14話

 そろそろいいだろうか。軍団長室の入口で聞き耳を立てていたレネはそっとドアを開いた。
 中にクオードはいなかった。時渡りが成功したのだろうと安堵する。レネはおそるおそる声を出した。
「みんな……」
一番に振り向いたのはメレアーデだった。彼女は現れたレネとソファに横たわったレネを見比べて口をぱくぱくと動かしている。
「え、レネ? どうして?」
「えーと……」
レネがソファに近づく。静かに眠るそれを撫でた。
「これ、錬金術でゼフさんに作ってもらった」
「ええええ!?」
メレアーデの悲鳴にも似た叫びは軍司令部中に響き渡る。彼女はハッと慌てて口元を手で覆った。
 メレアーデはレネをぎゅっと抱きしめた。「心配したのよ」という言葉に何も言い返せない。
「どういうことか説明してもらえるわよね?」
「少し前に私も未来から来たクオードに会ったの。それで――」

 それはチカラを消耗しきったパドレのためにハツラツ豆を探していたときのことだった。エテーネの村でメレアーデに話を聞いて、シンイに豆を分けてもらいに行こうとしたそのとき、レネの腕を掴む何者かがいた。
 振り向いて、レネは自分の目を疑った。彼がここにいるはずがない。幻覚でも見ているのかと思った。けれど掴まれた腕はちゃんと彼を感じていて、そこから熱が全身を駆け巡る。「レネ」と呼ばれて足の力が抜けてしまった。彼は難なくレネを抱きとめる。
「クオード? どうしてここにいるの?」
「……とりあえず場所を移そう。なるべく人目につかないところがいい」
「私の家でもいい?」
「……ああ、まあ……そうだな」
どこか歯切れの悪いクオードに首を傾げつつも、レネは彼を家に案内した。椅子に座るよう促し、お茶でも準備しようかとしたところ、彼は首を振った。
「それより話を聞いてくれ。俺は未来から……いや、ここで未来と言うのもおかしな話だが……」
クオードは説明に困っていたようだ。何度も言い直し、それでもしっくりくる言葉がなかなか出てこないらしい。
「あー……くそ、はっきり言う。俺はお前が死んだ後、時渡りが出来るようになった。それでここまで来た」
「え……私、また死ぬの?」
死ぬと言われてそこまで驚かなかったのはレネがそれを過去に二度も経験していたからだ。当然それを知らないクオードはレネの能天気さに眉を寄せる。
「冗談で言ってるんじゃない。俺を庇って死んだんだ」
「……そうなんだ」
「庇わなくていい。お前は生きろ。それを言いに来た」
「でも私だってクオードに生きていてほしい」
クオードは泣きそうな顔をしていた。けれどレネだってそう簡単には譲れない。ウルベアでクオードがいなくなった後、どんな思いをしたか。レネの中で押さえていたものがだんだんと膨れ上がってくる。
「もうクオードがいなくなるところを見るのは嫌」
つんと目の奥が熱くなって、そうなると後は早かった。今度こそ泣くまいと思っていたのに、ぽろぽろと溢れ出す涙はとどまるところ知らない。クオードに見られたくなくて乱暴に目頭をこする。それすら許してくれないのか、彼はレネの手に自分のそれを重ねた。
「泣かないでくれ」
「……クオードはずるい。なんで今さら」
「そうだな、俺はずるいよ」
クオードに涙をすくわれる。そっと壊れ物を扱うかのような優しさで、レネはそれだけで彼を許してしまいたくなる。
「あのね、私だってみすみす死ぬつもりないよ」
「……分かってくれたか」
「違う。クオードも助けるけど、私も死なない」
「はあ?」
簡単に言ってくれるな。クオードの顔にはそう書いてあった。
 どうするつもりかと聞かれ、レネはしばらく考えた。死ぬことが分かっていて、それを回避する方法はいくつかあるように思える。だが、それだけでいいかと言われると難しい。単純にレネとクオードが生き延びたとして、クオードが時渡りのチカラに目覚めるとは考え難いからだ。クオードが時を渡ってレネに忠告しなければ、レネはまたクオードを庇って死んでしまう。クオードにレネが死んだという幻覚でも見せることができれば……。
「あ」
「何だ、何か思いついたのか?」
レネは得意げに笑った。勿体ぶるなとクオードが詰め寄る。
「ドミネウス王」
「……は?」
「ほら、私たちも戦ったでしょ。広場で、偽物と」
「いや……だがあれは王家の秘奥で、もう……」
「錬金術で作られたんでしょ? 全く同じじゃなくてもいいし、ゼフさんにお願いしてみる」
「それでお前の振りをした、言わば影武者のようなものを作ろうということか?」
レネは頷いた。クオードはなぜか顔色を変えて、ついには頭を抱え込んでしまう。
「どうしたの?」
「……つまり、それが上手くいったとして、俺はまんまと騙されてここまで来たというわけだ。そもそもお前は死んでなどいなかった」
「そうかもしれない」
ぐ、とクオードは唸り声を上げて膝から崩れ落ちてしまった。騙されていたことがそんなに気に入らないのだろうか。
「俺は、公衆の面前で何ということを……」
「何をしたの?」
「お前には絶対に教えない」
キッと全く迫力のない顔でクオードに睨まれる。可愛いと言ってしまったら怒られそうだ。けれどそれがどうしようもなく愛おしくて、レネはクオードを抱きしめた。クオードの動きがぴたりと固まる。抵抗されないのをいいことに、レネはさらにぎゅうとクオードにすり寄った。
「ありがとう。私のためにここまで来てくれたの、嬉しかった」
クオードは何も言わない。代わりにレネの背にそっと腕が回る。
「本当は悔しかった。クオードは国とメレアーデのこと以外どうでもいいんだろうって。ウルベアで私のことなんて一度も思い出してくれなかったんだろうなって」
「……そんなこと、」
「ごめんね。勝手に日誌、読んじゃった」
「……」
ギギギ、とクオードはぎこちない動きでレネから離れた。彼の顔は湯気でも出てきそうなほど真っ赤になっている。
「ぜ、全部読んだのか?」
一冊だけだと答えると、クオードは目を泳がせる。
「……お前のことは?」
「……書いてあったの!? うそ、探しに行ってきてもいい?」
「書いてない! 絶対に探すな!」
嫉妬していたのが馬鹿みたいだ。それも一国に。グルヤンラシュの部屋に行くことはもうないだろうが、クオードが焦っているのをもう少し見ていたいという気持ちはある。「どうしようかな」レネが勿体つけていると、ふいに唇を押される。クオードの親指だった。そのまま輪郭をなぞられて、息をすることも忘れてしまう。
「あ……」
クオードの目は熱を帯びていた。だんだんそれが近づいてきて、目を閉じてしまいそうになる。身を委ねてしまいたかった。けれどあと少しのところで、レネの理性が目を覚ます。
「ま、待って! だめ!」
レネがクオードの身体を押すと、あっけなくそれは離れて行った。クオードの表情には影が差していて、胸がチクリと痛む。そうじゃないと、伝えなければ。
「違う、嫌とかじゃなくて、クオードには未来の私がいるでしょ。早く帰ってあげて、それで……」
自分から抱きしめておいて勝手な言い分だ。だが、クオードにはそれで十分だったらしい。
「お前……帰ったら覚悟しておけよ」
「うん……。軍団長室で待ってる」

 クオードが時を渡るのを見送ったレネの頭はまだ熱に浮かされていた。はやくハツラツ豆を手に入れなければならないのに、体が思うように動かない。
「キュルル、もう出てきていいよ」
レネが言うと、小さな時の妖精が姿を現す。呆れているのか、その目は冷ややかだ。
「ごめんね、退屈だった?」
「途中から寝てたキュ。まあ、アイツが時渡りしてきたのには驚いたキュ」
キュルルは机に座って足を組んだ。
「パドレにも協力してもらったほうがいいキュね。時見の箱がキィンベルに現れると分かっていればアイツも協力するはずキュ」
「そういえばパドレさんって……本当に私の父さんなのかな」
「ほぼ間違いないキュ。メレアーデも言ってたキュ」
「……そっか」
「まあ、親子の問題は時間が解決してくれるキュ。今はやるべきことをやってしまうキュ」
「うん、そうだね」
レネは立ち上がった。ハツラツ豆を手に入れて、パドレに渡さなければならない。それからゼフを訪ねて……。やるべきことは山積みだ。
 レネは未来の自分に思いを馳せた。もうクオードと再会しているだろうか。その想像だけで前に進む力が湧いてくる。
「痛っ」
顔がにやけていたらしい。キュルルに頬をつままれてしまった。