7話
朝起きて、ルウは窓の外を確認するようになった。今日も吹雪は止んでいない。
二度目のパンケーキを焼いてもらった次の日は、オズと顔を合わせることはなかった。午前中は書庫に籠り、午後はべつの場所を探索した。書庫ほど惹かれるところはなかったが、物置のような部屋は楽しかった。見るからに高価なものが雑に置かれていて、人間からの勝手な貢ぎ物が多いという話を思い出す。入ってほしくない部屋には入れないよう魔法がかかっているのだから、ここは好きに見学していいということだ。オズはルウがこれを持ち出したところで気にも留めないのだろう。売れば数年は暮らしていけるだろう宝石や、装飾の凝ったアクセサリー、彫刻と、時間を潰すにはもってこいの場所だ。同時に、これだけの物が捧げられるほどオズが恐れられているということを実感する。助けを求めたのか、それとも命乞いか。この貢ぎ物をよこした人間たちの中で、今生きているのはどれぐらいいるのだろう。考えただけで怖くなった。
残すところあと二日になってしまった。実際は怪我をしたということも忘れてしまうほど元気なのだが、ルウは言い出すことができずにいた。
フィガロは何もかもお見通しで一週間と言ったんじゃないかと思っている。本当は怪我なんて魔法ですぐ治る。吹雪が止むか試したいだけなんじゃないかって。
考えれば考えるほど窓の外の景色が嫌になる。もし雪が降っていなかったらと、何度か想像した。湿っぽい考えを引きずりながら、ルウはオズの部屋にむかう。今日は洗濯を頼む日だ。
服を綺麗にしてほしいと言えば「わかった」とだけ返ってくる。そして服はあっという間に綺麗になる。それだけなのが嫌で「あと二日ね」と言ってみた。
「フィガロが連れて行くと言っていた」
「そうなんだ。でも見送りぐらいはしてくれるわよね?」
「……考えていなかった」
「来なかったら部屋まで行くから」
オズは表情だけで嫌だと主張した。このそっけない感じにも多少は慣れたつもりだ。部屋に押しかけられるぐらいなら自ら行ったほうがマシだと考えていることだろう。それはそれで悲しいものがあるが、贅沢は言っていられない。
「……今日は、」
えっと、その、と言いよどむルウをオズは静かに見下ろした。
「お喋りしない?」
言った後で「これは最後の日に言うやつだな」と思った。オズからは予想通りの答えが返ってくる。
「なぜ」
「そういう気分なの」
半分嘘で半分本当だ。誰でもいいわけじゃない。
てっきり一言「干渉は好まない」で一蹴されるかと思いきや、オズからの返事には間が空いた。検討してくれる程度には距離が縮まっていたのだろうか。少し期待した。胸の音が大きくなるのがわかった。この感じをルウは少し前に経験している。書庫にあった恋愛小説を読んだときだ。日を置いて読んだ結末は幸せなもので、現実もこうであればと憧れる内容だった。あのときと似ている。体の反応だけならまるで恋をしているみたいだ。
しかし、オズの一言でルウの胸の高鳴りはスッと消えた。
「フィガロも以前、同じようなことを言っていた」
「……オズにはそういう日、ないの?」
「ない」
「……フィガロと話してたら、案外楽しかったとか」
「あの男はいつも一方的だ」
オズはしかめ面で首を振った。煩わしそうに言っているけれど、オズはフィガロを追い出そうとしない。それが全てのような気がした。
会話が終わったのであれば、べつの話題を振るなり部屋に戻るなりするべきだ。しかし、足の裏が床に張り付いたみたいに動かない。
だんだんとオズと目を合わせるのが気まずくなって、下を向いてしまう。
「……終わったのか」
「何のこと?」
頭上から降ってきた声はいくらかルウの緊張をほぐした。自然とルウは頭を上げて、オズと目が合う。
「喋りたい気分というのは」
「……まだ、」
オズは眉をつり上げた。意味がわからないと言われる前に「何を話したらいいのかわからないの」と続ける。
「私はオズと喋るの、楽しいけど……オズが楽しくなかったり嫌だったりすることはしたくないわ」
「楽しい?」
「うん。……だって今まで人と喋るなんてこと、ほとんどなかったから」
「そうか」
うん、と頷いてオズの顔を見上げる。本当に何を話せばいいのかわからなくなってしまった。次第に頬が熱くなっていくのがわかる。違うと思っていたけれど、本当に好きになってしまったかもしれない。よりによってオズを。オズに好かれているとか嫌われているとか考える前に、オズにそういう感情があるのかもわからないのに。じっとオズを見つめてみても、彼は不可解そうに目を丸めるだけなのだ。
オズの肩の先にある窓には、今も雪が打ち付けられている。もしオズがルウと同じ気持ちなら、こんなに天気が荒れることもないはずだ。ここ数日で吹雪のことを前より気にするようになったのは、そういった理由もある。いたって変わらぬ雪の勢いを見て、ルウはひとり落ち込んだ。
「……ごめん、時間とらせて。書庫に行ってくるね」
「わかった」
逃げるようにオズの部屋を出て、書庫への道を真っ直ぐ進んだ。書庫に入って入口のドアを閉めると、なつかしさを感じる匂いに心が落ち着く。ルウが手に取ったのは、少し前に読み終わった恋愛小説だ。表紙をじっと見て、しかしルウはそれを本棚に戻した。
気を取り直して別の本を探していると、本の配置にある変化を感じた。何冊か手に取って確信する。同じ年代に書かれたもの――つまりルウの読める本が一箇所にに固められているのだ。こんなことができるのはオズしかいない。ルウはまた胸が苦しくなった。明日も、明後日もここにいたい。吹雪が止んだ北の地で、狩りをして、あたたかいスープを作って、オズと一緒に――。目の奥がツンとする。考えても仕方のないことだ。
それから一日本を読んで、オズとは会うこともなくベッドに入った。早く明日が来てほしいような、来てほしくないような、自分でも整理できない感情が頭の中をぐるぐると回っていた。
最後の日をルウは部屋で過ごしていた。オズに恋愛ごとを意識してもらうなら、直接言うのが早いだろう。しかし、それが実りにつながるとは思えなかった。このまま何も言わずに城を去るのが一番だ。
ベッドに寝転がったまま窓の外を見ていると、けたたましい音とともに外に鋭い光が走る。思わず両手で耳をふさいでしまった。光は何度も窓の外に落ちた。雷だとは思うが、こんなに近くで見たのは初めてだ。大丈夫なのだろうかと不安になっていると、次は建物が揺れた。振動でルウはベッドから落ちてしまった。テーブルや照明もガタガタと揺れて、いつ倒れてきてもおかしくない。
「オズ……」
ルウはよろけながらも部屋を出た。じっとしておいたほうが安全だったかもしれない。しかし考えるより足が先に動いてしまった。階段の下のエントランスホールにオズの姿を見つけて、ルウは手すりにしがみつきながらゆっくりと階段を下りた。
「オズ!」
振り向いたオズは右手に杖を持っていた。同じ場所で魔法を掛けられたことを思い出して、足がすくむ。一瞬の戸惑いの間に城が大きく揺れ、ルウは階段を踏み外した。
「あ……れ?」
てっきり転げ落ちるものかと思いきや、ルウの体は宙に浮いていた。そのままふわふわと飛行し、オズの足元に着地する。言われるまでもなくオズが魔法を使ってくれたのだとわかった。ぺしゃりと床に座ったままオズを見上げる。床はひんやりと冷たかったが、腰が抜けて立ち上がれないのだ。
「何をしている」
「何って、すごい雷だし、揺れてるし、大丈夫なのかと思って」
「問題ない」
「あるわよ! ベッドから落ちちゃったし、さっきも階段から落ちるところだったわ。助けてくれたのは……感謝してるけど」
「あれは私の魔法だ」
「え……え? 雷が?」
「そうだ」
オズは不意に視線を窓に向け、また雷が落ちた。「なんで」と言ったが、雷の音のほうが大きくて聞こえていないだろう。
音が止んだところでもう一度、雷の理由を聞いてみた。さっきの動きを見る限り、吹雪のように無意識でやっているわけではないようだ。それにしても尋常じゃない。建物には落ちていないのだろうか。どこか火事になっていたらと思うとぞっとする。
「ねずみが入り込もうとしている」
「ねずみ? そんな、ねずみぐらいで……」
「魔法使いのことだ。私を石にしようとしている」
オズはそう言って膝をつき、ルウの肩を抱き寄せた。「は?」と可愛げのない声を上げてしまう。
「おまえの存在に気付いたようだ。呪われたくなければ静かにしていろ」
「え、やだ!」
オズの大きなため息が聞こえた。ルウはオズの胸に顔をうずめているのでオズがどんな顔をしているかは見えないが、大体の想像はつく。
「ち、違うのよ……呪われるのが嫌って言ったの」
「うるさい」
ごめん、というのも飲み込んでルウはぎゅっと目を閉じた。その後、何度か大きな音が鳴り、オズの腕からは解放された。
「終わったの?」
「……逃げられた」
「大丈夫?」
「問題ないはずだ」
オズが立ち上がるさまをぼんやりと見つめる。まだ腰が抜けたままのようだ。オズはルウを見下ろして数秒、そして「立てないのか」と呆れたような声で言った。
「だって怖かったんだもの……」
てっきり手を貸すなり、魔法でどうにかしてくれるのかと思いきや、オズはルウに背を向けた。またしても可愛げのない抗議の声を上げてしまう。
「待ってよ、このままにしておくつもり?」
「おまえが恐れているのは私ではないのか」
顔だけ振り返ったオズの言葉に背筋が凍る。正確には言葉ではなく目だ。以前ここで見たときと同じ、冷たい瞳をしている。
確かに腰が抜けたのは雷のせいだ。階段から落ちると思って、助けてもらって、ほっとしたのもあったかもしれない。だが一番最初に恐ろしいと思ったのは、間違いなく雷なのだ。
「そう、だけど……」
オズの魔法だと知っていれば少しは違ったかもしれない。しかしオズのことを全く怖くないというのも嘘になる。
「オズは確かに怖いけど……」
「けど」の続きはなかなか出てこない。オズは気を悪くしているだろうか。恐れるのも、全く恐れないのも正解ではないような気がする。正解を探そうとするから、言葉が出てこないのかもしれない。
「……寒いから、部屋まで連れて行ってよ」
オズは返事をしなかったが、ルウの体はふわりと浮いた。怖いとは思わなかった。
浮いたまま部屋に入ると、テーブルから落ちた本が目に入った。書庫から持ち帰っていたものだ。ふと昨日、書庫で泣きそうになったことを思い出す。
ベッドの上に降ろされたルウは、部屋の入口に立つオズを呼び止めた。
「書庫の本の配置、変えてくれた?」
「おまえが闇雲に触るよりいいと思っただけだ」
「うん……あのね」
両手をベッドについて、身を乗り出すようにしてルウは言う。
「オズのことは怖いけど、そういう……さりげないところとか、パンケーキを焼いてくれたこととか、服を洗ってくれるところとか……」
言い出したらキリがないけれど、今思いつく限りは全部言っておきたかった。
「頼んだら部屋まで連れてきてくれるし、さっきもほら……抱きしめて、くれたじゃない?」
「抱きしめたわけではない」
「……そうかもしれないけど、守ってくれたんでしょ?」
「相手の思うようにさせたくなかった」
「うん……でも、なんていうかそういう積み重ねなの」
オズはいまいちピンと来ていないようだった。だが、先ほどのような冷たい目はしていない。ルウがこの城で過ごす中で見た、いつものオズの表情だ。
「オズのことを怖くないって言ったら嘘になるわ。でも、積み重なったところは……好き、なの」
「……わからない」
「ちょっとは考えてよ」
「考えたところで理解できる気がしない」
「ばかぁ……」
ルウは枕に顔をうずめた。涙が出そうだった。今のが告白かというと微妙なところだが、はっきり言わなくてよかった。はっきり言ってあの返事だったら立ち直れる気がしない。
「……もう行く」
「うん。明日はちゃんと見送りに来てね」
「……約束はしない」
オズはいたってオズのままだった。扉が閉まる音を聞いてから、ルウは喉から悲鳴を上げた。