トリップしたけど昔アニメをちょっと見ただけでタソガレドキを知らない話20
一日の仕事を終え、雑渡は城の一室で休んでいた。そして雑渡の前に座る男が一人、天井裏にもう一人……。
「いい加減、腹をくくってはどうだ」
山本陣内は雑渡の部下である。忍務中は上下関係を崩すことなく雑渡の指示に従うが、仕事から離れれば小言を言うこともある。昔は先輩忍者として雑渡を叱る立場にいたから、雑渡も山本に言われると弱いのだ。
しかし腹をくくれと言われても。雑渡は腹をくくる気など全くなかった。
「何をそんなにためらっている?」
「腹をくくる以前に私だけの問題じゃないからね」
「それなら腹をくくって潔く振られて来ればよろしい」
「えー……」
「このまま噂を放置するわけにもいかんだろう。どこで間者の耳に入るかわからんぞ」
山本は彼女が「組頭の好い人」として狙われる恐れがあると言いたいのだろう。確かにそれは雑渡も考えた。だから早いところ噂を止めなければならないのだが、どうにも上手く行かない。
「正式に妻となれば護衛を付けられるとわかっておいででしょう」
「まあ、そうなんだけど……」
「そもそもアレは何者なのです」
ようやく天井裏から姿を見せたのは、黒鷲隊小頭の押都長烈だ。今や彼女を疑う者はほとんどいなくなったが、黒鷲隊ともなれば話は別だ。敵の事前調査を主とする部隊の一員で、しかも小頭という立場……彼女を最後まで疑うのは押都だろうと雑渡は思っている。
山本や押都には、彼女の事情を話すべきか迷ったことがある。彼女の持ち物を見せれば納得させることができると考えた上で、それでもしなかったのは、話が広まれば広まるほど彼女をタソガレドキに縛り付けることになると危惧したからだ。情に厚い山本はともかく、押都なら彼女を絶対に囲い込もうとするだろう。それこそ以前の雑渡のように。押都ならあらゆる手段を使って未来の情報を得ようとするはずだ。それが悪いことだとは思わない。情報を制する者が戦いを制する。むしろ雑渡のほうがもっと非情であるべきだったのだ。
「我々黒鷲隊の力をもってしても、ここに来る以前の娘の足取りを掴むことはできませんでした。組頭は何か事情を知っておられるのでしょう?」
「うん……。まあ、敵じゃないことは保証するし、何かあったら私が責任持つよ」
「そこまでおっしゃいながら、なぜ求婚しないのです」
「え……そっちなの?」
どうやら押都と山本は同じ意見のようだった。
「心配せずとも、あの娘も少なからず組頭のことを想っているようですが」
「……いいよ、ほんとに。わかってるから」
はてと押都が首を傾げ、山本が呆れたようにため息をつく。
「だから腹をくくれと言っているのです」
「どれ、私が娘をその気にしてみせしょう」
「エ、ちょっと待って。何する気?」
「悪いようにはいたしません」
そう言って押都は姿を消した。嫌な予感しかしない。
「追うよ、陣内」
「全く、世話の焼ける……」
この時間であれば彼女は自室にいるはずだ。薬を塗ってもらう時間には少し早いから、寝ていることもないだろう。
彼女の部屋の前まで来ると、中から話し声が聞こえてきた。雑渡は山本と顔を見合わせる。中から聞こえてきた声は、雑渡のそれによく似ていた。押都の声真似だ。おそらく雑渡に変装しているのだろう。
余計なことを言われるのは明らかだった。このまま押し入れば何事もなく平和に終わるかもしれない。だが、少しの好奇心が雑渡をそうさせなかった。雑渡と山本は天井裏に移動し、中の様子を覗き見ることにした。
雑渡に変装した押都は彼女のすぐそばに座っていた。なるほど立っていたら身長差を悟られてしまうから、座って気づかれにくくしているのだろう。雑渡は押都の手腕に感心した。いやそんなことを考えている場合ではない。押都は身を乗り出し彼女の肩に手を添えた。
もし押し倒そうものなら天井裏を破壊してでも止めに入るつもりだった。しかし当の彼女はきょとんとした顔で、まるで危機感さえない。
「……あの、雑渡さんに変装したくせ者ですか?」
「え……」
情けない声を上げたのは雑渡だった。押都の変装は完璧と言ってもいい。なぜすぐに見破ることができたのか……。にわかには信じがたいが、それでもどこか嬉しいと思っている自身がいた。
「変装って、なに言ってるの?」
押都はなおも演技を続けていた。これは正しい。相手がカマをかけている場合もあるのだから、簡単に白状すべきではない。さすが黒鷲隊の小頭。雑渡は押都の冷静さにまたも感心していた。
「見た目は雑渡さんですけど、雑渡さん私に対してそんな感じじゃないから……」
「好いた相手を口説いているんだよ」
「もう絶対偽物ですよね」
「えー、ひどい」
「……大声を出しますよ」
「……ふむ」
押都は変装を解いた。押都であれば彼女の口を封じることなど容易いはずだが、騙せないと悟ったのだろう。押都の雑面を着用した姿に彼女は驚いたようで、ぴしゃりと身を固くしていた。
「私は黒鷲隊小頭の押都長烈だ」
「……はい。それで、私に何の用でしょうか」
「そう緊張しなくていい。私はただ噂ばかりが広がっていくことにヤキモキしていただけなのだ」
「噂……」
「ええ、組頭の想い人がここにいると」
「えっと、つまり……私と雑渡さんの仲を取り持とうとしたということですか?」
「さよう」
「いや……噂は噂というか、雑渡さんにそういう意味で好かれてるとは思ってないですし、私も誰かと一緒になろうなんて考えてないんです」
(私、結構わかりやすかったかなと思ってたんだけど……)
雑渡は好意に気づかれていないことに安堵したものの、どこか残念な気持ちになった。何せ噂になるくらいだ。気持ちは伝わっているが、互いに知らぬ振りをしている状態だと思っていたのである。
しかしまあ、他は大体予想通り。これまで何度か一線引かれていると感じたことはあった。だからこそ彼女を遠ざけなくとも問題ないと判断したのだ。
「誰とも一緒にならない……それはなぜかな?」
「……現状に満足しているので」
「だが君は組頭のことが好きだと、諸泉尊奈門に言っていたね?」
「えー……知ってたんですか……」
「ああ、彼が口を滑らせたのではなく、私が勝手に盗み聞きをしただけだがね」
もはや出て行くことすらできなくなった雑渡は、どうしたものかと頭を悩ませていた。知っていた。普通に察していた。彼女に好かれているということは。だが実際に目の当たりにすると、沸き立つような熱が全身を駆け巡る。山本からの視線が痛い。いっそのこと立ち去ってしまいたかったが、押都が何を言うのか確認しないわけにはいかなかった。
「君さえよければ手を貸そうか?」
「いえ、結構です」
「なぜそうも頑なに。組頭を好いているのであろう?」
押都の言葉は雑渡にも向けられていたように感じた。
「というかみなさんはいいんですか。私みたいなので」
「殿がどんな相手を見繕ってきても断るお方だ。我々としては一刻も早く身を固めてほしいと思っている」
「……私なんかより、もっと相応しい人がいますよ」
そんなやつ、いてたまるか。もちろんそれを言う資格がないことは、雑渡自身が一番よくわかっているつもりだ。雑渡だって同じようなことを彼女に対して思っていた。彼女には自分よりももっと良い人がいるはず。そう考えなければ、身動きが取れなくなりそうだったのだ。
「では組頭から求婚されたらどうする?」
「……大変ありがたいことですが、お断りします」
「全く頑固なことだ」
押都は諦めたのか部屋を出て行った。天井裏の二人も急いで退散し、押都の前に姿を現す。
「いやはや……振られてしまいましたな」
「誰のせいだと思ってるの」
「アレは押せばいけるでしょう」
「いや押さないし、そもそも押しても無理だと思うよ私は」
「山本殿はどう思われます?」
「いいから素直になれ」
「ええ、私も同感です」
押都はこのあと彼女の姿に変装して雑渡に迫ろうとしたが、もちろん雑渡が気づかないはずもなく……。というか押都も本気で雑渡を騙そうとは思っていなかった。
「全然違う。あの子は私にそんなこと言わないし」
「似たもの同士、お似合いではないですか」
「彼女も現状に満足してるって言ってたじゃない」
「その現状がいつまでも続くと?」
「……痛いとこ突くね」
例えば雑渡が戦で命を落としたら。そうでなくともいつかは組頭という立場を引退し、城を去ることになる。そのとき彼女はどうするのかという話だ。何もそこまで雑渡が面倒を見る必要はないのかもしれないが、気がかりであることは確かだった。
「そろそろ薬を塗ってもらう時間ですな」
「……わかってるよ」
押都の顔は雑面で隠れたままだ。しかし雑渡には面の下でニタリと笑っている押都の表情が、まるで見えているかのようにはっきりと想像できた。
雑渡が彼女の部屋の戸を開けると、彼女はボッと顔を赤くして固まった。押都の前では平気そうにしていたが、案外効いていたらしい。――いや、効果があったのは雑渡に対しても同じだ。彼女は雑渡を好きだと認めた。押都の本当の狙いは、雑渡にそれを聞かせることだったのかもしれない。
そんな顔を見せられては我慢しているのが馬鹿らしくなってくる。押都や山本に言われたことも雑渡を後押しさせた。今の関係のままでは守れる範囲に限りがある。彼女のためだと思って気持ちを伝えなかったが、それが言い訳になっていることにも薄々気づいていた。
(まあ、どうせ振られちゃうんだし)
振られた後のことは振られてから考えればいいのだ。もちろんただで振られる気はなかったが。
雑渡は変装した押都がそうしたように、彼女のすぐ近くに座った。彼女がハッと息を呑んだのがわかる。それで本当に好意を隠しているつもりなのか。どうして押都の変装だと疑わないのか。
「さっき私の部下が来たでしょ?」
「……はい」
「私から求婚されても断るそうだね」
「え……?」
「好きだよ」