5話

「おいしかったです。いつもありがとうございます」
うまく書けているだろうか。ルチルさんに習ったばかりの文字で、さっそくネロさんにパンのお礼を書いてみたのだが……。本当にこれ、読めるのかどうか自信ない。

 どういうわけだか問題なく話し言葉が通じる世界なのだ。「そういうもの」で助かった。私はまず「あいうえお」の表を作って、この世界で対応する文字をルチルさんと一緒に横に書いていった。一つ一つ照らし合わせて使えば、読みはなんとかなる。ただ、すごく時間がかかるのが難点だ。こればかりは慣れしかないのだろう。そして書くのは今、練習中だ。
 ルチルさんは南の国の魔法使いで、もともと教師をしていたそうだ。それもあってか、ルチルさんの授業はとてもわかりやすかった。ちょうど私のほかにもリケくんという中央の国の魔法使いが文字を勉強中だったので、私もそれに便乗させてもらうという形だった。ルチルさんに文字を習ったらいいんじゃないかと提案してくれたのは、他でもないネロさんだった。

 私はさっそく書いたメモとバスケットを抱えてキッチンに向かった。ネロさんはいなかったけれど、パンの置いてあった場所にメモを残しておく。このタイミングでネロさんと鉢合わせしたら恥ずかしいので、私はそそくさとキッチンを後にした。ネロさんは気付いてくれるだろうか。

 ネロさんの荷物持ち以降、私はちょくちょく街に出るようになった。ただ、遠くへ行きすぎないよう釘を刺されている。乗り物は絶対禁止。そもそも乗る気もなかったから、全く問題ないのだが。
 ルチルさんと作った表があるだけで、街の探索は楽しいものだった。看板があれば読んでみて、こんなお店があるのだなと感心する。催し物の張り紙もあった。芸の一座が近くに来ているようだ。想像しただけでもわくわくする。ただ街を歩いているだけなのに、こんなにも楽しい。

――そろそろお昼どきだし、引き返そうかな。
 来た道を戻ろうとすると、視線の先にカインさんともう一人……たしか東の魔法使いと言っていたような、男の子がいた。男の子は私に気付いたようで「あっ」と表情を変えた。
 カインさんは毎朝変わらず起こしに来てくれるけど、今日は私の身支度が目も当てられないほどひどく、ドア越しのあいさつだった。だからきっと私のことは見えていない。もう一人の男の子が私に気付かなければ、そのまま通り過ぎすぎるという手もあったのだが。……まあ、無視はちょっと、という感じだ。
「こんにちは」
カインさんの肩をポンと叩くように触れる。これだけ見るとすごく親しい間柄っぽいなあと思いつつ、私は次に会釈した。カインさんは私の顔を確認すると、いつもの明るい笑顔を見せてくれた。
「ああ、あんたか! 今日はどうしたんだ?」
「街を見て回ってました。もうすぐお昼なので帰ろうかなと思っていたところです」
「ならちょうどよかった!」
ん? と私は首をかしげる。何がちょうどいいのだろう。
「ちょうど俺たちも昼飯にしようと思ってたんだ。あんたも一緒にどうだ? ヒースもいいだろ?」
さりげなくヒースさんの名前を呼んでくれたカインさん、とても助かる。ちら、とヒースさんが私を見た。
「俺は構わないけど……」
「決まりだな! この近くに美味い店があるんだ。ついてきてくれ」
「あ、カインさ……あー……」
この流れは前と同じだ。取り残された私とヒースさんの目が合う。
「……あの、嫌だったら俺が断っておきますよ」
「あ、いえ……決して嫌というわけではなく……」
問題なのはお金だ。いざというときのためにお金は持ってきている。怖い人に絡まれたら財布を地面に叩きつけて走って逃げるつもりだった。ただ、それをここで使っていいのかなあと思うのだ。どうせ魔法舎の食べ物をもらっているのだから、外食にお金を使えないというのもおかしい気がする。でも、私はおいしいご飯のために仕事を探しているわけで……。どうしたものかと悩んでいると「あの」とヒースさんが。彼はとても申し訳なさそうな顔をしていた。
「カインを見失ってしまうので、とりあえず行きましょうか」
「ああっ、すみません」
私は慌ててヒースさんとカインさんの後を追った。

「なんだ、それで遅かったのか」
私はさっき悩んでいたことを正直に二人に話した。ヒースさんはなんとなく私に寄り添ってくれたような反応で、反対にカインさんはけろっとしている。
「俺はいいと思うけどな。あんたの状況じゃ仕方ないし、今はこうして前向きに頑張ってるだろ?」
「……そう、なんですかね」
「そうさ。それに、どうしても気になるなら後から返せばいい」
「……確かに」
カインさんに言われると本当にその通りな気がしてくるから不思議だ。
 私は二人にご一緒させてもらうことにした。食べた分は稼ぐ。そう決めたそばから、まさかこんなに早く働き口が見つかるなんて私は思ってもいなかった。

 入ったお店はカインさん顔見知りの場所だった。そこで店主さんの奥様が腰を悪くされたという話になり、人を募集しようとしていたことを知り、カインさんの「ちょうどよかった」をもう一度聞くことになった。
 カインさんは私が仕事を探していることに加えて、雇ってやってほしいとまで言ってくれたのだ。もちろん私の意思も確認された。店主さんも「カインさんにそこまで言われたら」という感じで、なんと私は明日から店に出ることが決まってしまった。このスピード感はさすがのカインさんで、ヒースさんも隣で驚いているようだった。ちなみに食べた料理もすごくおいしかったのだが、話の展開が早すぎてあまり味が思い出せない。お給料をもらったらもう一度チャレンジしてみようと思う。明日は寝坊するわけにはいかないから、今日は早めに寝ておこう。

****

 夜の仕込みをしようとして、メモに気付いた。メモにはつたない字で感謝の言葉が書かれていた。差出人については書かれてないが、すぐに誰だかわかった。
「なにニヤけてんだ?」
「ニヤけてねえよ」
腹を空かせたらしいブラッドは、がぶりとリンゴにかじりつきながら俺の持ったメモを覗こうとしてきた。言及されるのも面倒だったからメモを隠そうとしたが、すぐにそれが間違いだったと気付く。隠してすんなり引くような相手じゃなかった。
 ブラッドはするりと俺の手からメモを抜き取って、してやったように笑う。
「ん……なんだこれ。中央のちっちゃいのが書いたのか?」
「あー……いや、」
リケか。確かにリケということにしておけばすぐに話が終わりそうだ。でも、嘘までついて誤魔化すのって頑張ってる彼女にもリケにも失礼じゃないか? ごちゃごちゃ悩む俺が否定するより早くブラッドは「違うのか」と一人で納得していた。じゃあ誰なんだと聞いてくることも忘れちゃくれない。
「……四階に住んでる女の子」
「女ァ? 誰のことだよ?」
「いや、俺も詳しくは知らねえ」
「はあ? 全く意味がわからねえ」
ブラッドの言うことはもっともだが、本当に知らないのだ。名前も聞きそびれたまま何となく過ごしているし、賢者でも魔女でもないということしか聞いていない。それと、文字を勉強中なのと仕事を探してること。俺が知っているのはこれだけだったが、ブラッドは何かピンとくるものがあったようだ。
「ああ、そういやいたな。異界から来た女」
「は……異界?」
「賢者と同じだ。っつーか賢者のつもりで召喚したら何の力もねえ女が来ちまったんだよ」
「何だよそれ」
おかしいと思わなかったわけじゃない。魔法舎に住んでいることも、字が読めないといったことも、人目を避けているのも、ぜんぶ妙だと思った。けど、本人には聞かなかったし、誰かに確認もしなかった。探るようなことをされて嬉しいタチじゃないからだ。しかしそれが正しかったのか、今ではわからない。
「で、なんでそいつとお前がこんな子供みてえなことしてんだ?」
ブラッドはひらひらとメモ紙を揺らした。
「うるせえ。それ返せ」
俺がメモを奪い取るとブラッドは面白くなさそうな顔で、芯だけになったリンゴをゴミ箱に投げ入れた。