15話
ネロを待つ間、ルチルさんに貸してもらった子供向けの本を読んでいた。童話やおとぎ話の類のようだが、元の世界のとはちょっと違うところもあって面白い。ここは魔法が存在する世界だから、ごく普通のこととして魔法が描かれている。実際には差別が激しい地域もあるみたいだけど、ルチルさんに貸してもらったものには含まれていなかった。ルチルさんの出身の南の国では人間と魔法使いが助け合って生きているみたいだから、土地柄なのかもしれない。
本を半分ほど読み切ったところで部屋のドアがノックされた。本に紙を挟んでネロを出迎える。ドアを勢いよく開きすぎたのか、ネロは驚いた顔で一歩後ずさった。
「お待たせ。腹減ってる?」
「減ってます!」
「……そ。じゃ、行きますかね」
ネロに続いて階段を下りる。ネロはなぜか三階で廊下に入っていき、そのままネロの部屋の前まで歩いて行った。何か忘れ物でもあるのかなと思いきや、ドアを開けて「どうぞ」と中に招かれてしまう。……あれ? 私はてっきり食堂で一緒に食べるのだと思っていたんだけど。ネロの部屋のテーブルには明らかに二人分の食事が用意されていてた。さらには椅子まで引かれてしまって、私は縮こまりながらそこに座った。
目の前においしそうな食事があるというのに、全くそのことが頭に入ってこない。だってまさか部屋に入れてもらえるなんて思ってなかったし、何より気になるのがネロが無理をしていないかということだ。けど、今さら食堂でいいなんて言えるわけもなく。向かい側に座ったネロから目を逸らすと、まず目に入ってきたのがキッチンで私の緊張は少し和らいだ。
「ネロの部屋にもキッチンがあるんですね」
「ま、料理してるときが一番落ち着くっつーか、夜はつまみ作ってひとりで飲んだりしてるよ」
「あ、確かにお酒もありますね」
飲む? と聞かれたけど今日は遠慮しておいた。緊張がほぐれるかもしれないと思ったけど、お酒自体久しぶりで変な酔い方をしたらたまったものじゃない。ネロは「だよなあ」と顎をかいた。
「緊張してるもんな。……やっぱ食堂のがよかった?」
「え……いや、あの、確かに緊張はしてるんですけど、部屋に呼んでもらったことは嬉しいというか」
「……俺もちょっとどうかなとは思ったんだけどさ。案外好きみたいなんだよ、あんたの喜ぶ顔」
「ネロ……!」
「そうそう、その顔」
私は恥ずかしくなってうつむいてしまった。ネロに正面からじっと見られているのがわかる。見られているのもそうだけど、ネロが私を喜ばせようとしてくれていたというのが嬉しすぎた。ネロの優しさに甘えすぎな気がしているのに、そんなこと忘れそうになってしまう。
「話はそんぐらいにして食べようか」
「……はい、いただきます」
今日の献立はパイ包みの何かみたいだ。パイ生地がうすピンク色なのにはびっくりだけど、ネロの料理はカラフルなことが多い。というか、この世界ではわりと普通のことらしい。少しは慣れたけど、やっぱりピンクとか紫とかはびっくりする。でもネロの料理がおいしいのはわかっているから、食べるのに抵抗はない。
フォークでパイ生地に切れ目を入れると、中に入っていた魚が姿をあらわす。とろりとしたソースがからんでいておいしそうだ。ナイフで一口大に切って、口に運ぶ。
「わ、おいしい」
感想が自然と口に出る。いつもならネロは料理の感想に照れたりなんてしないけど、今日は少しだけ反応が違った。「ん」と短く言っただけで、静かに食事を口に運ぶ。最初は単に食事中はあまりしゃべらないだけなのかと思ったけど、遅れてネロは口を開いた。
「……今日はちょっと気合入れてんだ」
「そ、それは……私、喜んじゃってもいいんでしょうか?」
「いいよ。……あー、やっぱ言うんじゃなかったかな」
「そんな、ネロの気遣いに気付けなかったら悲しすぎるのでどんどん言ってほしいです」
「や、どんどんは無理。そんな大したこともしてないし」
それ気遣いでも何でもないだろ、とネロは言う。それはそうなのかもしれないけど、今までに何度も気付けてないことがあったんだろうなと思うと悔しくなった。
夕食をぺろりと食べきると、私の前にプリンが置かれた。一瞬「太る!」と思ってしまったけど、これを食べないなんて選択肢はない。
「今日はデザートまであるんですね、おいしそうです」
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「……じゃあ、コーヒーをお願いします」
「はいよ」
ネロは慣れた手つきでコーヒーをいれてくれた。私は砂糖を一つ入れたけど、ネロはそのまま飲んでいる。ネロの前にはプリンもない。
「ネロは甘いのはあんまり?」
「そういうわけでもないけど、プリンなら味見で食ってるし」
「プリンも味見とかするんですね」
「まあ、人に出す前には大体食べるよ」
確かに私でもそうすると思うけど、ネロほどの腕前でもそういうものなのかと感心した。料理人としては当たり前なのかもしれないけど、ネロの作ったものがおいしくないというのはあまり想像できない。
「失敗とかあるんですか?」
「味薄すぎとか濃すぎとかはわりと」
「……意外です」
「そうでもないって」
ネロはそう言ってカップに口をつけた。私もプリンをスプーンですくう。ちょっと硬めのずっしりタイプみたいだ。濃厚な味がとても癖になりそうだった。食べてしまうのがもったいなくて、ちょっとずつ食べ進める。私の考えはネロにバレてしまったみたいで、二個目を勧められた。けど、さすがにこの時間帯にプリン二個は罪深い。もう少し一緒にいられるという誘惑はあったけど、今回は丁重に断らせてもらった。ネロも最初からわかりきっていたのか「だよな」と笑った。
いよいよプリンも食べ終わった私は席を立つべきか悩んでいた。寝るというにはまだ早いかもしれないけど、人の部屋にお邪魔するという意味では遅い時間だ。悩んでいると、ドアがノックされた。……え? こんな時間に来客があるのかという驚きと、どうすればいいのかという焦りが同時に襲ってきた。
「ネ、ネロ……私はどうすれば?」
「ん? そんまま座ってていいけど」
ネロは何てことのないような顔で席を立った。ネロがドアを開けると、そこにはシノさんが立っていた。シノさんは私を見て目を見開いていたけど、何も言ってこなかった。
「なんだシノか。腹でも減ったのか?」
「ああ。でも、邪魔だったみたいだな」
「いや、邪魔っつーか……まあ、プリンあるけど持ってくか?」
こくりとシノさんは頷いた。
ドアが閉まるまで、私は気が気じゃなかった。べつにやましいことをしているわけじゃないけど、ネロはよかったのだろうか。シノさんは勘違いしたんじゃないだろうか。私はネロのことが好きだけど、ネロはそうじゃいから、周りに変な誤解をさせてしまったら申し訳なく思ってしまう。
ネロは椅子に座りなおして、シノさんがここに来るのは珍しくないのだと言った。いつも食べ物を要求されるから、日持ちするものを常備するようにしているそうだ。
「あの……私のこと見られて大丈夫でしたか?」
「べつにコソコソするようなことはしてないし、大丈夫だよ。まあ、俺は後でなんか言われるかな」
「う……申し訳ないです」
「いいよべつに」
「ネロは――」
ネロはなんて答えるんですか? 聞きたかったけど、聞けなかった。
「ん?」
「いえ、何でもないです。食器、洗ってもいいですか? 料理はまだまだですけど、食器洗いは仕事で結構鍛えらたので」
「俺がやるって言いたいところだけど、そこまで言うなら見せてもらいたいもんだな」
「えっ……見るんですか?」
そこまで注目されると落ち着かないというか……。まさかネロがそんなことを言い出すなんて思ってもいなくて、私は自分の発言を後悔した。
ネロは私の隣に立って腕を組む。……なんかこれ、テスト受けてるみたいですごく緊張する。ちらりと横目でネロを見上げると、ネロはいたずらっぽく笑って腕をほどいた。
「冗談だよ。あんたの反応が面白くてついからかいたくなっちまう」
「……冗談でよかったです。お皿割るかと思いました」
はは、とネロは笑った。しかしほっとしたのもつかの間、ネロの手が伸びてきて私の髪を耳に掛けた。本当にお皿を割ってしまうところだった。私はお皿を握りしめたまま動けなくなる。
「……悪い」
「……っいえ、全然。私は、全然」
「やっぱ皿は俺が洗うよ。あんたは部屋戻ってゆっくりしな」
ネロは私の手からお皿を取り上げてシンクに置いた。それから部屋のドアを開けて「おやすみ」と言う。かろうじて返事はできたけど、ほぼ何も言えないまま私はネロの部屋を出た。ドアが閉まった後、もっと何かうまく言えたんじゃないかと後悔が強くなる。うつむいたら、ネロに掛けてもらった髪がはらりと落ちてきた。