8話
軍団長室の扉の前でレネはため息をつく。ドアを開けても彼はいない。分かっているのにレネは何度も足を運んでいた。
軍司令部を出て空を見上げると、まっさらな青空が目に入る。空に王宮は存在しない。彼は王宮ごと時空転移してしまったのだ。
あのとき、レネはクオードと共に時見の神殿へ行き、メレアーデを見つけた。彼女はぐったりとしていて、クオードの目が怒りに満ちていたのをよく覚えている。メレアーデは本物のドミネウスに捕まり、時見の箱にチカラを注がされていたのだ。王はエテーネのためだと言っていた。異形獣騒ぎもすべて、時見の箱にチカラを注ぐためだったと。
王を退位させてメレアーデを助け出すはずだった。しかし突然、黒衣を纏った男が現れドミネウスを刺した。黒衣の男は時見の箱を暴走させ、その場にいた全員をエテーネ王宮ごと時空転移させたのである。レネが無事だったのは、キュルルがいたからだ。時空転移の予兆を察知したキュルルによってレネは転移に巻き込まれることなく現代へ帰った。けれどレネはそのときのことを後悔している。キュルルには感謝しているが、他に誰か助けられたはずの人がいたのではないかと考えてしまうのだ。
「何度ここへ来たって無駄キュ。アイツが時渡りの才能がないって話、レネも聞いてたキュ」
「……でも、」
「そのうちメレアーデみたいにどこかの時代で会えるかもしれないキュ。こんなところで時間を潰すより、次の目的地へ行く方が有意義キュ」
「……うん」
キュルルの言う次の目的地というのはウルベア地下帝国だ。レネは地下帝国の遺産、ウルベア大魔神の力が狙われていると知り帝国へ潜入することとなった。現代から三千年ほど前の時代だ。
レネが時を渡ってすぐに出会ったのがリウ老師だった。レネに帝国へ潜入するよう助言したのは彼である。彼はレネの事情を聞くと、帝国のデータを入手するため08号と呼ばれる魔神機をレネに託した。リウ老師にも何か目的があるようだったが、互いに深入りはしていない。
レネは08号のナビゲートのもと、帝国の皇女であるウルタに辿り着いた。しかし彼女が見ず知らずの他人に大魔神のことを話すはずもない。幸運だったのは、彼女がエテーネ人を探していたことだ。彼女の求めるエテーネ人とは違うかもしれないが、レネにエテーネの血が流れているのは間違いない。ウルタは時の球根を所望すると言った。そうすればレネをエテーネ人と信じ、大魔神のことも検討すると。そして、レネはメレアーデの助言のもと時の球根を手に入れたのだ。
「なんだか浮かない顔してるキュ」
「そうかな」
ぐにぐにと頬をつまむ。キュルルはやれやれとため息をついてキューブを起動させた。
ウルタに時の球根を渡すと、予定通り帝国の技術庁に案内された。しかしレネはそこで当初の目的を忘れてしまうほどの衝撃を受ける。
ウルタとレネを出迎えたグルヤンラシュという男性。その頭を下げた姿勢だけで品の良さが伝わる。彼が顔を上げたとき、レネの中である人の姿が重なって見えた。
彼が口を開く。皮肉のようで、どこか憎めない響き。レネは彼の言葉の続きを待った。口の中が乾いて気持ち悪い。
「俺だ、正真正銘クオードだ」
「クオード……」
何を言えばいいのか考えることもできず、彼の名をただ口にする。頭がクラクラして倒れそうだ。
「おい、どうしたんだ? 具合が悪いのか?」
クオードに顔を覗き込まれて力なく首を振る。
「ちょっとびっくりしちゃって」
「そうだろうな。少し休んで落ち着くといい」
「グルヤンラシュよ、レネを部屋に案内してやれ。つもる話もあるじゃろう?」
ウルタに促され、レネはクオードと共に昇降機に乗った。
「大きくなったね」
揺れ一つ感じさせない昇降機の中、レネがクオードを見上げる。ついこの前までは自分より少しだけ背が低かった。それなのに今は頭一つ分以上の差がある。これを寂しいと思う理由に名前があるなら何というのだろう。
「俺はもう十年以上ここにいるからな。お前はまだここに来たばかりで分からないことも多いだろう」
「んー……グルヤンラシュって何?」
「古代語で、あの日へ帰るという意味だ。ここではそう名乗っている」
昇降機の扉が開く。クオードが迷いなく進んで行くのでレネも後を追った。気を付けていなければ置いて行かれそうだった。歩幅が変わってしまったのを実感して、レネの胸がきゅうと悲鳴を上げる。
案内された部屋は私室のようだった。まさかと思い尋ねると、クオードは当然のように頷く。ここはクオードの部屋らしい。
レネはクオードと並んで座り、これまでのことを尋ねた。きっと多くの困難があったのだろう。クオードの表情には影が差していた。
クオードはウルベア帝国で時渡りの研究をしているそうだ。時の球根が必要だったのもそのためらしい。彼はエテーネの滅びの歴史を知り、それを阻止するためもう一度エテーネに戻ろうとしている。十年と長い時が経過しても、クオードはただエテーネのために前に進んでいるのだ。
「すごいね。こんな立派な部屋まで貰っちゃってるし」
「時渡りをしてすぐのころ、洞窟の中で夜を過ごしたこともあった」
「え、そうなの?」
「……昔の話だ」
「ごめん、嫌な思い出だった?」
「いや、そうじゃ……ない」
クオードの言葉はどこか歯切れが悪い。あまり触れないほうがいい話題だったのかもしれないとレネは不安になる。話題を変えようとして周囲を見渡した。すぐに目についた本棚に手を伸ばす。
「本がいっぱいあるね」
「触るな!」
聞いたことのないような怒鳴り声で、それがクオードのものだと分かったのは彼に腕を掴まれていたからだ。頭が真っ白になって声が出ない。声の代わりに出てきたのは涙で、クオードに見られないように顔を逸らした。ぽたぽたと床にシミが増えていく。情けないことに涙は当分枯れそうもない。
「……っ、ごめんなさい」
レネがやっとのことで絞り出すと、腕に込められていた力が抜けていった。けれどクオードは何も言わない。
自由になった手で乱暴に涙を拭う。クオードの顔を見るのが怖くて、レネは俯いたままだった。
「他のところ、見に行ってくる」
レネはそれだけ言い残してクオードから逃げた。
大魔神のことを調べなくては。けれど頭の中はクオードのことばかり。大事なものだったのだろうか。もしくは国家機密、それとも……。せっかく会えたのに何か間違えてしまったような気がして足取りが重い。べそかきのまま研究員に話しかけることもできず、レネは適当に入った部屋の本に手を伸ばした。
ずん、と心に重しがのしかかる。グルヤンラシュという名前に付属しているのは軍事強化や戦争といった不穏な単語ばかり。彼は地脈エネルギーを利用しウルベアの生活を便利にしたいっぽうで、ガテリアに対抗するため魔神機の兵器化を押し進めたようだ。
レネは本を調べる中でもう一つ気になる記述を見つけた。ウルベアが十年ほど前までは深い森だったという事実だ。今では流砂の海といわれるほど砂漠化が進んでいるこの土地にいったい何が起きたのだろうか。仮説として書かれていたのは地脈エネルギーのことだった。
燃費もよく空気汚染も少ない地脈エネルギー。開発したのはグルヤンラシュと技術庁の筆頭研究員らしい。このエネルギーの開発によって文明は一足先に進み、人々の暮らしは良くなった。けれどレネは知っている、地脈エネルギーなんて現代では使われていないということを。ウルベアが滅んだことで技術が失われただけなのかもしれない。だが、そもそもなぜ帝国が滅んだのか。今まではそういう歴史だとだけ思っていた。もう少しですべてが繋がりそうな気がする。もう一度クオードと話をしなければならない。嫌われてしまうかもしれないけれど、このまま歴史を傍観しているだけではきっと後悔する。レネの涙はいつの間にか止まっていた。
すぐにクオードの部屋に走って、しかし扉は開かなかった。ドアを叩いてみても反応はない、外出しているようだ。ウルタと一緒にいるのだろうか。考えて胸がチクリとする。
レネは開発室に戻った。クオードの姿を探すけれど見つからない。代わりにウルタ皇女を見つけて、クオードが一緒でないことになぜかほっとする。
ウルタは魔神機の修理をしているようだった。机に寝かせられている個体はマリッチ、たしかウルタがそう呼んでいた気がする。
「このポンコツ~!」
しゅうしゅうとマリッチが煙を上げる。08号がマリッチに近づくと、ウルタはスパナを持つ手を止めた。
「なんじゃ、来ておったのか」
08号はマリッチのメンテナンス許可をウルタに求めた。だが、ウルタは首を振る。
「わらわはまだ本気を出しておらぬ。華麗に直して見せるゆえ、見ておれ」
くるくるとスパナがウルタの手の上で回る。彼女はてきぱきとマリッチを修理していった。隣で興味深そうに08号が見守っている。
「よし、完成じゃ!」
マリッチが起き上がってウルタの周りを走り回る。嬉しそうにウルタにすり寄るマリッチはとても機械とは思えなかった。
「ところでレネよ、そちが探しておった大魔神のことは分かったかえ?」
「まだ……。それでクオ……グルヤンラシュを探してるんだけど」
「グルヤンラシュなら後で開発中枢区に来るよう言っておる。そちに見せたいものもあるゆえ後で来てたもれ」
「ありがとう。それじゃ、また後で」
レネが部屋を出ようとする。しかしウルタが「そういえば」と呟き足を止めた。
「ここに来る前グルヤンラシュとすれ違ったのじゃが、えらく酷い顔をしておった」
「酷い顔?」
「真っ青になって、まるでこの世の終わりとでも言い出しそうな顔じゃ」
「……そう」
「何かあったのかえ?」
「……え」
ウルタがレネに近づく。顔を覗き込まれて心臓がドキリと悲鳴を上げた。
「目が腫れておる」
はっとして右手を目元にやる。腫れているかどうかなんて分からない。けれど、きっとウルタが言った通りなのだろう。
「ちょっと、色々あって……」
それ以上は何も聞かれなかった。レネは08号と部屋を出て、もう一度まぶたに触れる。クオードに会うまでになんとか腫れを引かせたい。どこか顔を洗える場所はないだろうか。きょろきょろ周りを見回していると、08号が近づいてきた。
「レネサマ、リウ老師ヨリ音声通話ノ要請ガアリマス」
「え……じゃあ、とりあえずあっちの部屋で」
レネは目に入った部屋に08号を連れて行った。中に誰もいなかったのが幸いだ。
「長旅ご苦労様でした。今、私もそちらに向かっているところです」
08号から聞こえるリウの声にレネは驚いた。こんな機能まで兼ね備えていたなんて。それに彼はウルベアへ向かっていると言っている。
「え……どうしてですか」
「あなたのおかげで貴重なデータが手に入りました。私はあの方の汚名をすすぐため行かなければならないのです」
「あの方?」
「ガテリアの第一皇子、ビャン・ダオさまです」
リウ老師の語った事実はレネが思っていたよりずっと重かった。ウルタの父、つまり当時のウルベアの皇帝であったジャ・クバをビャン皇子が暗殺した。それにより二国の外交は悪化し、結果的にガテリアは滅びてしまったそうだ。
リウ老師はもともとウルベアの技術庁に在籍していたが、グルヤンラシュによる軍事強化政策に反対しガテリアに亡命した。そこで家庭教師として受け持つことになったのが他でもないビャン皇子だった。ビャン皇子が暗殺なんてするはずないと、リウ老師の悲痛な声が響く。
リウ老師はその後ウルベアに捕まっていたビャンを逃がしコールドスリープさせた。ビャンが目覚めたのは現代で、レネとも面識を持っている。彼が決して暗殺をするような人ではないというのはレネも知っていた。そしてそのときビャンが言っていた祖国の仇の名をようやく思い出す。今の今まですっかり忘れてしまっていた……というより、気付かないふりをしていたのだ。ビャンが憎んでいた相手の名前は――。
「リウ老師、あの……あなたから見てグルヤンラシュはどんな人でしたか」
「あなたは昔の彼を知っているようですが、今の彼は……」
リウ老師は言葉を濁した。けれどレネには十分に伝わった。
「あなたには辛いことを頼んでしまったのかもしれません」
「いえ……。道中お気をつけて」
通信が切れる。レネは走り出した。