8話

 さっそく私は雨の街のお土産を持って魔法舎の前に来ていた。フィガロ先生に言われた通り入口を跨ぐと、薄茶色のスーツの男性に呼び止められた。
「あの、どちら様ですか?」
「オディリアと申します。南の国の魔女です」
魔女と言ったとき、男の人の肩が一瞬だけ強張った。この人は人間みたいだ。怖がらせてしまっただろうか。魔法舎にいるぐらいだから、魔法使いには慣れているのだろうけど。
「ええと、知り合いがいて、渡したいものがあるのですが」
ミチル、ルチル、レノックス、と名前を上げると男の人は安心したのかへらりと笑った。呼んできますね、とぱたぱた中へ走って行く。

「ミチル!」
一番最初に来てくれたのはミチルだった。名前を呼ぶと、ミチルはちょっと恥ずかしそうに頬を赤くした。
「思い出したって本当だったんですね。フィガロ先生には聞いてたんですけど……」
「信用できなかった?」
「そ、そういうわけじゃないですけど!」
「ふふ」
「ミチルくんって呼ばれるの、嫌じゃなかったですけど何だかくすぐったかったです」
「わかるわ。私もね、そのときは何も思わなかったんだけど、レノがオディリアさんって呼んできたから」
「……フィガロ先生が、元のオディリアを求めすぎないようにと」
いつの間にかレノも来ていたようだ。相変わらず気配がしない。
「そうだったの?」
「思い出せないことを気に病ませないようにとおっしゃっていた」
「……私はてっきり、先生は元の私と線を引いていたのかと」
「最初に名前を呼んだとき、不安そうな顔をさせてしまったとフィガロ先生が」
「……そう」
お前は違うと言われているのかと思っていた。私は本当に馬鹿だ。フィガロ先生の優しさに気付かないで、勝手に嫉妬心を膨らませていたのだ。
「もう! フィガロ先生、言葉が足りなさすぎです!」
「そんなこと言わないで、ミチル。いま話を聞けてよかった。それよりルチルは?」
「ふふ、兄様ならもうすぐ来ると思います」
そう言ったミチルはなぜか得意気で、レノもなぜか楽しそうにしている。
「オディリアさん!」
ルチルの声だ。……上から? 空を見上げると、箒に乗ったルチルがものすごいスピードで落ちてきた。
 ぶつかるんじゃないかと思ったけど、そこはさすがのルチルで、寸前のところでスピードを緩めてふわりと着地していた。
 ルチルは花束を私に差し出した。
「え?」
「これ、私たちからのお祝いです。みんなで作ったんですよ」
「……ありがとう」
色とりどりの花に、うす緑の包装紙。南の国だけでは見られない花もたくさんあった。ルチルはその中の一つを人差し指ですくい上げた。
「このお花はフィガロ先生が選んだんですよ。オディリアさんの瞳の色みたいで、とってもかわいいでしょう?」
「えっ……」
……何だろう。嬉しいと感じてしまう。フィガロ先生のことに関しては、あまり一喜一憂しないようにと思っていたはずなのに。さっきからずっと私に都合のいいことばかりをみんなが言うから、気持ちの昂ぶりが抑えられなくなってしまう。
 自分を誤魔化すように、三人にお土産を渡した。
「それとこれは、晶さんに」
「それなら、直接渡しに行っちゃいましょう!」
「あ、ちょっとルチル!」
ルチルは私の後ろに回り込んで、ぐいと背中を押した。助けてとレノに視線で訴えたけど、レノは知らん顔だ。

「オディリアさん?」
急な来客に晶さんが驚くのは無理もない。私はルチルたちに連れられて晶さんの部屋の前まで来ていた。コンコンとノックをして、ドアを開けた晶さんの第一声がそれだった。
「賢者様に渡したいものがあるそうです。私たちは授業があるので、ここで失礼しますね」
ばたばたと嵐のようにルチルたちは去っていった。残されたまま呆然としていた私に、晶さんは苦笑いをする。
「えっと、とりあえず中に入りますか?」

 晶さんは紅茶を淹れてくれただけでなく、ネロさんという東の国の料理人さんが作ったレモンパイまで食堂から持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「ネロの料理は絶品ですよ」
「はい。あの、たぶんですけど以前スープをフィガロ先生と一緒にいただきました。すごくおいしかったです」
「そうだったんですか。ネロにも伝えておきますね」
「……今さらですけど、ここまで入ってきちゃって大丈夫でしたか?」
「たまに依頼人の方を招くこともあるので、大丈夫だと思います」
晶さんによると、どうしても人間だけでは解決できない問題があると、各国から依頼が来るそうだ。そういった依頼に応えるのも賢者の仕事らしい。
「……それで、私は以前のオディリアさんを知らないので何とも言えないんですけど、記憶が戻ったんですよね?」
「はい。おかげさまで」
「よかったです。不安でしたよね」
「……はい。ありがとうございます」
「それと、これは言いたくなかったら答えなくていいんですけど……」
晶さんは胸元でぐっと手を握って、きらきらとした目を向けてきた。
「あの、フィガロとは付き合ってるんですか?」
「……え」
なんで、どうして。南の国でさえそんなこと言われたことないのに。私の態度がわかりやすかったのかもしれないけど、そもそも晶さんと会ったときの私は記憶喪失だ。
「……誰かがそう言っていたんですか?」
「いえ、何となくですけど……フィガロ、オディリアさんに対しては他より過保護というか」
「フィガロ先生は優しいのでそう見えたんでしょう。付き合ってはいませんよ」
「そうなんですか。勝手に盛り上がっちゃってすみません……」
「……私は、好きですけど」
私の絞り出したような声を聞いて晶さんは息を呑んだ。優しい彼女にこんなことを言ってしまったのは、彼女が先生のことを好きにならないようにと思っての打算だった。やっぱり私の心は真っ黒だ。フィガロ先生にも見られてしまったし、もう隠しようもないけれど。
 ただならぬ空気を感じ取ったのか、うつむく私にそっと晶さんは声を掛けてくれた。
「私でよければ話を聞きますよ。フィガロには絶対言いませんから」
「ぅう……ごめんなさい……いま、ちょっと、」
ぼたぼたと涙が落ちてくる。言葉にしようとしても、なかなかまとまらない。晶さんは静かに待っていてくれた。
 どのくらいの時間が経っただろう。きっと紅茶はすっかり冷めてしまっている。どちらのティーカップも紅茶の量は減ってない。
 泣くだけ泣いて、少し頭がすっきりしてきた。本当ならいつもみたいに魔法でどうにかするところだけど、こんなときでもフィガロ先生に言われたことを無下にしたくなくて、晶さんの優しさに甘えてしまった。
「……聞いてもらってもいいですか」
「はい、もちろんです」

 何から話せばいいのか、最初からならやはりあの夜のことだろうか。あの日に戻ったとしても、きっと私は同じ選択をして、それから後悔する。
「好きだって言ったら、私の望むような関係にはなれないって言われました」
「……そうだったんですね」
「その次の日、愛って何だろうってフィガロ先生が言ったんです」
私はあのとき、愛じゃないと言った。怖かったからだ。そんなの愛じゃないと言われるかもしれない。何だそんなものかって落胆されるかもしれないとも思った。それでとっさに否定してしまったのだ。
「言えばよかった。これが私の愛ですって。でも、やっぱり今も言えない。……フィガロ先生にとっての正解じゃないから」
「オディリアさん……」
晶さんの両手が私の手をすくう。
「愛って人それぞれだと思います。でも、好きな人に気持ちを否定されるのは怖いですよね。フィガロがどう感じるかはわかりませんけど」
晶さんの言葉は誠実だった。押し付けたり、無責任に持ち上げたりもしない。
「無理に言わなくてもいいと思います。でも、言いたくて仕方ないときもあるんだろうなって」
「……はい」
「私としては、フィガロの理想が高すぎるんじゃないかなと」
「……そう、そうなんですよ」
フィガロ先生の周りにはルチルとミチル、レノックスだっていて、きっとここにもたくさんの繋がりがあるはずなのに。フィガロ先生は肝心なところで目を背けてしまうような気がする。もしいつか向き合ってくれるなら、一番最初は私にしてほしい。
「オディリアさん、食べましょう!」
「えっ?」
「レモンパイです。オディリアさんが満足するまで付き合います!」
「……ありがとう」
とん、とティーカップのソーサーに人差し指を当てると、紅茶はさわやかな香りとともに僅かな湯気を立てた。