優しくしないで05
坂本商店にお世話になること二カ月、借金の残高が順調に減っていくのに並行して私はシンを好きになっていた。一時は勘違いかもしれないと思ったこともあったが、もはやそんな次元ではない。そして、おそらくシンは気づいている。気づいていて何もないということは、つまりそういうことだ。
まあ仕方ないなと思う気持ちと、納得できない気持ちが半々。モヤモヤする原因として、シンが必要以上に私に優しくしてくるというところがある。
シンはもともとお節介というところもあるが、私に対しては特に過保護だ。返済のためコンビニに行くと言えばついてくるし、ちょっと食欲がないだけでも過剰に心配される。それが迷惑とか嫌というわけではない。ただ、詐欺だなあと思う。好きになるから優しくしないで。頭の中で何回か言ったことはあるけど、そのときシンが心を読んでいたかどうかはわからない。
バイクのエンジン音が近づいてきて、止まる。配達終わりのシンはヘルメットのせいで乱れた髪を手で整えながら店に入ってきた。
「おかえり」
「おー」
シンはエプロンに手を伸ばす。時間的にもうすぐ上がりだけど、ちゃんと時間内は働く気があるようだ。配達が終わればそのまま上がると思っていたから、シンにやってもらうような仕事は特に残っていない。
エプロンをつける様子をじっと見ていたら、シンがこちらを向く。
「ん、どうした?」
「私も配達、やってみたい」
「免許持ってんの?」
「持ってないけど、店長の自転車で行けるかなって」
「あー……まあ確かに行けるっちゃ行けるな。坂本さんに相談してみっか」
シンはそう言ったあと、店の奥に引っ込んでいった。私のことだから私もついて行ったほうがいい気がするけど、そうするとレジが無人になってしまう。私はおとなしくシンが戻ってくるのを待つことにした。
配達がやりたいというのは前々から思っていたことだ。というのも、店内がちょっと過剰だなというときがあるのだ。返済のこともあって、店長は私のシフトを多めに入れてくれている。だけど何もすることがないのでは意味がない。それなら配達ができればもう少し役に立てるのではないかと思ったのだ。
シンは店長と一緒に戻ってきた。
「今から配達ルート説明する。んでそのまま上がっていいって」
シンの言葉に店長も頷く。シンはすでにエプロンを外していた。
店長と葵さんの自転車を借りて私たちは出発した。てっきりバイクに二人乗りかと思っていたけど、それじゃあ一瞬で道が頭に入ってこないとシンが言うのだ。二人で縦に並んで自転車って、ちょっと不思議な感じだった。
もともと知らない道ではなかったので、特に問題なく道順は覚えられそうだった。誤算だったのは、途中で雨が降ってきたことだ。シンは一度自転車を止めてスマホを取り出した。
「……ゲ、酷くなるらしいぜ」
「戻る?」
「だな。……あ、ここからだと俺んちのほうが近いけど来るか?」
「えっ」
下心なんて一切なさそうなお誘いだ。私に断る理由は一つもないけど、ここは渋る素振りを見せたほうがいいのだろうか。まあ、そんなことしたってシンの前では無駄なのだが。
「行っていいの?」
「何もねえけどシャワーと着替えくらいなら貸すぜ」
「じゃあ、行く……」
そんなこんなで連れてこられたのは、普通のマンションの一室だった。普段から家を空けているためか、生活感が感じられない部屋だ。
予報通り雨が強くなったせいで、髪の毛から水滴が落ちるくらいには濡れてしまった。シンはタオルを探すよりも先に浴室の戸を開けた。
「シャワー、先どうぞ。着替えは準備しとく」
「……うん。ありがと」
ここはああだこうだ言うより素直に厚意に甘えたほうがいいだろう。ただ、シンも濡れているからシャワーは迅速に。その気持ちが先行しすぎて、後ろにシンがまだいることも忘れて服に手を掛けていた。バタバタと大きな足音が遠ざかっていく。なんか悪いことしたかも。まだキャミソールだったから私は特に何ともないんだけどな。
急いでシャワーを終えた先には厚手のジャージが用意されていた。この季節にしては厚着すぎる気もするが、透けないようにとか色々考えた結果なのかもしれない。
着てみると、やっぱりサイズが大きい。これって彼ジャージなのでは! いそいそと私は洗面台の鏡を確認しに行ったら、思っていたのとなんか違う。
特にかわいくもないなというのが素直な感想だ。腰ひもをぎゅっと絞っているおかげでウエストは問題ないし、余った裾を折り曲げれば普通に歩き回ることもできる。上も首元がつまったデザインだったので、見えてしまうようなこともない。
部屋に行くとシンはベッドの上でスマホを見ていた。シンもまたジャージに着替えており、首元にはタオルを巻いている。
「今日泊まる?」
「えっ」
彼ジャージへの感想は特になかった。いや、問題はそこではなく……。
「坂本さんに聞いたらチャリは明日でいいってよ」
「食べるものあるの?」
「カップ麺なら」
「雨が止んだ時間にもよる……」
「それもそうだな」
シンはスマホをベッドに投げ浴室のほうへ歩いて行った。適当に座っているよう言われたが、座れるような場所は床かベッドしかない。浴室の戸が閉まったのを確認して私はベッドにダイブした。
何だ、何なんだ。ちょっと危機感が足りないんじゃないか! もちろん私のことではなくて、シンの話である。少しは好かれてるって自覚しろ!
むしゃくしゃするのでこのまま腹チラでもしながら寝てやろうかと思った。……布団を掛けられ朝を迎える未来が想像できる。やっぱりやめよう。
ルーに連絡したら、今日はカレーという情報が得られた。それを聞いたらちょっとだけ帰りたくなってしまう。ここでカップ麺を啜って何も起きないまま一夜明かすより、商店に戻ってカレーを食べたほうが絶対にいい。今から外へ出るのも面倒だという気持ちも若干あるが、ここだと眠れるかどうかすらも怪しい。外はまだザーザーと雨が降っている。
シャワー上がりのシンはタンクトップ姿だった。もう何も言うまい……。でも直視するには刺激が強すぎて、私はベッドでうつ伏せになった。
「ねみーの?」
足元が沈む感覚がした。シンがベッドに座ったのだろう。ここで近づいて来るってことは、本気で何も意識されてないという証拠だ。
「することないから。テレビもないし」
「いつもテレビなんか見てねえだろ」
「…………最近、」
「ん?」
「私の心、読んでる?」
少し間があいて「あんまり」と返ってくる。あなたの好意には気づいてませんよという予防線だろうか。
ズルいなあと思った。しかし続いた言葉は予想外の内容だった。
「お前の頭の中、あんまアテになんねーし」
「どういう意味」
「……優しくしないでって頭の中で考えてんのに、顔には優しくしてって書いてある」
「っはあ!?」
私はベッドから飛び起きた。不本意、あまりにも不本意だ。
「書いてあるって何!? 妄想じゃない!?」
「せめて直感って言えよ。頭で考えてることが全部本心ってわけでもねーし、お前に関してはそっち信じてんの」
「……じゃあ、今の私はなんて?」
「今も同じだよ」
そう言ってシンは私の頭にポンと手を乗せてきた。「セクハラ」と頭の中で訴えたが、シンは呑気にあくびをしている。髪を撫でつけてくる手はシャワーのおかげか温かかった。
結局日が落ちても雨が止むことはなく、二人でカップ麺を啜った。泊まる泊まらないの話をした時点で想像できたけど、やっぱりシンは私にベッドを使うように言ってきた。
「…………一緒に寝てもいいけど」
「寝るわけねえだろ」
シンはさっさと電気を消して床に寝転んでしまった。
私はベッドの中でシンが言ったことについて考えていた。あらためて整理してみると、確かに一理あるかもしれない。
私は今日この場でシンに組み敷かれたって何も文句はないし、むしろ嬉しいとさえ思う。だけど私は、私がここでどんなに思わせぶりなことをしたって朝まで手を出してこないシンが好きなのだ。これ以上好きになりたくないから放っておいてほしいのに、見捨てられたらと思うと怖い。優しくされたら胸がムズムズする。これっておかしいのかな。
シンは私に背を向けて横になっていた。その背中に向けて「すき」と念を送ってみる。もちろん反応はなかった。
(ねえ、借金なくなったら告白してもいい?)
「……いーよ」
は、と息を呑む。本当なら今にでも飛び起きてシンを叩き起こしてやりたいのに、私はベッドの中から動くことができなかった。金縛りにでもあったのか、それとも時間が止まったのか。ポロっとこぼれた涙を拭うことはできたから、たぶんどちらでもなかった。