5話
チェスのコマの二つは比較的簡単に見つかった。クオードの助言のおかげだ。だが、残り一つの場所……ある程度検討はついているのだが、そこには鍵がかかっているのだ。
「俺も姉さんの部屋にある箱が怪しいと思う。鍵の場所は知らないが、古くからの友達に預けていると昔聞いたことがある」
「友達……」
そうは言ってもここにはレネとクオード、そして偽のメレアーデしかいない。だが、鍵が手に入れられない場所にあるとも考え難い。レネはもう一度メレアーデの部屋のことを思い出してみた。部屋には魔物が何匹もうろついている。このうちのどれかを指して友達なのだろうか。
考えていても仕方がないと、二人はもう一度メレアーデの部屋に入った。武器を構えて魔物に近づこうとして、視界の片隅にあるものが映る。
「……クマだ」
「クマ……? あの人形のことか?」
「そう! きっとあの子が持ってるんだよ、鍵!」
レネは戦闘態勢を解いて走った。
いざ近づいてみると、ぬいぐるみのあまりの大きさに圧倒される。そしてぬいぐるみ自体も大きな椅子に乗せられているため、なかなか思うように探すことができない。何とかならないかとクマの足を思い切り引っ張ってみる。
「……馬鹿」
クオードが呆れるのはもっともだ。レネは自分で引っ張ったぬいぐるみの下敷きとなってしまったのである。
クオードに手伝ってもらい、レネは何とか窒息死を免れた。
「かわいい、このクマ」
「……俺が昔、姉さんにプレゼントしたんだ」
信じられないと顔に出してしまったかもしれない。だってクオードが、この可愛らしいぬいぐるみを……なんて想像できなかったのだ。
「メレアーデには優しいよね。クオード」
「どういう意味だ」
「べつに、ただそう思っただけ」
「それで、鍵は?」
レネは得意気に笑って右手を差し出した。拳の中にはちゃんと鍵が入っている。
鍵を使って箱を開けてみると、やはりそこには最後のコマが隠されていた。クオードと目を合わせ、二人は同時に頷いた。
急いで偽のメレアーデのところへ向かう。半ば叩きつけるようにコマを差し出したが、彼女は眉一つ動かさなかった。
「見つけてくれてありがとう。それより二人とも、ずいぶん仲が良くなったのね」
「はあ?」
クオードはまたも剣を抜きそうな勢いだった。構うことなく彼女は続ける。
「だってそんなに近くに並んで。お姉ちゃんとして、少し妬けちゃうわ」
「な……俺とコイツはそんなんじゃ……!」
否定しながらも、クオードはレネから距離を取った。そのとき、偽メレアーデの口元が綺麗な弧を描く。
「チェスは一対一の勝負。そうでしょう?」
「……え?」
視界が歪む。最後にぼんやりと見えたのは、こちらに手を伸ばすクオードの姿だった。
――目を覚ませ!
遠くから声が聞こえてくる。聞き覚えのある声――クオードの声だ。
頭の中身が揺さぶられているような気持ち悪さだ。目を開くと剣先が目の前まで迫っていて、とっさに身を転がした。
よく見ると、チェスのコマだった。さっき集めたものと、おそらく元から揃っていたもの。遠くにはメレアーデと、それに掴みかかろうとするクオードの姿が見える。二人とも大きい――いや、自分が小さくなったのだ。どういう原理かは知らないが、小さくされてチェスボードの上に乗せられた。レネ自身がコマの一つというわけだ。しかし、圧倒的に不利な数。何が一対一の勝負なのかと呆れてしまう。……だけど、ややこしいルールのチェスをさせられるより、よほどいい。
レネは武器を構え、一つ、また一つとコマを叩いていった。そして、ついに最後の一つを倒し終える。
一息ついてクオードたちの方を見てみたが、相変わらず大きい。クオードは目を丸めて固まっていた。少しは見直してくれただろうかと思いつつ、レネは現れた出口へ向かった。
「無事か!?」
もとの大きさに戻った途端、クオードに肩を揺さぶられる。
「……う、ちょっと気持ち悪い」
息も絶え絶えにそう伝えるとクオードは手を離し、気まずそうに咳ばらいをした。
「と、とにかく、怪我がないようでよかった」
「うん。ありがとう」
「……それよりコイツなんだが、さっきから何の反応もしないんだ」
クオードが偽のメレアーデを指す。彼女はじっと座ったまま、指の一つも動かさない。話しかけても、チェスボードを取り上げても、彼女は前だけを見つめている。まるでそこに映像が映し出されているような、そんな状態なのだ。
「あらあら。私のメレアーデがチェスで負けてしまうなんて、驚いたわ」
「え、何!?」
どこからか聞こえてくる女の声。素直に声の方へ顔を向けても、そこには壁しかない。
「私が直々に相手をしてあげる。この扉を使って私のもとまでいらっしゃいな」
女の声が止むと、壁だった場所に扉が浮かび上がってきた。罠とも考えられるが、他に道もないため進むしかない。
扉のノブに手を掛ける。「待て」とこの場で言うのは彼しかいない。
「俺が先行する」
「……そう?」
レネは後でも先でもどちらでもよかった。不思議に思いながらもドアから離れると、クオードが前に出た。ノブに手を掛けて、けれどすぐに扉は開かない。
「さっきから足元がふらついてる」
クオードは振り返ってそれだけ言うと、さっさとドアを開けて行ってしまった。
ぐにゃりと曲がる壁。まるで差し迫ってくるような恐怖があった。出口というより迷宮の奥に進む感覚しかない。本当にここから出ることなんてできるのだろうか。嫌な想像をしてしまい、首を振る。……失敗だった。
「……気分を悪くしているくせに、自殺行為だな」
鼻で笑われる始末だ。
行き止まり。というよりこれはおそらく一番奥の部屋だ。待ち構えていた魔物を見てそう実感する。こいつさえ倒せば、きっと元の世界に戻ることができるはずだ。レネとクオードは武器を構え……まずクオードが先に出た。
クオードが作った隙を突く。ギリギリまでクオードの陰に隠れて、魔物の前に飛び出す。しかし、急に全身の力が抜けて武器を手放してしまった。遠くの方で何かがぼんやり光っていて、気味が悪いはずなのになぜか心地よさを感じる。
「アイツの目を見るな! 妙な術を使うぞ!」
クオードに頬を叩かれハッとする。
「ありがと!」
急いで武器を拾って、その勢いのまま魔物に走る。レネの正面からの攻撃は弾かれたが、問題ない。魔物の肩越しにクオードと目が合い勝利を確信した。
「……強いんだな。実戦で磨かれた強さだ」
「クオードがいたから勝てたんだよ」
「……ん」
クオードは俯いた。照れているのだろうか、可愛いところもあるものだ。クオードはそれから何か考えるように、口元に手を当てた。
「その……叩いて悪かった」
「え」
「赤くなってる」
言われて頬に手を当てると、確かに熱い。けれどそれはレネの未熟さが招いた結果だ。
「私もさっき叩いちゃったし、あいこってことでいい?」
「……その話は蒸し返すなと言っただろう!」
互いに水に流そうという意味だったのに。クオードが腫れるより顔を赤くするものだから、レネは笑ってしまった。