6話
パンケーキをまた作ってほしい。そんなルウの言葉にオズは眉を寄せた。煩わしいという感情かもしれない。もしかしたら「おまえはあと数日で出て行くだろう」と思っていたのかもしれない。
それでもルウが諦めないのには理由があった。
「……はちみつとバターを忘れていた?」
「そうなの! そのままでおいしかったからつい全部食べちゃって。おねがい、お礼にオズの好きなもの作るから!」
「……私に食の好みなど、」
「ないの?」
オズは頷いた。それならそれで得意なものを作らせてもらうからいい。こうやってパンケーキを作ってもらう約束を半ば強引に取り付けた。しかし――。
「命が惜しければ近づくな」
丹精込めて作ったグラタンだった。オズは一口食べるなり、今までにないほど険しい顔をしてフォークを置いた。
「そこまで言わなくても……それに食の好みはないって言ってたじゃない!」
「……」
「貸して。残りは私が食べる」
ほぼ奪ったような形でルウはグラタンを食べ始めた。オズは神妙な顔つきのまま部屋を出て行き、入れ違いにフィガロが入ってくる。フィガロはルウの顔を見て「うわ」と声を出した。
グラタンのことを話せばフィガロは納得したようにうんうんと頷く。
「まあ、俺もグラタンは苦手かな」
「……べつに食べ物の好き嫌いはいいのよ、私だってあるし」
「殺されなくてよかったじゃない」
「こんなことで殺されるわけないじゃない」
ルウはそれが当然だと思っていた。しかしフィガロは「え」と目をパチパチさせている。続けて「機嫌が悪かったら殺されてたんじゃない」と。
「私は冗談だと思ったんだけど」
「オズが冗談言うと思う?」
「……言うわよ、きっと」
フィガロはそれ以上言い返してこなかった。ルウはがぶりとグラタンの最後のひと口を食べきる。静かに見下ろしてくるフィガロの視線にはいつも居心地が悪くなる。
きっと冗談だったと言ってはみたものの、ルウの心には気味の悪さが残っていた。聞く限りではフィガロとオズは長い付き合いだ。そのフィガロが本気だったと言うならそれが正しいのかもしれない。今までで、そんな場面があったのかもしれない。そう考える一方で、違ってほしいとも思っている。オズに見え隠れする優しさのかけらのようなものに、ルウは翻弄されていた。
グラタンがダメなら次。ルウにそんな考えはなかった。頼まれでもしない限り、もう料理なんて作ってやらない。何が好きだとか嫌いだとか言ってくれるならまだしも、見えない爆弾におびえながら料理をするなんて嫌だ。
ルウはベッドの上で読みかけになっていた本を開いた。姫が身体をぴたりと魔王に寄せる。二人の動きはぎこちない。けれど少しずつその距離は縮まっていった。
文章を噛みしめながら頭の中で想像する。姫はいかにもお姫様という感じで、きれいで、キラキラしていて、それから魔王は――。
ふとオズの顔がルウの頭をよぎる。オズが魔王として描かれているのだからある意味正しいのかもしれない。しかしルウにとっては毒だった。ページをめくる手が止まってしまう。
結局ルウはその日、物語を最後まで見届けることはできなかった。どうしてもオズの顔を思い浮かべてしまうのだ。口調も性格もぜんぜん違うのに、おかしな話である。
翌朝、ルウは目をこすりながらベッドサイドのテーブルに置いておいた本を手に取った。しかし、なんとなく読める気がしない。眠気と空腹と、確かにはっきりとした原因は思い当たるが、べつの何かが関係しているのもわかっている。ルウは本を置いて部屋を出た。
書庫に入るとオズがいた。珍しいのかどうかもわからないが、本を読んでいる。何か調べものだろうか。じっと様子を見ていると、オズは顔を上げて「来たか」と抑揚のない声で言った。
まるで待っていたかのような言い方だ。だが、オズに限ってそんなことはないような気もする。しかも昨日の今日だ。命が惜しければ、なんて物騒なことを言っていたのをこのひとは忘れてしまったのだろうか。
「腹は空いているか」
「え……ああ、うん」
「ついてこい」
「ちょっと、」
オズを見失わないようについて行った先は、キッチンだった。途中からなんとなく予想はしていたものの、本当にパンケーキを焼き始めるのだから言葉が出なかった。ポカンとしている間にもオズは器用にフライパンの生地をひっくり返し、皿にのせた。そのすぐ横にバターとはちみつを置かれて、なんとも言えない気分になる。
ルウはオズに見張られながらバターをパンケーキにのせ、その上からはちみつをかけた。オズのことは極力気にしないようにする。どうして食事にこんな気まずい思いをしなければならないんだ。作ってくれたことは嬉しいけれど、仏頂面のおかげでありがたみが半減である。
ナイフでバターを伸ばし、食べてみる。じゅわ、とはちみつが生地からしみ出してきた。バターの香りと塩気が合わさればもう最高だ。
「……おいしい」
「そうか」
「オズは食べないの?」
「必要ない」
食事をする必要がないという意味なのか、パンケーキを好まないという意味なのか。どちらともなのかもしれない。しかしそれならば、なぜ――
「昨日はどうしてグラタン食べてくれたの?」
一口だけだったけど、というのは言わないでおいた。オズはかすかに眉を寄せる。触れないほうがいい話題だったかもしれないが、昨日ほどの怒気は感じられない。
「あれはおまえが私のために作ったと」
「でも、嫌いなものがあるなら言えばいいじゃない」
「知らなかった」
知らなかった、とは。不思議に思っていると、オズはグラタンが初めてだったと言った。
「うそ」
「嘘ではない」
「……でも、殺すはないんじゃない?」
「そうは言ってない」
……つまり、殺す気はなかったと。ルウは人知れずフィガロに勝った気になった。なぜか、胸のあたりがムズムズする。
オズに見られながらの食事はたまったものではなかった。少し前に一緒に食事がしたいと言ったことがあったが、こうなることがわかっていれば頼むことはなかっただろう。せめてオズも一緒になにか食べてくれればいいのに、彼はじっとルウの斜め横に座って腕を組んでいる。これは話しかけてもいいということだろうか。しかし、食事を断られた理由が「干渉を好まない」だ。どうしたらいいのかわからない。ルウのそわそわした挙動が目についたのか、オズの目元がぴくりと動いた。
「どうかしたのか」
「……聞いてもいい?」
「何だ」
「どうしてこれ、また作ってくれたの?」
食べかけのパンケーキがのった皿に目を落としながらルウは言った。
「おまえが頼んできたのだろう」
「そうだけど、なんか嫌そうな感じもあったし……」
「断ればまた、頼みにくるのだろうと思った」
「断り続けるのが面倒だった、ってこと?」
オズの眉間にシワが寄った。そして、今のは嫌な言い方だったと気付く。どうもオズ相手だと、やんわりとした言い回しを避けてしまう。
「ごめん、嫌味が言いたかったわけじゃなくて……本当はお礼が言いたかったの。昨日もあんなだったし、作ってくれないと思ってたから」
「あの白い料理のことならもういい」
「……うん」
普段であれば、言ったのがオズでなければこんなに嬉しくはならなかったと思う。ルウは残りのパンケーキを細かく切って口に運んだ。どうしてそんなに小さく切るんだと、他の人なら感じるかもしれない。でも、きっとオズなら気付かないと思った。