優しくしないで04
店長は無口、葵さんは優しい、ルーは話しやすい。これが午後からの勤務を終えての感想だった。今日は慣れるくらいでいいからと、仕事もあまり振ってもらえなかった。明日から本格的に働くことになるのだろう。問題はそれより……
目の前には川の字に並べられた布団が三セット。それはまだ理解できる。個室を与えられるなんて甘ったれたことは考えていなかった。では何が問題なのかというと、
「……私が来る前はルーと毎晩二人きりだったってこと?」
「妙な言い方すんなよ。昨日はお前のとこ泊まっただろーが」
「昨日は私ベッドだったし……ほら、高低差があったから!」
「べつに何もありゃしねえって」
シンは面倒くさそうな顔でため息をついた。そして「じゃ帰るわ」と。
「え、帰る……?」
「俺んち」
「家、あったんだ……」
「俺だけじゃなくてルーも一応あるぜ。最近は全然帰ってねえみたいだけど。……帰ったら帰ったで遅刻するし」
「そうなんだ」
「俺はここ来る前に住んでたとこなんだけど、荷物とかあるしそのまま。まあそこまで遠くもねえから」
「……待ってよ」
行こうとするシンの腕を掴む。これじゃあいきなり来た私がシンを追い出したみたいじゃないか。とんでもなく面倒くさいことを言っているのは私だってわかっている。だからそんな呆れた顔をしないでほしい。
気まずい空気は部屋のドアが開かれたことによって換気された。ルーはほんのりと赤くなった顔で言う。
「お風呂上がったヨ~。次どっち入る?」
「あー、俺最後でいいわ。先入ってこいよ」
シンに促され、しかし私が立ち尽くしたままでいると、
「帰らねーから」
と念押しされた。
どうしたらいいんだろう。必要以上にシンとのことを意識してしまう。湯船の中で考えていたら、次第に頭がぼーっとしてきた。
前のアパートの風呂場は狭かったから、こんなにゆっくりすることもできなかった。なんか眠いな……。風呂で寝るのはいけないとわかっていながらも、重たくなった瞼には抗えなかった。
ドンドン、とドアを叩かれてハッと目を開く。ドアの向こうからはルーの声がした。
「起きてるカ!?」
「ごめん、寝てたっ!」
「シンが心配してたヨ」
「……うん」
立ち眩みを起こさないようにゆっくり立ち上がり、風呂場を出る。着替えて部屋に戻れば、シンが気まずそうな顔をしながら近寄ってきた。
てっきり怒られるのかと思っていた。待たせやがって……とまではいかないけど、風呂の中で寝たら危ないとか、少なくとも小言を言われる覚悟はしていたのだ。
ところがシンは謝ってきた。何がごめんなのかわからなくて、私はポカンとする。
「疲れてたんだろ? さすがに今日は働かなくてもよかったよなー……。早く仕事に慣れたほうがいいかなって思ってさ……」
「あ、いや……べつに疲れてたわけじゃ」
「自分じゃ気づいてねえだけだろ? いきなり環境変わってんだもんな、気づいてやれなくてワリぃ」
そんなに謝られても、というのが正直な気持ちだった。ここに連れてきたことに責任を感じているのだろうか。
「あー……とにかく髪乾かせ! ドライヤーそこの鏡んとこ!」
なぜか最後は照れくさそうにして、シンは部屋を出ていく。ドアが閉まるとルーがやれやれとため息をついた。
「シンは子どもネ~」
「えっ、そうかな」
「優しくしたいのに照れてるネ」
「や……優しいような気もするけど」
さっきのなんて特にそうだ。それともシンは普段、これ以上に優しいのだろうか。私が突っかかったりしなければ、もっと違っていたのだろうか。
「どうやって接したらいいと思う~って聞かれたヨ」
「え」
そんなの相手の思考を読めばすぐにわかるだろうに。ルーが嘘をついているとまでは言わないが、イマイチ信じられなかった。しかし坂本商店で数日働くと、実のところがわかってくる。
シンが能力のせいで過去に失敗したというのは本人から聞いたので知っていた。苦労もあったのだろう。だが、それは過去のことだと思っていたのだ。私に対してもあんな感じだから、今はそれなりに上手くやっていているとばかり思っていたのに、実際はそうでもないらしい。
シンは店に入ってきたお客さんの思考を先読みして、希望の商品を全部カゴに用意してあげていた。ねえ、そんなことしたらどうなるかわからないの?
私の想像は何も間違っておらず、お客さんはめちゃくちゃ引いていた。一応お金は払ってくれたけど、もう二度とここには来ないんじゃないかと思う。
とまあこんな感じで(一部年配のお客さんには好評だったようだけれど)シンは盛大に空回りしていた。
馬鹿じゃないの。口には出さなかったが、どうやらシンには伝わったようだ。
「何だよ」
シンはモップ掛けの手を止めて睨んできた。
「この前、気づいてない振りしたほうがうまくいくって言ってたじゃん」
「俺にもいろいろ事情があんだよ」
「事情ってなに」
「もっと強くなんねーとって……今は坂本さんに頼りっぱなしだし」
「そんなことないと思うけど」
シンはポカンとした顔で固まっていた。そんなにおかしなことを言ったつもりはなかったけど、何か失敗したかもしれない。だってシンは私レベルの殺し屋だったら一人で追い払ってしまうし、頼りきりということはないんじゃないかと思ったのだ。
「いや……やりたいならやれば」
お客さん減るかもしれないけど。頭の中でそう付け足せば「そりゃマズイよな~」と返事が返ってくる。
「じゃあやっぱり私、喋らないほうがいいんじゃないの」
私が楽したいがために喋るのをやめようとしたときは却下されてしまったが、他人の思考を読む練習をしたいなら客を相手にするよりよほどいいんじゃないのか。店長だってほぼ喋らずシンと意思疎通をしているのだから、それで何も問題ないはずだ。
とりあえず頭の中で訴えるという方向にシフトしてみた。今のところ伝わっているようだ。
「いや、確かに坂本さんとは上手くいってるけどよ~……」
(私はダメなの?)
「ダメっつーか……。あー、何て言ったらいいのかな……人って頭で思ってることと口に出すことが正反対のときあるだろ?」
(うん、それが?)
「……頭の中はそうじゃなくても、言ってくれたことを尊重してーなってときもあるんだよ。時と場合にもよるけどな」
「アイス奢って」
「いやそういうことじゃねえ!」
そんなことを言いながらも仕事が終わればシンはアイスを買ってくれた。二階に上がってペリッと蓋を剥がしていたら、さっきのシンが言っていたことへの理解が遅れてやってくる。
「わかった。私が心からありがとうって思ってなくても、とりあえずありがとうって言っとけばそれでいいよーってこと?」
「変なとこで素直じゃねえよな。もうわかってるからいいけどよ」
「何が」
「読んでもいいって言ってくれただろ。あれ、けっこう嬉しかったんだぜ」
「……なんか話変わってない?」
どうして恥ずかしげもなくこういうことを言えるのだろう。屈託のない笑顔で言われてしまえば、私もアレコレ言えなくなってしまう。
……それに、ちょっとだけかわいいなと思ってしまった。普段はお兄さんぶってるくせに何。読まれたらたまらないから私はベランダに出た。もう日が落ちかけているから、外は肌寒い。
「外寒くね?」
シンがひょっこりと窓から顔をのぞかせる。あろうことかヤツはそのままベランダに出てきた。
……ねえ! なんで心を読めるくせに空気は読めないの! これでわざとやっているなら大問題だ。
「寒い」
「だよな~アイス食ってると余計」
私はシンを無視して部屋に戻った。まあ分かっていたことではあるが、シンもすぐに部屋に入ってくる。私は逃げる手段を必死に考えた。
「……お風呂沸かしてくる」
「今から?」
「続きは上がってから食べる」
「おー。じゃ、よろしく」
食べかけのアイスを冷凍庫に押し込んで私は風呂場に向かった。何とか逃げきれた。……なんでこんなことしなきゃいけないんだ。こんなんで私はこれから先、大丈夫なんだろうか。
例えば人に好意を向けられていると気づいたとき、シンはどうするのだろう。面倒だったら気づかないふりで乗り越えるのかな。でも、ずっとそれって無理じゃない?
こんなことを考えてしまうくらいだ。私はシンのことが好きなのかもしれない。これってすぐバレちゃうよね。少し優しくしたくらいで、とか思われたりして……。
考えれば考えるほどドツボにはまっていく。借金のこともあるから、私からは下手をしたくない。これは紛れもない本音であるが、怖いというのもあった。
(いや、まだ好きと決まったわけでは……)
心の中で自分に言い聞かせる。親切にしてもらって、それからルーにあんな話を聞かされて、ちょっと意識してしまっているだけだ。今までそんな経験もなかったから、びっくりしただけ。
部屋に戻るのも気まずくて、私は浴槽にお湯が溜まっていくのをぼーっと眺めていた。変に思われたかもしれないけど、仕方ない。
お風呂上がったら普通にできるかな。あんまり意識しないようにしなきゃ。考えていたら、ピピピッと湯張り修了の音が鳴っていた。