9話
開発中枢区に入ると、ちょうどクオードとウルタが話しているところだった。レネの額に嫌な汗が流れる。ウルタはレネに気付くとにこりと笑った。しかしクオードはレネと目すら合わせようとしない。クオードに近づこうとして、しかし足が止まる。クオードとウルタの見上げる先にエテーネルキューブがあることに気付いたのだ。
「これこそが歴史改変の夢を叶える時間跳躍制御装置、エテーネルキューブ。ついに、ついに完成したのじゃ」
ウルタは涙ぐんでいた。彼女がエテーネルキューブを欲した理由はきっとジャ・クバの暗殺にあるのだろう。
「このためにガテリアを滅ぼしたこと、本当に正しい選択だったのか今でもわらわは……」
言葉に詰まったウルタの肩にクオードの手が置かれる。クオードの口から発せられたのは、以前の彼では考えられないようなゾッとする言葉だった。
「いいですか皇女、そもそもガテリアから仕掛けてきた戦争。滅亡したのも当然の末路です」
クオードの目は優しくウルタを見つめている。それを偽物のように感じてしまうのは、レネがそう思いたいからなのかもしれない。ウルタに嫉妬している。それは紛れもない事実だ。彼女はレネの知らないクオードを知っていて、こんなにも彼の近くにいる。嫉妬なんてしている場合ではないと分かっているのにずっとそれが胸につかえていて、自分に嫌気がする。だが、それを抜きにしても今のクオードはおかしい。レネはクオードに駆け寄って、その腕を掴んだ。
「滅亡して当然って、どうしてそんなこと!」
「……お前は知らないかもしれないが、ガテリアの第一皇子ビャン・ダオはウルベアの全皇帝ジャ・クバ様を暗殺したんだ」
「そうじゃ! あの悪鬼が! わらわは父上の悲劇を止めるために……!」
ウルタが両手を握りしめて俯く。そしてそのとき、扉の開く音が。その場の全員が入口に目を向ける。入ってきたのはリウ老師だった。クオードの表情が険しくなる。
「……貴様!」
「ジャ・クバ皇帝暗殺の真相、確かめてみるとしましょう」
リウ老師が目を向けたのはマリッチだった。リウ老師はマリッチを01号と呼んだ。マリッチはかつてリウ老師が開発し、ジャ・クバに献上されたものだった。それを08号を通して確認し、皇帝暗殺の真相を明かすことができると確信したのだとリウ老師は言う。
マリッチが映像を映し出す。隣でウルタが「父上」と呟いた。
ジャ・クバは平和な未来を語っていた。戦争を終結させ、民が苦しむことのない時代が来ると。もう魔神機を戦闘に送り出さなくてすむと。しかし、映像が乱れる。後に映っていたのは倒れた皇帝と、剣を持ち立ち尽くすクオードの姿だった。
「デタラメだ! こんなもの何の証拠にもならん!」
クオードがマリッチを突き倒す。レネのクオードを掴む腕が震えた。
「クオード、もうやめてよ」
「お前も……お前も俺の邪魔をするのか!」
腕を振り払われてレネは床に倒れ込む。その隙にクオードは警報装置を作動させ、レネたちは多くの魔神兵に囲まれた。
クオードがウルタの腕を掴み去っていく。レネは成すすべもなく見ていることしかできなかった。
閉じ込められた部屋の中、レネは彼に振り払われた手をさすった。痛むわけじゃない。ただどうしようもなく悲しいだけだ。
レネと同じく閉じ込められていた08号が扉に近づく。
「生体反応一体接近中」
レネは身構えた。しかし扉が開いて一転、膝からその場に崩れ落ちてしまう。
「姉ちゃん!」
現れたのは長らく離れていた弟だった。レネは駆け寄ってきた弟をぎゅっと抱きしめて静かに涙した。
「私、なんで気付かなかったんだろう……」
カバンに入っているキューブは誰から預かったものだったか。そしてここの研究員たちの制服。ヒントはたくさんあったはずなのに。弟は竜の国へ行く前にウルベアでキューブの開発をしていたのだ。
「姉ちゃん、大丈夫? おいらが助けに来たからもう大丈夫だよ」
「うん。ありがとう……私は大丈夫。ウルタ皇女は?」
「第二庁舎の地下に監禁されてるみたい」
「助けに行かないと」
「……いいの? 姉ちゃんはここで待ってても」
「……どうして?」
「ずっと見てたんだ。監査装置を使って。姉ちゃんはアイツのこと、」
「恥ずかしいね、家族にそういうの知られちゃうって」
弟の言葉を遮ったのは、その先を聞いてしまうと立ち止ってしまいそうだったからだ。
レネは立ち上がって部屋を出た。行き先はもちろん第二庁舎だ。
第二庁舎へ向かう道のりの中、レネにはどうしても無視できない扉があった。扉の先はクオードの部屋だ。ウルタのことを早く助けに行かなければならないのは分かっているが、彼の部屋の、あの本棚がどうしても気がかりだったのだ。
弟とリウ老師に先に行くよう伝え、レネはクオードの部屋のドアに触れた。開かなければ諦めるだけ。けれど何の抵抗もなくドアは開く。
本を手に取り、内容を確認する。埃かぶったその一冊には、クオードの苦しみが書き綴られていた。
戦争したかったわけじゃない。ついに人を手にかけてしまった。ガテリアを滅ぼすつもりなんてなかった。エテーネに帰りたい。姉さんに会いたい。端正だったクオードの字が、だんだんと荒々しくなっていく。
レネは本を棚に戻して部屋を出た。あと十年早くこの時代に来ていれば、クオードが苦しむことはなかっただろうか。考えても無駄なのは分かっていた。レネは現代でチカラを失った大魔神を媒体としてこの時代に来たのだ。大魔神が存在していない十年前に飛べるわけがない。
第二庁舎を下っていく中で、レネの胸に不安が巻き付いていく。ウルタを助けて、その後自分がどうしたいのかよく分からなかった。クオードを止めると言っても、すでに多大な犠牲の上エテーネルキューブは完成してしまっている。彼がそれを使ってエテーネを救うというなら、今さら阻止する意味もない。レネだってエテーネルキューブ完成の歴史を知ってしまった。けれど自らのキューブを利用しないという選択など存在しない。どんなに悲惨な事実が明らかになろうと、キューブを使わなければ現代に帰ることもできないし、キュルルの言う滅びの未来を回避することだって困難になる。
――もしかしたら、私も彼と同罪なのかもしれない。
レネはキューブをカバンから取り出して、その表面を撫でた。
第二庁舎の地下にウルタは閉じ込められていた。彼女を拘束していた魔神兵を倒し、大魔神が格納されているという奥の部屋へ向かう。長い下り階段の先に、大魔神とクオードが見えた。
「クオード!」
レネが叫ぶと、クオードは静かに振り返った。彼の後ろに控える大魔神が心臓部を赤く光らせている。
「なに……してるの?」
「大魔神の心臓部、地脈の結晶にドワチャッカ大陸全土のエネルギーを蓄え、大エテーネ島に放出する」
エテーネは地盤沈下により滅びたのだとクオードは言う。それを阻止するために、この大陸のエネルギーを利用しようとしていると。
「そんなことしたら、この大陸が……」
「いくつ国を滅ぼそうと、誰を殺そうと俺は必ずやり遂げる」
「ばか! クオードのばか!」
レネは武器を取ってクオードに斬りかかった。だが、あっさり避けられてしまう。
「何の真似だ?」
「私と戦って」
「……いくらお前とて、邪魔するのなら容赦はしない」
「いい。本気で来て。もしあなたが勝ったら、私はあなたに従う」
「お前が勝ったら?」
「私があなたをエテーネに連れ帰る。けど、これ以上この大陸を犠牲にすることは許さない」
レネは自らのキューブをクオードに見せつけた。後でキュルルに怒られてしまうかもしれない。けれど、それ以外の方法が思いつかないのだ。
クオードはレネの手に収まるキューブに目を見開いた。やがてくつくつと笑い出し、レネを睨みつける。
「そうか……思い出した。お前に初めて会ったあのとき、俺は確かにエテーネルキューブを手にした」
「そう。黙っていてごめんなさい」
「……時を渡れるお前には、俺の絶望など分かりはしない」
「……っ、剣を抜いて!」
レネが振りかぶる。クオードが応戦しようとしたそのとき、頭上に影が差した。
ドン、と肩を押されてレネは地べたに転がった。もといた場所に瓦礫が落ちているのに気付き、せっかくの決心が揺らぎそうになる。胸の奥に隠そうとした気持ちが溢れてきそうだった。
「クオード、どうして……」
考えている間にも、瓦礫が次々と落ちくる。下ってきた階段が崩壊しているようだ。
「姉ちゃん!」
弟の声にハッとする。足場が崩れかけていた。
瓦礫がレネと弟を遮断する。レネはその向こうで、緑の光を確認した。エテーネルキューブの光だ。彼の無事は過去の自分が証明できる。もう少し一緒にいたかったけれど、この時代では叶わない。
レネは崩れ行く格納庫の中で、大魔神を仰いだ。大魔神の前には黒を身にまとった騎士らしき男がいる。ドミネウスを刺した男だ。
彼は大魔神から地脈の結晶を奪い消えた。恐らくここが崩れているのも彼の仕業なのだろう。男の去り際にクオードが「パドレ叔父さん」と呟いたのが聞こえた。
キューブを作動させるしかない。もたもたしていたら瓦礫の下敷きになってしまう。だがクオードが遠い。間に合わないかもしれないと思ったそのとき、遠くから声が聞こえてきた。
「レネー!」
ウルタとリウ老師だった。飛行装置に乗ったウルタがクオードを、リウ老師がレネを拾い間一髪のところで脱出を図った。
飛行装置が着陸したダムに降り立つ。ウルタとクオードは先に着いていたようだ。クオードはダムの足場ギリギリのところに、ウルタはそのずいぶん手前に立ち尽くしていた。夕日が眩しくて、クオードの表情はよく見えない。
嫌な予感がした。ウルタに問い詰められ、力なく答えるクオード。彼は一切の弁明もしなかった。ウルタが銃を構える。
「撃て!」
クオードの叫びと、引き金を引くウルタ。レネは走った。
クオードはダムの底に落ちて行った。最後に一瞬だけ、目が合ったような気がする。レネは走り出した足を止めることもできず、自らも流砂に飛び込んだ。
いつだったか聞いたことがある。流砂はすべてを飲み込み、落ちたら決して助からないと。体を飲み込まれながらも、レネは必死に砂をかき分けた。
「キュー! 何してるキュ―!」
「……キュルル、やめて。クオードを探さないと」
キューブを作動させようとしたキュルルに首を振る。けれど、キュルルがどうするかなんて本当は分かっていた。
目覚めたのはベッドの上だった。起き上がるとキュルルが現れて、やはり時空を移動したのだと納得する。
「ねえキュルル、次はどの時代に行けばいい?」
そう言ったとき、口の奥でじゃり、と砂を噛んだ気がした。