7話
どうしてこんなことに。冷たくて頑丈な鉄格子に手を掛けてレネは嘆いた。
レネが悲嘆に暮れているこの場所は、エテーネ王宮のロイヤルスイート……もとい牢獄だ。レネは捕らえられてしまったのだ。
レネはクオードと共に王に謁見した後、メレアーデとパドレア邸に行き異形獣の襲撃に遭遇した。その騒ぎで昏睡状態となったマローネという女性を救うために向かったのが錬金術研究機関である王立アルケミアだ。そこでマローネを治療する方法を見つけたのはいいが、うっかりエテーネ王が異形獣騒ぎの黒幕である証拠を手に入れ、ついクオードに渡してしまったのだ。
クオードは以前から王に疑いの目を向けていたらしく、すぐに王を問い詰めた。しかしその証拠がでっち上げであると王に反撃されてしまい、今に至る。
クオードは騙されていただけということになり、罪には問われていない。だが、最後に見たクオードの顔は悲痛に満ちていた。嘘でも「私は大丈夫だから」と言わずにはいられなかった。けれど、実際はどうだろう。
じめじめした空気に、ボロのベッド。長居すれば体を壊してしまいそうな環境だ。
数歩先には大罪人のバディンドが大股開きで座っている。なるべく関わりたくない。彼から顔を背けると、その先は壁。薄い壁のむこうからは誰かのいびきや独り言が聞こえてきた。
レネは服の中に隠していたエテーネルキューブに手を伸ばした。いざとなれば逃げ出すことができるというのは心の支えになる。しかし、キューブを使うのは本当に後がなくなったときだ。こんな場所で時渡りなんてしてしまったら、脱獄犯として手配され、王都を自由に歩き回れなくなってしまう。ただ元の世界に帰るだけならそれでいいが、レネは滅びの未来を回避するという目的があってこの時代を旅しているのだ。どうにか誤解が解け、もしくは王の悪事が世間に暴かれ釈放されるのが理想だった。
壁に背を預けるようにして座る。もちろん椅子なんてないから、床にだ。膝を抱えてうつむき、しばらくそうしているとこの場に似つかわしくない「ニャアン」と可愛らしい声が聞こえた。
「……チャコル?」
レネは目を疑った。しかし何度瞬きを繰り返しても、そこにはチャコルがいる。レネが手を伸ばすと、チャコルは牢をすり抜けどこかへ行ってしまった。
幻でも見ていたんじゃないかと思う。けれど、チャコルのいた場所に残されていた巾着袋がそれを否定する。袋の中を確認すると石のようなものが三つ、それと手紙が入っていた。
――明日、あなたは処刑される。その時が来たらこの石を黄金の釜へ。
レネは素早く手紙と石を袋の中に戻した。周囲を確認して、バディンドが背を向けて寝転がっていたことに安堵する。
いったい誰がこの手紙を書いたのだろうか。分からないことばかりだったが、レネは襲い来る睡魔に勝てず意識を手放してしまった。
その翌朝、レネはバディンドと共に牢を出るよう命令された。バディンドは恩赦を受けられると都合よく受け取っていたが、恐らく違う。手紙に書いてあったことが真実になろうとしているのだ。レネは巾着袋の石をいつでも取り出せるようにして、案内されるままに歩いた。
連れられた先の広場には人だかりができていた。「この詐欺師!」と怒号を浴びせられる。彼らの目は憎悪に満ちていた。やはりここで処刑されるのだろう。ドミネウス王にはずいぶんと嫌われたものだ。処刑を見世物にするなんて趣味が悪い。レネは周囲を一通り睨みつけた。そしてその中に二人、ディアンジとザグルフの姿を見つける。彼らは眉を下げて心配そうに、けれどしっかりとレネの歩みを見ていた。
二人がここにいるということは、彼も、クオードもいるのだろうか。目を凝らして探してみたが、見つからない。レネの目に入るのは、処刑を心待ちにしている群衆ばかりだ。
チクリと胸のあたりが痛む。どうしてだろう、さらし者にされるぐらい平気なはずなのに。巾着袋の石を痛いぐらいに握りしめて、唇を噛む。そうしているうちに胸の痛みは消えてなくなった。
黄金刑の復活。ドミネウス王がそう言うと、群衆はわあっと声を上げ拍手した。
広場の中央の階段の前にはぐつぐつと煮えたぎった釜が置かれている。バディンドは躊躇するような素振りを見せたものの、執行官に何か吹き込まれたらしい。彼は勢いよく釜の中に飛び込んだ。釜から金色の液体が飛び散る。間もなく釜から出てきたのは、黄金の像となったバディンドだった。
バディンドだったものは床に直立することもできず、無様に転がった。彼は像にされてしまったことに気付いたのだろうか。気付いていないほうが幸せなのかもしれない。刑の執行で観衆が沸く。彼らが盛り上がりを見せるほど、レネは胸の奥が冷たくなるのを感じていた。
執行官に急かされレネは釜の前に立つ。熱風を体全体で受け止め、ごくりと息を飲み込んだ。そして石を三つ、投げる。
釜はグラグラと揺れ、中から金のゴーレムが石の数だけ現れた。ゴーレムが暴れ出し、広場は混乱する。ザグルフに名前を呼ばれてレネは執行台から逃げ出した。白い煙が広場中を包んでいる。ディアンジが煙幕を張ってくれたようだ。
「逃がさんぞ、国賊め!」
振り返ると、剣を片手にドミネウスが迫って来ていた。ドミネウスがにやりといやらしく笑い、レネに剣の先を向ける。レネがそれに応じようとしたところ、背後に何者かの気配が迫るのを感じた。挟み撃ちなら迂闊に動けない。レネはドミネウスを警戒しながら後ろの気配を探った。しかしその気配は予想に反してレネの頭上を飛び越え、ドミネウスの剣を弾いた。
「……クオード」
思っていたより何倍も小さな声でレネは彼の名を口にした。ぎゅうと胸が締め付けられる。助けに来てくれて嬉しいはずなのに、どうしてか胸は痛みを主張するのだ。
「ここは俺が食い止める。お前はエテーネを離れろ」
クオードは謁見の間で見たときと同じ表情をしている。彼が責任を感じる必要なんてないのに。けれどそんな話をする余裕もないのだ。
「迷惑を掛けてすまなかった」
「そんなこと!」
レネがクオードに駆け寄ろうとしたところを、ザグルフが静止する。ちょうどそのとき、ドミネウスとの間に炎の壁ができた。ディアンジが錬金した道具によるもののようだ。
「親子で殺しあうなんていけませんよう! みんなで逃げましょう!」
全員が頷く。しかし、ドミネウスは簡単に見逃してくれそうになかった。炎なんて気にも留めず、ゆっくりと足を前へ動かしている。
「父上、来ないで下さい!」
クオードの悲痛な叫びが響く。レネは逃げることも忘れてその場に立ち尽くした。ドミネウスが炎をくぐり、しかしその変わり果てた姿に息が止まる。
例えるなら、からくり人形だろうか。燃えた服とドロドロに溶けた皮膚の間から剥き出しになった無機質な身体と、赤く不気味に光る瞳。王は偽物だったのだ。
クオードが剣を抜いて構える。
「お前たちは逃げろ!」
「でも……!」
「いいから行け!」
あまりの剣幕に押されてレネは広場から逃げ出してしまった。でも、本当にこれでいいのだろうか。クオードを助けると広場に戻っていったディアンジとザグルフの背中が遠くなっていく。レネが踏み出すのにそう時間はかからなかった。
「クオード!」
「な……逃げろと言っただろう!」
「苦戦してそうだったから」
「……全くお前は」
クオードの隣に並んで武器を取る。ぞくぞくと背筋に電流が走った。きっとこれは武者震いだ。
攻撃を繰り返してもドミネウスは怯まなかった。まるで痛みを感じない人形、いっぽうで疲労とダメージが蓄積されるレネたち。何か策を打たなければ全滅だ。
「クオード、私あのお腹の丸い球が怪しいと思うんだけど」
ドミネウスの体の中心部には紫の球が埋め込まれている。それが心臓のように見えるのだ。
「行けるのか?」
「行く」
クオードはふっと笑い、ドミネウス目掛けて走った。言葉はなかったが、伝わった。囮にしていいというのなら遠慮なくそうさせてもらう。
クオードは攻撃を避けずに剣で受け止めた。無防備に王の腹部がさらされ、レネがそこを突く。ぼとりと鈍い音を立てて球が地面に転がった。続いてドミネウスの身体が人形としての形を失っていく。
クオードはバラバラになった人形の頭部の近くで膝をついた。額に刻まれたエテーネ王家の刻印のことが気になったようだ。
「王家の秘宝の目録に目を通したとき、このような人形があったのを覚えている」
目録によると、人の容姿だけでなく性格までそっくり真似て、本人のように振る舞うことができるらしい。錬金術の遺産なのだそうだ。
「影武者だったってこと?」
「かもしれん。もしくは、父上はもう……」
レネは何も言うことができなかった。そのどちらが幸せなのかわからなかったからだ。王がすでに死んでいて、偽物が悪事を働いていた。それならば肉親のことを憎まずに済む。だがこの偽物もドミネウス本人がそうさせていたのだとしたら。クオードは父親の名誉と生と、どちらを望んでいるのだろう。レネはただ、俯くクオードの頭蓋を見下ろしていた。
ふとクオードが何かを拾い上げる。「時見のカギ」彼はそう呟いた。そのとき、壊れていたはずの人形の目が赤く光る。
「クオード危ない!」
レネはとっさにクオードを抱き寄せた。人形が跡形もなく爆発したのだ。これで偽物の王の証拠はなくなってしまった。
「大丈夫?」
「あ、ああ……」
それより、とクオードは目線を下げる。彼の少し赤くなった頬の理由に気付いて、レネは体を離した。レネの頬もまた、彼のそれと同じような色をしていることだろう。
「……ごめん」
「いや、助かった」
「……えーと、時見のカギって何?」
何でもいいから話題を逸らしたかった。クオードもそれは同じだったようで、特に言及もされない。彼は片手に持ったカギをレネによく見えるよう差し出して言った。
「これは時見の神殿に入るのに必要なもので、代々エテーネ王に受け継がれている」
「じゃあ、次の持ち主はクオード? クオードも神殿に入れるの?」
「カギさえあれば誰でも入ることはできる。……まあ、今から入ることになるかもしれないが」
レネは首を傾げた。神殿とやらに何か用があるとでも言うのだろうか。
「姉さんがいないんだ。聞けばお前の処刑を取りやめてもらうよう父に進言しに行くと言っていたらしい」
「メレアーデが……。私も一緒に探しに行っていい?」
「……お前がいると心強い。まずは王の執務室へ行くぞ」
執務室には誰もいなかった。クオードは部屋奥の神殿への道にカギを差し込む。中は昇降機になっていた。
「歴代の王は神殿の最奥に祀られている時見の箱を介して未来を予見していた」
クオードがスイッチのようなものに触れると部屋全体がガタンと揺れ下降を始める。
神殿に着くまでの間、クオードはエテーネ王国と時見の関係をレネに話した。エテーネがこれまで繁栄を続けたのは、時見の存在が大きいと言う。災害や飢餓の訪れを事前に知ることができれば、その対策を十分に練ることができる。だが、時が経つにつれ時見は国民ひとりひとりの生活まで縛るようになったそうだ。
「俺は今のエテーネを息苦しいと思う。俺なら……」
クオードは俯いて堅く拳を握った。
「クオードが王様だったら楽しそう」
「……どういう意味だそれ」
「そのまま」
レネはにこりと笑った。クオードもつられたのか口元を緩めてくれた。
「あの、遅くなったけど……さっきはありがとう。助けに来てくれて」
「馬鹿を言うな。俺のせいでお前は処刑までされそうになったんだぞ」
「……でも、来てくれて嬉しかったから」
「……そうか」
クオードの指先がレネの頬に触れる。「え」と声に出してしまって、すぐに後悔した。
「ススがついてる」
「あ……ああ、爆発のときかな。早く言ってよ」
クオードの指が離れていく。けれどレネが見た限り、彼の指のどこにも汚れなんてついていない。「何をやっているんだ俺は」と聞こえたような気がするが、レネはもう何も考えられなくなってしまっていた。
「……まずは姉さんを見つけるのが先だな」
「う、うん」
「それが終わったら軍団長室まで来てくれ」
「へ?」
「待ってる」
クオードが言ってすぐ、昇降機の戸が開いた。