10話

 王都キィンベル。目覚めたクオードの目に飛び込んできたのは、長きに渡って思い焦がれた景色だった。
 夢じゃないかと思った。しかし起き上がろうとして、ずきりと腹部が痛む。触って確認すると、ぬるりと赤黒いものが。すべて現実だったのだ。
 クオードらが開発していたエテーネルキューブは二つ存在した。一つはクオードがもとの時代に戻るためのもの。もう一つは研究員自身が時を渡るためのものである。
 クオードはキューブを手に取り願った。しかしキューブは何の反応も示さない。命の危機でもないとチカラを発動させられないのか。クオードは自嘲じみた笑みを浮かべる。
 クオードは軍司令部に向かった。当然ながら門を簡単にくぐることはできない。兵に警戒されるのは新鮮だ。が、そう呑気なことを言っている場合でもなかった。押さえた傷口からは血が流れ落ちているし、何よりエテーネの未来の危機なのだ。
「クオードだ。長らく留守にしていてすまない」
「え……クオード、様?」
いぶかしげな面持ちで門番がクオードに近づく。だが、クオードのすぐ下に血だまりができていたのに気付いたらしい。兵士はサッと表情を変えて、クオードを救護室へ案内した。
 十年以上前の記憶とはいえ、何度も利用した部屋だ。消毒液や包帯の場所は頭の中に入っている。クオードが慣れた手つきで止血していると「本当にクオード様ですか」と兵士が。先ほどよりも声が震えていた。
 クオードが時見のカギをテーブルに置く。兵士はそれだけで理解したらしく、こうべを垂れて動こうとしない。
「頭を上げろ。王不在の中、よく都を守ってくれた」
「……陛下っ」
「ディアンジとザグルフを呼んでくれ。俺は軍団長室にいる」

 軍団長室は記憶と何一つ変わらなかった。確かめるようにクオードが机を撫でる。ふと頭にある約束が蘇った。あの日、時見の神殿に入る前にレネと交わした言葉だ。軍団長室で待っていると伝えたのに、帰ることは叶わなかった。彼女はあのときどんな顔をしていただろう。
 レネとの出会いはいつも唐突だった。いなくなったと思えば急に現れる、ボウフラのようなやつだった。もしかしたらまたどこかで会えるんじゃないかと期待してしまう。だが、あれだけ傷つけた後でどんな顔をすればいいというのか。クオードの中によぎる彼女の顔は、泣いているか涙をこらえているかのどちらかだ。
 クオードは両手を呆然と見下ろした。時折り、汚れた手のひらに絶望したくなることがある。彼女に触れる資格はもうない。すべてを天秤にかけ、エテーネを選んだのは他ならぬ自分自身なのだから。
「クオード様ー!」
勢いよく扉が開かれ、その懐かしい顔ぶれにクオードは口元を緩めた。
「戻って早々すまない。お前たちに頼みたいことがある。これから話すことは他言無用だ」
大エテーネ島の沈没。クオードは時渡りの末に知った未来を二人に話した。二人は驚いていたようだが、絶望した様子はない。何をすればいいのかと問う姿はとても心強かった。
 ぐらりと体が揺れる。机上の物が床に散らばり、部屋全体が揺れているのだと理解する。
「何だ、地震か!?」
「ええ、最近多いんですよう」
ディアンジの言葉に焦りが募る。
「くそっ、既に予兆が出ているというわけか!」
「ああああの、その地震についてなんですが」
「何か分かっているのか?」
ザグルフは頷いた。ザグルフは急に地震が増えたことを不審に思い、独自に調査をしていたそうだ。そして、地の底にうごめく怪しい生物に目をつけたのだという。
「そいつがエテーネを支えるエネルギーを食い尽くしているということか。なら、そいつを倒せば!」
「でででですが、広範囲を移動してて……」
「……なら、まずはそいつをおびき寄せなければならないな」
クオードの頭に浮かんだのは地脈の結晶だ。地脈の結晶を使い、エテーネの地脈エネルギーを吸収する。そして一か所だけエネルギーを残し、それが罠となる。おびきよせられた魔物を退治し、吸収したエネルギーを大地へ還せば脅威は去るはずだ。
「すごいですクオード様! ですがその地脈の結晶というのは……?」
「それをディアンジ、お前に頼みたい。地脈の結晶でなくてもいい、とにかく大地を支えるチカラを吸収し蓄えることができるものを錬金してほしい」
「は、はいっ。まずは該当するレシピがないかあたってみます」
「それからザグルフ、お前は引き続きその生物の監視を頼む。できるだけそいつの行動範囲を特定しておいてくれ」
「ははははい!」
「頼んだぞ、二人とも」
クオードの言葉を受け頷く二人。昔に戻ったような気分だ。けれど記憶よりも低い位置にある彼らの頭に、夢見心地はすぐに覚めてしまう。
 二人を見送ったクオードは次に国とその周辺の状況を確認した。
 報告によると、キィンベルは混乱しているようだ。王の不在、更には神殿の消失で時の指針書が更新されなくなったからだ。何から何まで指針書頼りという人間は少なくない。これから何をすればいいか判断できず、自宅に引きこもってしまった者もいるそうだ。だが、これらの責任は長きに渡って時見という存在を当たり前にしてきた王室にある。クオードは民に訴えた。立ち上がってほしい、個の決断に寄り添う王になると。
 クオードの訴えに不満を持つ者もいた。だが、クオードはそれらを責めなかった。すべて受け止めると決めたのだ。そうしたクオードの姿に心動かされる民がいたのも確かだった。
 エテーネ滅亡の回避、国の立て直し。この二つを進める中で気がかりだったのが、メレアーデの行方である。捜索は行われているようだがこれといった手掛かりもないらしい。自身がそうであったように、どこか別の時代に飛ばされたと考えるのが妥当だろう。どうか無事で。クオードは目を閉じて願った。瞼の裏に焼き付いた彼女の笑顔がクオードの支えとなる。しかし同時に怖くもあった。会いたいけれど、全てを知られてしまったら。クオードの胸には影が差したままだ。それが晴れることはもうないのだろうと思う。だから驚いた。姉ともう一人、レネが揃って軍団長室の扉を開けたとき、確かな喜びを感じた自分がいたことに。