしめるように言うと、
「そりゃどうも」
とネロさんが。ネロさんは明日の仕込みをするみたいで、芋の皮むきを始めた。素人目に見てもわかる、ものすごく手際がいい。私が食べ終わるよりも早く、皮むきされた芋が鍋いっぱいになった。
 何を作るんだろう。もうちょっと見ていたいという気持ちもあったけど、これはテレビの料理番組じゃない。最後のひと口をありがたくいただき、私はネロさんに頭を下げた。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
「あんたが美味そうに食ってくれるから、こっちも作ったかいがあったよ」
ネロさんの隣に立って洗い物用のスポンジをとる。置いといていいよ、とネロさんは言った。ネロさんにしてみれば、片付けなんてものは料理の片手間に終わってしまうそうだ。でも、さすがに食べっぱなしは申し訳ない。いやいや、と互いに二回ぐらい譲り合いをしたところでネロさんが折れる。それはそれで、わがままを通してしまったような気になった。
 洗った皿を拭いて棚の中に置き、私はいつも通りパンの入ったバスケットを手に取った。
「では、失礼します。ありがとうございました」
「…………そのパン、何?」
言うか言うまいか。たっぷり空いた間がネロさんの心情を物語っていた。けど、食事を作ってくれたことといい、結局は面倒見がいいのがにじみ出ている。ネロさんが私のパン生活にいい印象を抱かないだろうというのは説明する前からわかっていた。食に関してきちんとしている人なのだ。できれば触れずにいてくれるとありがたかったが、どうしても無視できなかったのだろう。
「部屋に持って帰って食べます」
「今から?」
「いえ、明日から……だいたい三日分ですね」
ぴくりとネロさんの眉が動く。信じられないとでも言うような。けど、頭ごなしに否定されることもなかった。これ以上ネロさんが余計な気を回さなくていいように、私のほうで先手を打っておくことにした。
「私に親切にする必要はないですよ。もし勘違いされてたらいけないので言っておきますが、私は魔法使いでも賢者でもありません」
「……どういうこと?」
「ただ住ませてもらってるだけなんです。なので、当番だからといって私の分の朝食まで準備してもらう必要はないです。私もみなさんとはあまり顔を合わせないようにしているので」
ネロさんの調理の手が止まった。じっと見られている。バスケットを持つ手に力が入った。
「……まあどうせ多めに作るし、気が向いたら食べに来な」
ネロさんはそう言って作業を再開させた。思っていたよりあっさりだった。ネロさんはたぶん、何個か言葉を飲み込んでくれたんだと思う。「すみません」と言い残し、私はバスケットを抱えて部屋まで戻った。

 次の日の朝は、カインさんが私を起こしに来たところから始まった。おや、と思った。年に一度の戦いは終わったはずなのに、なぜだかカインさんが魔法舎にいる。そもそも、ネロさんがあんなにたくさんの仕込みをしていたことがまずおかしい。何かまだ用事があったのだろうか。そんなことを考えながら私はパンに手を付けた。昨日おいしい料理を食べてしまったせいで、なんだか味気なく感じる。昨日のネロさんの言葉を忘れたわけじゃない。でも、やっぱり行けなかった。
 その次の日の朝もカインさんが起こしに来てくれて、私はいっそう混乱した。ただ、適当な返事をしてしまうと具合が悪いんじゃないかと心配されるため、ドア越しの「おはようございます」だけはしっかりと言った。カインさんは私をいないものとして扱ってくれない。この朝のやり取りも何度か断ろうとしたが、結局は断り切れなかった。
 パンを食べながら窓の外を見てみると、中庭に子供がいた。目を疑った。まさか、魔法舎が人の受け入れを始めたんだろうか。マンション的な感じで。明日もカインさんが来るなら聞いてみようか。……でも、なあ。べつに文句を言うわけでもないし、言える立場でもないし。ただ私の静かな生活がなくなるというだけだ。途方もない気持ちになりながら子供を眺めていると、その保護者らしき人が現れた。お医者さんのような格好をしている。その人がふいにこっちを向いて、私は慌てて身を隠した。が、一歩遅かった。完全に目が合っていたし、ちょっと……かなり不審者みたいなことをしてしまった。ほんと、何もいいことがない。

 誰かいたら嫌だなあ。そんな気持ちから、空になったバスケットの補充はさらに深夜に行うことにした。もう日付も変わってしまっている。足音を立てないように階段を下りて、食堂へ向かう。一階に下りたところで食堂に明かりがついているのがわかった。うわ……と気分が沈む。ただの消し忘れかもしれないけど、どうしたものか。もうちょっと後で来てみようか。どうせ昼寝しかしていないから目は冴えている。引き返そうとしたところで「なあ」と声を掛けられた。
「……っ!」
夜中だから叫ぶわけにはいかなかった。片手で口を押えてなんとか音を飲み込む。いったい何事かと思ったけれど、私に声を掛けたのはネロさんだった。いつの間にか食堂の明かりは消えている。
「そろそろ来るんじゃないかと思ってたけど……今、引き返そうとしてた?」
「……誰かいらっしゃるのかなと思いまして」
何とも言えない顔をされた。呆れられているのか、同情されているのか。どちらも違うようで、正解のような気もする。
「……スープがあるから、あっためるよ」
ネロさんは私の返事を待たずに食堂へ歩いて行った。私も静かにその後を追う。
 ネロさんのスープは絶品だった。野菜によく味がしみこんでいるし、味付け自体もおいしい。ただ気になるのが、ネロさんが帰ろうとしないことだ。私の向かい側に座って、肘をついている。スープがおいしいということを伝えても、彼は動こうとしない。話しかけてもいいのだろうか。気になっていたことがいくつかあるのだ。
「……あの、もしかしたら気を悪くする質問かもしれないんですけど……本当に他意はないんですけど、」
長い前置きに「なに?」とネロさんは顔をこちらに向けた。
「年に一度の戦いが終わったのに、魔法使いのかたたちは帰らないんですか?」
「ここに住むことになったんだよ。まあ、俺としては帰りたいんだけど」
え。と思ったのが表情に出ていたのかもしれない。ネロさんはくすりと笑った。
「……あと、子供をみかけたのですが、一般のかたも出入りするようになったんですか?」
「それも魔法使いだよ。たぶんリケかミチル」
「……もしかしてネロさんも?」
ああ、気づいてなかったのか。ネロさんはひとりごとのように言った。
 確かにネロさんが新しく召喚された魔法使いなんじゃないかとは思った。でも、料理に魔法を使わないから不思議に思っていた。前に他の人が魔法で料理を作っているのを見たことがある。だから、ネロさんは違うのかなと思ったのだ。
「料理に魔法を使わないのは俺のこだわりみたいなもんだよ」
「だからこんなにおいしいんですかね」
「え……まあ、口に合ったならよかったけど」
ネロさんは不意を突かれたような表情だった。なんでそんな顔をさせてしまったのかはわからない。
「……でも、それならネロさんに当番が回ってくるの早すぎませんか?」
だって三日前もネロさんだ。朝昼晩とあっても、九回しかない。魔法使いの正確な数は知らないけど、もっとたくさんいたような気がする。
「あー、押し付けられてるわけじゃねえよ。俺は作るの好きだし、進んでやってるだけ」
「そうでしたか。余計なお世話でしたね」
「……あんたさ、人と話すのが苦手ってわけでもないよな」
「初対面の人のほうが話せるタイプです。ネロさんはこれで二回目ですけど」
ネロさんの言いたいことは何となくわかっていたのに誤魔化してしまった。なんで引きこもってるのかって話だろう。それでもネロさんは誤魔化されてくれた。「まあ、わからんくもないな」って。
 私が引きこもっているのは、いたたまれなさとか、嫉妬とか、そういう感情がぐちゃぐちゃに絡み合った結果だ。誰かにいじわるをされたわけでもないし、ネロさんの言う通り人と喋るのが嫌いなわけでもない。このままじゃいけないという気持ちもあるけど、私は被害者だからいいんだと思いたいところもある。このさき何十年、国が衣食住を保証してくれるとは限らないってわかっているのに。

 食器を洗い、パンを補充しようとしたところで私はあることに気付いた。いつものパンじゃない。いつものベーグルとかフランスパンもどきは、使用人さんが定期的に街で買ってきてくれている。でも、今日のパンは初めて見るものが多いというか、根本的に違う。日本で言う、調理パンとか菓子パンだった。
 私が戸惑っているのを見て、ネロさんがにやりと笑う。
「焼いてみた」
「えっ……ネロさんが?」
「ああ、そっちのは日持ちしないから早めに食べたほうがいいよ」
「あ、の……私のためですか?」
自分で言って恥ずかしくなってしまう。ネロさんはみんなのためにというか、好きで料理をしているのだ。それを私のためって、なんでそんな恥ずかしいことを。……でも、ネロさんの厚意から目を逸らすのも失礼というか何というか。とにかく、それにしても言い方ってものがある。穴があったら入りたい。
「自分で言って照れてんの?」
「……いや、あの……すみません」
「いいよ。あんたのこと考えながら作ったのは本当だしな。けど、どうせ他のやつらの腹にも入るしあんたが気にすることじゃねえよ」
「……では、ありがたくいただきます」
私はそそくさとバスケットにパンを詰め込む。最後にお辞儀をして部屋に戻ろうとすると、ネロさんもちょうど立ち上がった。
「さて、そろそろ俺も寝るかね」
「あ……おやすみなさい。遅くまでおつかれさまです、ありがとうございました」
ネロさんに道を譲ろうとすると、ネロさんは苦笑いをした。
「……いや、あんたが立ちどまる必要はないだろ」
「えっと、ではご一緒してもいいでしょうか」
「はは、じゃあよろしく」
微妙な距離を開けて私たちは階段を上った。ネロさんの部屋は三階みたいだ。別れ際にもう一度、スープとパンのお礼を言う。「はいはい」とネロさんは頷いて、私に背を向けた。