3話

 起きたらオズはいなかった。暖炉の火だけがパチパチと昨日のまま燃え続けている。薪も燃え尽きる様子はない。
 せまい場所で寝ていたからか、起き上がったときに違和感があった。身体をねじると背骨がポキッと鳴る。
 ルウはオズを探すことにした。部屋を出るとわずかに空気がひんやりとしている。静かで、人の気配がしなくて、世間から見捨てられた場所のように見えるのに、埃やよごれ一つ見当たらないのが気味悪い。
 ルウは一つづつ扉をノックして開いていった。似たような部屋がたくさんあったが、オズはみつからない。フィガロもいないのだろうか。彼と昨日会った部屋に行ってみたけれど、何の痕跡も残されていなかった。
「オズ」
呟くように呼んだ名前に反応はない。ちょうどそのタイミングで開こうとしたドアには鍵が掛かっていた。開かない扉は他にもいくつかある。諦めて元の部屋に戻り、ルウは暖炉の前を陣取った。しかし、ただ火を見ているだけでは退屈だ。オズはよくこれでじっとしていられたものだ。
 こうなったら、もうひと眠りするぐらいしかやることがない。いきおいよく背中からソファに倒れ込んで仰向けになる。ちょうどそのとき、視界にオズの顔が飛び込んできた。がばっと開いてしまった足を慌てて閉じる。ズボンを履いているとはいえ、恥ずかしい。オズが何も気にしていないようなのが、また腹の立つ原因だ。ルウは反動をつけてぴょんと飛び起きた。
「いたんだ、おはよう」
「…………ああ、おはよう」
長く開いた間が気にならないわけじゃなかったが、挨拶を返してくれたのは意外だった。
 定位置なのかオズは昨日と全く同じ場所に腰を下ろした。しかし、今日は視線がルウのほうに向いている。
「なに?」
「……いや、」
「じゃあ私から聞くけど、これからどうするつもり?」
「これから、とは」
「私をここに住ませるつもりなのかってこと」
「……いま、考えていた」
「ええ……」
もしかして、じっと見ていたのはそのせいなのか。ずいぶん余裕があるというか、悪く言えばのんびりしている。オズがそのまま一人で何日も考えこんでしまいそうだったため、ルウはオズに詰め寄った。
「昨日は混乱してて思いつかなかったんだけど、あなたの魔法で私を遠くに飛ばしてくれない? そしたら一件落着よ」
村には戻れないから中央の国でも南の国でも。何なら他の場所だっていい。オズだって人間を飼うよりそのほうがいいだろう。フィガロの願いは叶わないことになるが、知ったことではない。
「どこに飛ばせばいい」
「……じゃあ、南の国」
なんとなく北の国と正反対で、温かくて食べ物に困らなさそうだという安易な理由だ。そういえば昨日の昼から何も食べていないと思い出す。さすがにオズには言えなかったが。

「……ありがとう、助けてくれて」
 オズが呪文を唱え終わる瞬間、もしかしたら最後まで聞こえなかったかもしれない。だが、オズが目を丸くしていたのは見えた。魔王がそんな顔をするなんていい気分だ。しかし、すぐにルウの機嫌はこれ以上ないぐらいに落ちた。

「あれ、きみは」
「なんであなたがここにいるの」
「いやだってここ、俺の家だし」
 可愛らしく首をかしげた男――フィガロの言う通り、ここは家の中だった。オズはいったい何を考えているのか。人をこんな場所に飛ばすなんて。
「私は南の国に行きたいってオズに言ったのよ」
「まあ、合ってるよ」
「え……」
「正真正銘、南の国だよ。にしても南の国って言われて一番に思いつくのが俺の家って、オズも案外かわいいとこあるよね」
何もかわいいところなんてない。がっくりと項垂れるルウをよそにフィガロは魔法を使ってお茶を淹れ始めた。忘れかけていた空腹を思い出したのか、ルウの腹の虫がぐうと鳴る。
「もしかして何も食べてなかったりする? オズはそういうの、言わないとわからないよ。なんでも魔法で済ませちゃうからね」
 フィガロはマグカップに口をつけ、右手の指をくるくるっと振った。棚から皿とパンが出てきて、ルウの前に着地する。いよいよ食べ物を目の前にして、我慢が限界を迎えた。
「……食べていいの?」
「もちろん」
「ありが「食べたら俺のお願い聞いてくれる?」
 パンに伸ばしかけていた手は何を掴むこともなくルウの膝の上に戻った。そうだ、こういう男だったと、感謝しかけた自分に呆れる。
「……もういい、さよなら」
「ああ、待って。冗談だよ。何もしなくていいから食べなって」
魔法でも使ったのかルウは強制的に椅子に座らせられた。魔法が使えるからってどうこう言うつもりはないが、物のように扱われるのは嫌いだ。まあ、人間にだって他人を物みたいに使うやつらがいると身をもって知ったばかりだけれど。
「……やめてよ、こういうの」
「え、何かおかしかった? お腹が空いてるだろうし、親切にパンをあげただけのつもりだったけど」
「座るときは自分で座りたいの」
ルウはそう言ってパンにがぶりと噛みついた。乾燥したフルーツが入っていておいしい。ちょっと硬めで噛みごたえもある。
「……パンは、ありがとう。どうしてわけてくれたの?」
「正直言うとこの辺の人たち親切だから、俺があげなくても他の人に貰えちゃうんだよね」
 やれやれ、とフィガロは肩をすくめているけど彼の表情は得意気である。
 南の国と北の国は正反対のようだ。ルウが育った村なら共同で仕留めた獲物の取り分ですら揉める。食糧をわけてほしいと頼まれても、自分も余裕がないからと断る。もちろんそれが全くの嘘というわけではない。ルウにとって当たり前だったことが、ここでは通じないようだ。
 フィガロが用意してくれたホットミルクは、魔法使いが作ったシュガーというものが入っていて、疲労回復の効果があるそうだ。確かに飲んでみると体の緊張がほぐれるというか、リラックスできる。それに甘くて飲みやすかった。
 フィガロはルウの向かいに座ってテーブルに肘をついた。
「それでさ、実際オズのことどう思った?」
「またその話……っていうかあなた、嘘ついたでしょ」
「嘘?」
わかっているのか本当にわからないのか、フィガロはきょとんとしている。
「オズは私を外に出せないって言ったじゃない。出してもらえたわ」
「いやいや、俺が言ったのはオズがきみを連れて城を出られないって話だよ」
「わざと誤解するような言い方したでしょう」
「だって、きみのためにこんな魔法を使うなんて思ってなかったし」
「まあ、確かに……ちょっと優しいところもあるみたいね」
 優しさというより大半は、ルウが邪魔だっただけという気もする。それでも希望通り南の国に行かせてくれたのは意外だった。着いたのがフィガロの家の中というのは何とも言えないが、オズに悪気があったわけではないというのはわかる。
「オズのこと、そんなに嫌いでもないでしょ?」
「何が言いたいの」
ルウがじとりと目を伏せる。フィガロはにこにこと笑うだけで何も言わない。このままだと言いくるめられてしまいそうで、ルウは席を立った。
「ごちそうさま」
フィガロの返事も待たずにルウは外へ出た。

 あたたかい風にまず感動して、見渡す限りの緑に胸がいっぱいになった。ここは北の国じゃない。初めての異国、家もお金もない状態で、不安がないと言えば嘘になる。しかし、ここでなら自由に暮らせると思った。狩りには自信があるからきっと食べていける。
 ルウは街を出てひたすら歩き、太陽が真上に昇るころに森をみつけた。人が通る道は作られていなかったが、ルウは足を踏み入れた。
 草や木の根を跨ぐのすら一苦労だ。ツルが足に絡みつき、つまづきそうになる。北の国ではここまで植物が育たない。ルウにとっては特に歩きづらい環境だった。
 狩りのための罠を作るかまず水場を探すか。悩んでいると、急に周りの空気が変わった。隠れていた小さな動物たちが一斉に姿を見せたかと思えば、一目散に走り出す。そして、背後にただならぬ気配を感じた。ルウはとっさに息を殺して木の陰に身を縮めたが、何かが近づいてくるのがわかった。ガサッと音が鳴ると同時にルウはその場を飛び退いた。しかし、肩に鋭いものが食い込む。一瞬だけ見えた。動物とは比べ物にならないほど大きい、あれは魔物だった。


 ハッと目を開けると同時に飛び起きる。ごつん、と額に何かあたった。
「……オズ?」
 どうして。森で魔物に襲われたはずだ。しかしよく見るとここはベッドの上で、部屋の内装も見たことがある。オズの城だ。
 あんなに期待をいっぱい胸に詰めて外に出たというのに、一瞬で戻ってきてしまった。自分の不甲斐なさに嫌気がする。今思い返せば、どうしてあんなに気が大きくなってしまったのかも謎だ。あの村さえ出れば自由だと思っていた。

 額がじんじんと痛む。どうやらオズの頭にぶつけてしまったらしい。オズはムッとした顔でルウを見下ろしていた。
「フィガロがおまえをここに連れてきた。様子を見ておくよう言って、どこか行ってしまった」
 それで眠っているところをじっと覗き込むように見ていたということだろうか。素直というより生真面目だ。そもそもフィガロとの力関係はどうなっているのだろう。オズより上の魔法使いなんていないのだと思っていたが、話を聞く限りだとそうも見えない。
「今さらなんだけど、フィガロとはどういう関係なの?」
「……」
「ええと……考えてる?」
「私よりもフィガロに聞いたほうが早い」
オズは諦めたように言った。言いたいことはわかるけど、フィガロに聞いたら都合のいい言葉を並べられて誤魔化されそう気もする。それにオズがフィガロをどう思っているのかも知りたい。フィガロはオズが寂しがっていると言っていたが、仲がいいならフィガロがここに住めばいいと思ったのだ。
「……オズがどう考えてるのか知りたいわ」
「フィガロは……口うるさい男だ」
オズから出てきた言葉がおかしくて笑ってしまう。しかし、当のオズは真顔のままだった。
「フィガロは私のこと、何か言ってた?」
「……まさか誰にも頼らずひとりで森に入っちゃうなんて思わなかった」
「……後をつけられてたのかしら」
想像するだけで嫌になるが、そのおかげで助かったので文句は言えない。他にも何か言っていなかったか尋ねると、オズは思い出したように目をぱちりと開いて部屋を出て行ってしまった。そしてすぐに戻ってきたかと思えば、ベッドサイドのテーブルにスープを置く。
「腹は減っているか」
「うん……これもフィガロに言われたの?」
「そうだ」
「そっか。ありがとう」
 スープはあたたかくておいしくて、よくわからないけど幸せだなと思ってしまった。けれど、どこかで悔しいとも思う。どこへ行ってもひとりで生きていけると思っていた。気候的にも一番きびしい北の国にいたのだから、他はどうってことないと見くびっていたのだ。バカだなあと思っていたら、今度は涙が出てくる。
 オズは自然な動作でルウの頭に手を乗せた。大きくてあたたかな手だった。
「……私のこと子供だと思ってる?」
「ああ、そうかもしれない」
 オズの笑った顔を見たのは初めてだった。一瞬だけだったが、確かに微笑んでいた。驚いたせいで涙がぴたりと止まる。オズはいつもの仏頂面で部屋から出て行ってしまった。