8話

 新しい賢者様はネロさんの言った通り女の人で、彼女もまた日本からこちらの世界に来たそうだ。前の賢者様と一緒に歴代の賢者の書というものを見た限りでは、日本だけでなくあらゆる場所から賢者は召喚されるようだった。ここに来て三人……私は違うとしても二人連続で同じ場所から賢者が召喚されたのはなぜだろう。

 突然部屋を訪れたにもかかわらず、賢者様は嫌な顔ひとつせず私を迎えてくれた。「お話してみたかったんです」と言われて、今まで避け続けていたことがグサグサと胸に刺さる。私のことは人づてに聞いて知っていたみたいだ。たぶん私が引きこもっていたのとか賢者様を避けていたの、気付いていたんじゃないかなと思う。だってそうじゃないと、今まで一度も会わなかったって説明がつかない。私が賢者様の立場だったら、似たような境遇の人がいるならまず話してみたいと思うから。
 とりあえず挨拶だけのつもりだった。けれど賢者様においしいお菓子があるからと誘われ、帰るタイミングを失ってしまう。今まで避け続けていた後ろめたさから目を背けながら、私は賢者様の部屋に入った。

「未央さんとお話しできてよかったです。まだわからないことばかりで不安だったので」
「……私もまだ全然ですけど、何かお力になれることがあれば」
「はい、お願いします」
沈黙。会話が続かない。なんか、自分で言ってて感じ悪いなと思ってしまった。賢者様に対して冷たくしようとかは一切思っていないけど、変な意識をしてしまう。このままだと賢者様も気を悪くするだろう。
「……もし賢者様がよければですけど、今度一緒に買い物に行きませんか?」
「あっ、ぜひ! 日用品とか揃えたかったんです!」
賢者様の表情がぱっと明るくなって、ひとまず私は安心した。といっても私はネロさんの提案をそのまま賢者様に話しただけだ。買い物も、私がしたいからという理由が大きい。
 ……でも、勢いで誘ってしまったけどお店とか全然知らない。本当に大丈夫だろうか。今さら不安になってきた。賢者様もきっとあまり詳しくないだろうから、下調べとかしておいたほうがいいかもしれない。仕事の帰りに目星をつけて、あとは他の人に聞いてみて……。
「あの、どうかしましたか?」
賢者様はきょとんとした顔で私を見ていた。
「ええと、すみません……誘ったのはいいけど、お店に全然詳しくないのでどうしようかと」
「ふふ、そんなのいいですよ。二人で開拓しましょう」
賢者様の微笑みで、私の中の凝り固まったぐちゃぐちゃしたものが少しだけ崩れたような気がした。

 私は初めてのお給料を手に、賢者様とともに街へ出た。私も賢者様も服が足りていないので、まずは洋服屋。後は気になった店を覗いてみようということで話が決まる。
「あ、これとかよさそう!」
賢者様は鏡の前でシンプルながらも可愛らしいシャツとパンツの組み合わせを体に当てた。賢者としての仕事もあるから、動きやすいものをまずは揃えたいそうだ。
 試着室から出てきた賢者様が「どうですか?」と体をひねる。
「似合ってます。それに着まわせそうでいいなあと思います」
「それ大事ですよね! まだ数が少ないので着回しどころじゃないですけど」
「ちょっとずつ増やしていきたいですね」

 賢者様は購入を決めたようだ。賢者様が着替えている間に私も服に目星をつける。
「未央さんはどんな服を?」
「……さっき着回しとか言ってアレですけど、一枚で着れるワンピースもいいなあって」
「ああ、確かにそうですね。選ぶ時間ないときとか、重宝します」
私は一番簡素なワンピースを選んで試着してみた。裾も長めで色合いも落ち着いていて、普段着として活躍してくれそうだった。しかし、鏡を見たところであることを思い出してしまう。
「……っ」
ついこの前、ワンピースを着る機会があった。カナリアさんにメイド服を貸してもらったときのことだ。あのときはそれどころじゃなくて何も考えられなかったけど、ネロさんに……抱っこされたんだった。いや、あれは抱っこというかただの運搬というか、特別な意味なんてないのはわかっている。それなのに、近くで見たネロさんの顔や、私を抱えてものともしない力強さを今になって思い出してしまう。この服はだめだ。決してメイド服に似ているというわけじゃないが、正気でいられる自信がない。
「未央さん、どうかしましたか?」
「ああ、いや……えっと、やっぱり私もズボンにしようかなって」
「ええっ! すごく似合ってるのに」
「……なんていうか、その……ワンピースにまつわる恥ずかしい思い出が急に」
ああ、私は何を言ってるんだろう。賢者様も呆れているんじゃないか。ワンピースにまつわる恥ずかしい思い出って、もっと他に言いようがあっただろうに。
「……いい思い出じゃなくてですか?」
「え」
「私の勘違いだったらすみません。でも、未央さんの反応を見てたら……恥ずかしくて嫌っていうより、嬉しいとか照れてるとか、そういう意味の恥ずかしいなのかなって」
「それは……」
どうだろう。確かに嫌な思いをしたわけじゃない。ただネロさんのことを意識してしまうというか……。
「そうかもしれませんが、やっぱりダメです。……でもこの服は好きなので、色を変えます。もうちょっと薄い色に」
「あ、それもかわいいですね!」

 私と賢者様は一着ずつ服を買い、気になるお店を覗きながら帰り道を歩いた。日用雑貨も揃えたいけど、生活に支障はないから次のお給料日を待とうかなあなんて考えながら。
 歩いていると、食材を扱う店が目に入った。私は街に出るたび、それとなく探しているものがある。見つかる兆しはまったくないが。
「すみません、調味料も見て行っていいですか?」
「はい。未央さんも料理するんですか?」
「たまに、ですけど。でも、やっぱり日本とは調味料も食材も違うしで……ずっと探してるんですけど」
「何をですか?」
「……醤油を」
「醤油!」
賢者様は目をぱあっと輝かせた。「私も欲しいです!」と。やっぱり賢者様も和の味が恋しいようだ。
「でも見つからないですね。作れるなら作りたいですけど、大豆からどうやって醤油になるの? って感じで」
「……謎ですね」
私たちは目を見合わせてふふ、と笑った。

「今日はありがとうございました。楽しかったです。よければまた」
賢者様は買った服をぎゅっと抱きながら朗らかに笑った。賢者様に言われて、そういえば私も楽しかったなと気付く。いつの間にか気まずい雰囲気もなくなっていたような気がするし、私もまた賢者様と出掛けたいと思っていた。
「こちらこそありがとうございました。また誘いますし……誘ってください」
「はい! またお茶会もしたいです。ちょっと聞きたいこともあるので」
「……聞きたいこと?」
「話したくなかったら全然大丈夫なんですけど……ワンピースにまつわる恥ずかしい思い出の話、とか」
「えっ」
自分でも顔が熱くなるのがわかった。忘れかけていたのに、また思い出してしまう。「じゃあ、また」賢者様はいたずらっぽく笑ってみせた。