2話

「やあ、こんにちは」
頭上から降ってきた声にルウは顔を上げる。オズではない男が立っていた。男はにこりと笑いながらルウを見ている。ドアが開いた音もしなかったのに変だ。男はしゃがみこんでルウと目線を合わせた。
 男と距離を取ろうとしたが、すぐ後ろはもう壁だ。「だれ」かろうじて声を出し、ぎゅっと両手で自身の体を抱いた。
「俺? 俺はフィガロ。オズが女の子を拾ったっていうからさ、どんな子なのかなと思って」
見定めるような目にぞっと寒気がした。
 ルウはなるべくフィガロを見ないようにしながら立ち上がり、部屋の出口へ早足でむかった。しかし、ドアが開かない。またか、とルウは舌打ちする。内鍵はかかっていないはず。ノブもきちんと回る。なのに押しても引いてもドアは開かなかった。
 振り向くと、フィガロが口元に弧を描いていた。
「つれないな。もうちょっと話そうよ」
「……何を」
「オズの話とか?」
フィガロはソファに座って足を組んだ。ソファの空いたスペースをぽんぽん叩かれたが、とても座る気にはなれない。ルウが立ち尽くしたままでいると、フィガロは諦めたのかオズの話というのを始めた。
「オズはさ、今ちょっと落ち込んでるんだ」
「……そんなふうには見えなかったけど」
「表情ではわかりづらいんだけど、ほら」
フィガロは窓の外を指差した。相変わらずの猛吹雪である。……まさか。ルウの思考を読んだかのようにフィガロは頷いた。
「待って。吹雪は半年も続いてる」
「そうだよ。ずっと落ち込んでる。だから何とかしたいんだよね」
「……何があったの?」
ルウはフィガロの座るソファに近づいた。フィガロに対する嫌悪感や恐怖心より、オズへの興味が勝ってしまったのだ。

 十年近く前の話なんだけど、とフィガロは懐かしむように口を開いた。
 雪の中、オズはアーサーという子供の魔法使いを拾ってきたそうだ。そして、二人はここで一緒に暮らした。最初は成長したところを石にして食べるつもりだったらしい。しかし、オズはそうしなかった。できなかったのかもしれない。そして半年前、アーサーの実家から迎えが来て離れ離れになってしまった。吹雪はその日からずっと今まで続いている。

「こんな感じ。どう?」
話の内容とは正反対の笑みでフィガロは首をかしげる。仕草もいちいちわざとらしい。
「どうって言われても……ああ見えてオズにも情ってものがあるのね」
「そう、それできみだよ」
「どういう意味?」
「きみはアーサーには似てないけど、それでもオズが拾ってきたんだ。きみがオズの心を癒してくれないかなあって」
「……は?」
無理。というか嫌。オズと仲良くできる気がしない。それに機嫌取りなんてまっぴらごめんだ。
「でも、吹雪がやまないと城から出られないよ?」
「……あなたは?」
「俺は魔法があるから」
「連れて行ってよ」
「俺に何の得がある?」
「……じゃあオズね。私がここにずっといても邪魔だろうし、呪われたら困るらしいからきっと出してくれるわ」
「オズは無理だよ」
フィガロはソファの背もたれに腕をかけてふんぞり返った。さっきからいちいち腹の立つ動作ばかりしてくれる。
 オズは北の国から出ない。フィガロはそう言った。「他の国にも吹雪が及んだら大変なことになるから、北の国から出ないように」オズにそう言い聞かせたのはフィガロとオズの師匠だそうだ。その師匠というのがオズの言っていた「双子」らしい。
「オズはここから動かないし、俺もきみを助けない。だからきみがどうにかするしかないんだ」
「……あなたは吹雪をとめたいの?」
「まあね。さすがにこのままだと大勢の人が死ぬし、下手したら北の国そのものが危ないよ」
「私は……吹雪がやんでほしいとは思わない。死んでほしい人たちがいるから」
「それってきみを生贄にしようとしたやつら?」
ルウは静かに頷いた。やれやれ、とフィガロが頭を掻く。
「じゃあこういうのはどう? きみが吹雪をとめることができたら、俺がその村を滅ぼしてあげるよ」
「……な、」
冗談でも言っているのだろうと思った。しかしフィガロはルウが答えるのを静かに待った。ドクドクと心臓の音が大きくなる。魔法使いは人間とは違う。頭でなんとなく理解はしていたけど、改めて突き付けられた瞬間だった。
「あなたは……人を助けたくて吹雪をとめたいんじゃなかったの?」
「そうだよ。まあ、環境的な話もあるけど」
「それなのに村を一つ滅ぼすの?」
「だってこのまま吹雪が何年も続いたらもっと大勢の人が死ぬでしょ? 村一つで済むなら安いものだよ」
「安いって……」
確かにそうなのかもしれない。けど、それを何の躊躇もなく言えるのはやっぱり怖い。村が潰れてほしいとは本気で思っているつもりだった。しかしそれは自然に自分の知らないところで潰れてくれればいいという意味である。自ら滅ぼしたり、誰かに頼んで村人を殺してもらうとか、そういった意味ではない。だがフィガロの中ではすべて一緒のことなのだろうと感じた。
「どう?」
フィガロは念を押すようにもう一度言った。
 自ら脱出する力を持たないのだから、フィガロの提案に乗るしかない。わかっているのに頷くことができない。フィガロは優しそうな顔をしているが、オズよりずっと恐ろしく思えた。
 ついにルウは首を横に振ってしまう。「わかんないな」とフィガロが呟き、部屋のドアが静かに開いた。

 のろりのろりとルウはオズがいた部屋にむかう。オズは暖炉の前のソファにゆったりと座っていた。どこか上の空のように見える。
「フィガロに逃がしてもらわなかったのか」
「……断られたんですけど!」
ルウはソファの一番すみっこにドスンと座った。しばらくオズの横顔を睨みつけているが、特に反応はない。「ねえ」と声を掛けて、ようやくオズと目が合う。
「おまえは私が恐ろしくないのか」
「怖いに決まってる。さっきの何? 魔法?」
「感情を支配する魔法だ」
オズが淡々と答える。フィガロが得意な魔法だという特に嬉しくもない情報もオマケされた。
「じゃあ、私の心を幸せいっぱい! にもできるの?」
「できる。だが、そのような用途で使ったことはない」
「じゃあやってみせて」
オズの目がじとりと伏せられる。意外なことにもオズは呪文を唱えてくれた。何となく心が軽くなったような気がする。しかし、
「……幸せ! って感じじゃないんだけど」
「おまえの幸せが私にはわからなかった」
「なによそれ」
「魔法は万能ではない」
「できるって言ったじゃない」
 ルウは上半身をソファに投げ出した。オズの座る位置にはぎりぎり届かない。
「寝るのか」
「……ん」
「魔法を解いていいか」
「寝たら解いて」
膝を折り曲げ身体を丸めて、むりやりソファに全身を収める。誰もが魔王と恐れる男の隣で何をしているのだろう。頭のどこかにそんな考えが浮かんだが、同時にどうでもいいとも思っていた。なんだか頭の中がふわふわする。きっと魔法のせいだ。これがオズの考える幸せだろうか。アーサーという顔も知らない男の子のかけらに触れてしまったような気がした。