4話

 カインさんの驚きがドア越しに伝わってくる。無理もない。逆の立場だったら、私も驚くと思う。
 おはよう以外の言葉を交わしたのは久しぶりだった。いつも通りの声掛けをしてくれたカインさんに「聞きたいことがあるんですが」と。実はカインさんに聞くかネロさんに聞くか迷っていた。けど、ネロさんには確定で会えるわけではないので、いつも朝来てくれるカインさんに聞くことにしたのだ。カインさんは最初は驚いていたみたいだけど、明るい声で「どうしたんだ?」と答えてくれた。さすがにドアを閉めたままでは失礼かと思い、そっとドアを開く。
 カインさんは目を丸めていた。けど、どこか遠くを見ているというか、目が合わない。不思議に思っていると、カインさんは片手を上げた。
「悪い。触ってもらってもいいか?」
「……手を、ですか?」
「ああ。そうしないと見えなくなっちまったんだ」
「ええ……大変ですね」
この世界で起こることは「そういうもの」として受け入れるようにしているので、詳しいことは聞かない。けど、大変そうだというのはわかる。
 カインさんと手のひらを合わせると、今度はばっちりと目が合った。カインさんはニカッと笑う。
「あんたの顔見るのも久しぶりだな。それで、聞きたいことって?」
私は魔法舎の外に出てみたいということを伝えた。そもそも許可が下りているのかということ。それから魔法舎の中に戻ってくる方法だ。
「ああ、確か結界か何かで入口を隠してるんだったな。俺たちはあんまり気にしたことなかったが……まあ、そういう話なら」
カインさんは突然、私の部屋の隣のドアをノックした。「ファウスト、起きてるか」って。まさかそんな、他の人と話すなんて思ってもいなくて、本当に申し訳ないけどファウストさんが起きていなければいいなと思ってしまった。けど、カインさんが「おーい」と言いながら何回もドアを叩くので、次第に諦めの気持ちが強くなる。
「……何?」
明らかに「機嫌が悪いです」という顔でファウストさんはドアを五センチぐらい開けた。私と目が合うと、ドアをもう少し開けてくれた。私とカインさんが一緒にいることに驚いているようだった。
 私が外出したいという話を聞いて、ファウストさんは眉間にしわを寄せた。
「ひとりで?」
「……ええと、そのつもりで」
「危ないんじゃないか。きみは地理も何もわからないだろう」
……もしかして心配してくれているのだろうか。てっきり反対されるのかと思いきや、外の危険性を説明されてしまった。
「外に出るなとは言わないが、慣れるまでは誰かと一緒に行動しなさい」
「……そうですね」
ファウストさんの言うことはもっともだった。この世界での私はまだ小さな子供みたいなもので、何かあっても対応できない。どこに何があるのかも知らないし、字も読めないから迷いやすいだろう。だから、誰かについてきてもらうのが一番いい。それはわかる。わかるけど、そんなこと頼める人はいない。やっぱりやめておいたほうがいいのかな。ちょっとはしゃぎすぎてたかな、と冷静になってくる。
「……ネロがよく食材の買い出しに出かけてる。荷物持ちでもすればいいんじゃないか」
「えっ」
「何?」
「ファウストさんは、私がたまにネロさんと喋っているのをご存じだったんですか?」
「いま知った」
「そうだったのか?」
ファウストさんに続いてカインさんが声を上げる。ネロさんに妙な誤解がかからないよう、キッチンでたまたま会ったのだと説明した。
「……とにかく、そういうわけだ」
ようやく部屋から一歩出てきたファウストさんは、私のおでこに指をかざして呪文みたいなのを唱えた。
「これで魔法舎の入口は見えるようになった。じゃあ僕はこれで」
「あ、ありが――」
私がお礼を言いきる前にファウストさんは部屋のドアを閉めてしまった。よかったな、とカインさんは笑っている。……いや、よかったのか? まだ私は一緒に外出してくれる人を探さないといけないわけで。
「そうと決まれば次はネロだな」
「えっ」
「せっかくだ、行ってみよう!」
「ええっ!」
カインさんは行動力の塊だった。ついていかないわけにもいかず、私はカインさんに続いて階段を下りた。

 そりゃあ、ネロさんだって驚くだろう。いつも隠れるようにしてキッチンに食べ物を取りに来ていた人間が部屋を訪ねてくるのだから。しかも一緒に外出したいって。ありがたいことにカインさんが今までの話を要約してくれているけど、私は気が気でなかった。断られたらどうしようより、引き受けてくれたらどうしようのほうが大きかった。
「いいよ。俺だけだと持てる数にも限度があるし、普通に助かる」
「……ああ、ありがとうございます」
と、私がひとり悩んでいるうちに決まってしまった。もともと今日の午後から買い出しに行く予定だったらしい。お昼の片付けが終わったら、ネロさんが部屋まで迎えに来てくれることになった。

「で、どっか行きたいとこでもあんの?」
野菜や肉の入った袋を抱えたネロさんと、ほとんど何も持たせてもらってない私。いや、私は荷物持ちなんですが。頑張ればネロさんが持てそうなぐらいの小さな袋を持った私は、ネロさんに気を遣われたのだと思い知る。ネロさんは私に行きたい場所があって外出を望んだのだと思っているみたいだった。
「いえ……、今はとりあえず街の地図を覚えたいというか、本当にそれだけなので」
「……理由、きいてもいいやつ?」
「ゆくゆくは、働き口を探そうかと」
私なりにここでの生活を考えた結果だ。いつまでも引きこもってばかりではいられない。何となくだけど、仕事さえしていれば人と会うのも億劫にならないんじゃないかと思った。ただ与えられるだけの生活だから、賢者様や魔法使いのみんなに引け目を感じる。引きこもるのは楽といえば楽だけど、だんだん人としての楽しみを忘れてしまう。その主たるが食事だった。食事の楽しみを思い出したから、私は考え直すことができたのだ。
「……でも、今日歩いてみて文字を先に覚えた方がいいのかなと思いました。どこに求人があるのかもわかりませんでしたし、文字が読めないなんて言ったらびっくりされますよね」
「文字が読めなくてもできる仕事はあると思うけど……まあ、読めるようになって悪いことはないよな」
「そうですね……並行してできるように、考えてみます」
「……なあ」
ネロさんが立ちどまった。言葉を何度も選びなおしているような感じで、何か言おうとしてやめる。「言いたくなかったらいいんだけど」と前置きがあった。
「なんか……心境の変化でもあった?」
「……強いて言うなら“もっとおいしいものをたくさん食べたくなった”です」
私の答えにネロさんは目を見開いた。誤解のないように「ネロさんのパンがおいしくないとかじゃなくてですね」と付け加える。
「パンもいいけど、出来立てのご飯が恋しくなりました。私の故郷の料理に似た味も探したいです」
だからお金が必要になった。国からお金は貰えるけど、そのお金をネロさんに払って料理を作ってもらうのは違う気がする。というか、貰ったお金なんて使いづらくてほとんど手を付けていないし、余っているから必要ないと今は断っている。
「……ネロさんのおかげなんですよ。ネロさんがあたたかい食事を作ってくれたから」
「いや、俺は大したことはしてないけど」
「でも、私にとってはそうなんです」
ネロさんはふいに私から目を逸らした。でも、怒っているわけではなさそうだった。
「だから、今日は本当に私の用事はないのでネロさんのお役に立てるほうが嬉しいです」
ネロさんはすぐには答えなかった。しばらく沈黙が続いて「じゃあ」と出店のほうにネロさんがつま先を向ける。
「……調味料も買っていい? けっこう重たいけど」
「はい。頑張って持ちます」
「……まあ、ほどほどにな」