ポイズン・キス03

 南雲との実習を終えた次の日、教室に入ろうとしたら友達が血相を変えて飛んできた。
「ねえ、昨日なにしたの!?」
「え……?」
「南雲に背負われて帰って来たって! そもそもどうやってペア組んだの!? なんかキスしてるの見たって人もいるよ!」
 とにかく学校中で噂になっていると聞いて、私は頭を抱えたくなった。ペアを組んだのは南雲が誘ってきたからで、背負われたのも南雲が無茶を言ってきたからだ。しかしそんなことを全員に言って回るなんて不可能であり、私はしばらく好奇の目に晒されることとなった。そして当の本人は噂を知ってか知らずか、堂々と声を掛けてくる。
「やっほー、もうお昼食べた?」
 ワッと周囲の視線が私たちに集まる。
「ちょっと!」
 私は南雲の腕を引っ張って目立たない場所に移動した。だけどこれも逆効果だったかもしれない。
「なに?」
「噂、知らないの?」
「噂って?」
「私たちがその……つ、つきあってるって」
「ああ、」
 気にしたってしょうがないと南雲は言う。確かにその通り。噂に振り回されるなんてもってのほか。だがそれは実力のある南雲だから言えることである。
「それとも本当に付き合っちゃう?」
「そういうこと言うのやめて。南雲くんのファンに刺されるから」
「あはは、そのときは助けてあげるね」
 ファンについては何も否定しないところがいっそ清々しい。そして今までの話の流れを全て無視して「食堂行こうよ」と言うのだ。

「押しに弱いよね~」
「南雲くんが勝手について来たんでしょ!」
 私の今日のお昼ご飯は、二日ぶりのJCC丼と南雲に貰った刺身が一切れ。ここ数日でコツを掴めていた気がするのに、きっとあの噂のせいだ。
 もさもさと野菜を噛みしめながら南雲を睨みつけてみたが、全く効果はなかった。しかしこうしてじっと見ていると、彼の手に刻まれたタトゥーが気になってくる。
 右手と左手が対称になってるんだな。腕や足にもあるみたいだけど、他のところ……例えば背中なんかにも掘ってあるんだろうか。
「どうしたの~? 僕のこと見つめちゃって」
「見つめてない……。そのタトゥー、他のところにもあるのかなって考えてた」
 南雲は丸い目をさらに大きく開いて首を傾げる。「見たい?」って、そんな。見せてもらえるなら見たいような気もするけど、それをそのまま伝えれば、
「意外と大胆なんだね~」
と、はぐらかされてしまった。じゃあ聞くな! と叫びたくなるのをこらえて私はしなびた野菜を飲み下す。

 食事を終えて食器を片付けようとしたところ、南雲が片手を上げる。彼の目線の先には湯気立つトレーを持った坂本がいた。
「坂本くん、こっちこっち~」
 静かに歩いてきた坂本は、私と南雲へ交互に視線を寄越した。ぺこっと会釈をされたのが意外だった。もっと冷たい感じなのかと思っていたのだ。だけど実際の彼は、無口なだけで南雲よりも無害そうに見える。
 坂本は南雲の隣に座った。私は退席したほうがいいのだろうか。というかしてもいいならしてしまいたい。こんな目立つ二人と一緒にいて、いいことなんてあるはずがない。
 しかし私は立ち上がれずにいた。南雲が昨日の実習の話を始めたのだ。「その話する?」と、やんわり阻止したけど、伝わっていないのか南雲は満面の笑みで「うん」と言ってのけたのだ。
「ほんと危なっかしいんだよ~」
 南雲と坂本の会話はほぼ一方的だった。さして興味もなさそうな坂本相手に、よくもまあこれだけ話せるものだと感心する。だが坂本がどれだけ話に無関心であろうと、隣で聞いている私は気が気でなかった。南雲が私を辱めようとしているわけではないとわかってはいるものの、自分の未熟さを改めて思い知らされて、いたたまれなくなったのだ。
「なぐも」
 坂本はそれだけ言って南雲の肩越しに私を見た。ぱっとこちらに振り返った南雲は、私の顔をまじまじと眺める。
「どうしたの? そんなに小さくなっちゃって」
 坂本がため息をついたのがわかった。私はとっくに空になった食器をトレーに乗せて立ち上がる。南雲はきょとんとした顔で私を見上げていた。たぶん本当に悪気はないし、私も彼に怒っているわけではない。もし怒りを感じているのだとしたら、それは自分に対してである。もっと成長しなければ。彼を見返してやれるほどの成果を得られるかはわからないが、せめてこの学校を無事に卒業できるくらいにはなりたい。次の授業まで少し時間があるから、トレーニングルームで筋トレでもしてみようか。
 行こうとしたそのとき、ぎゅっと腕を掴まれる。何かと思えば南雲だった。びっくりした。トレーを落とさなかった私を褒めてほしい。
「な、なに……?」
「うしろ」
 そう言われて見てみると、じゅうじゅうと音を立てる鉄板を運ぶ持つ男子生徒が目に入った。そっか、ぶつかりそうだったのか。なーんだ……。
 いったい私は何を想像していたのだろう。考えることが恐ろしい。トレーを持つ手にぎゅっと力を入れて、ようやくここで南雲の手が腕から離れていく。痛くないはずの腕にピリッと熱を感じた。
 ぼうっと立ち尽くす私を不思議に思ったのか、南雲は私の目の前でひらひらと手を振った。
「どうしたの? 大丈夫? もしかして腕、痛かった?」
「……痛くないよ。危なかったね、私。ありがとう」
「ほんとだよ~。気をつけてね」
 うんと頷いて、坂本には会釈をして食器を片づけに行った。それから急いでトレーニングルームへ向かう。
 毒の知識さえ得られれればいいと自主的な鍛錬をしていなかった私は、どの機材を選んだらいいのかもわからなかった。とりあえず簡単そうだとランニングマシーンに飛びついて十分後、私は強烈な後悔に襲われた。そりゃあ食べたばかりでそんなことしたら脇腹に効く。ちょっと考えればわかりそうなはずなのに、どうしてこうも視界が狭くなっていたのか。
 脇腹を押さえながらトレーニングルームを出ると、ちょうど南雲と坂本の二人に再会してしまった。
「ええ~、大丈夫? 食べたばっかりで運動してたの?」
「……うん」
「急にどうしちゃったの? いつもお昼の後は教室で友達と喋ってるよね?」
「……なんで知ってんの」
「いや僕も尾行されてたし、どんな子なのかなーと思って」
 それを言われたら何も言い返せなくなってしまう。気まずいのと恥ずかしいのでうつむく私をよそに、南雲は坂本に「先行ってて」と声を掛ける。坂本はまたも私にぺこっと頭を下げて階段を上って行った。
「歩けそう?」
「うん」
「次の授業は?」
「調合」
「えーっと三階の実験室でいいんだっけ」
 的を得ないと思っていた会話の真意がぼんやりと見えてくる。送って……というか付き添ってくれるつもりだったんだろうか。
「すぐそこの温室に集合だからゆっくり歩いても間に合うよ」
「無理しないでね~」
「南雲くんって世話焼きなの?」
「そんなこと言われたの初めてだよ」
 そう言って南雲は温室の方向へ歩き始める。いつもより歩くペースは遅い。
「あ……えっと、さすがに一人で大丈夫だよ」
「何のこと? 僕こっちに用があるだけなんだけど」
 南雲は坂本に「先行ってて」と言ったのだ。南雲の目的地が温室方面ではないと、私だってわかる。だけどそれを指摘してはいけないような気がして、私は黙って南雲の後ろを歩いた。
 南雲は私を温室に送り届けたあと、誤魔化すこともせず来た道を戻っていった。何なのかよくわからない。よくわからないけど、身体がムズムズする。
 温室に入ると、一部見ていたらしい友人から詰め寄られた。何があったのって、私が聞きたいくらいだ。
 そのあとも私は上の空で、毒性植物の棘を素手で触るという失態を犯してしまった。大したことにはならなかったけど、落ち込んだ。今日はダメなことばかりだ。

 調合した毒を混ぜたクッキーを綺麗にラッピングしたのはいいものの、受け取ってくれる相手はいなかった。入学したばかりのころは簡単だったが、何度も騙されてくれる相手はそういない。自分で結んだリボンを自分で解いてクッキーを一つ口の中に放り込む。毒の苦みを誤魔化すための大量の砂糖はあまり機能していない。これじゃあすぐバレちゃうかなあと思いながらも二つ目に手を伸ばす。
「僕にも一個ちょうだい」
 どこから現れたのか、南雲はいつの間にか私の隣にいた。
「毒入りだけど」
「それ言っちゃうんだ」
 へらっとした顔で笑いながら南雲は包み紙に手を伸ばす。口に入れた途端「苦いね」と眉を寄せた。
「砂糖いっぱい入れたつもりだったんだけどね」
「確かに食感がジャリジャリしてる」
「失敗かな」
「チョコでコーティングしてみたら? 口に入れた瞬間の違和感はなくなると思うよ」
 何のつもりかよくわからないが、実に真っ当なアドバイスだ。そして彼がよくポッキーを食べていることを思い出した。
「今度やってみる」
「僕にも味見させてね~」
 単に食べたいだけなのか、それとも毒に耐性をつけたいのか、南雲の真意は読み取れない。急に現れた彼だったが、いなくなるのも急だった。あまりの去り際に幻覚でも見ていたんじゃないかと疑いたくなるが、手元の包みからは確かに重さが減っていた。