幼馴染未満02
与えられた一室でパソコンのキーボードをカタカタと鳴らしていたら、突然後ろでガンッと大きな音が鳴った。振り返ってみたけれど、特に何もない。通路で誰か喧嘩してるのかな。パソコンに向き直って作業を再開させたが、やっぱり気になったのでもう一度後ろを向いた。よく見ると、入り口のドアがわずかにへこんでいる。
私は恐る恐るドアに近づいて、ノブを回してみた。
(えっ……)
ノブは回るが、ドアが開かない。ガチャガチャと押したり引いたりしたが、ドアはびくともしなかった。
ドアは変形すると開かなくなるとどこかで聞いたことがあった。それなのかもしれない。
「誰かいませんかー!」
返事はなかった。誰かが喧嘩していたわけではなかったようだ。
部屋に一人籠って作業できるのはありがたかったが、こういうときに困る。さすがに誰か気づいてくれるとは思うけど、運が悪ければ長丁場だ。
スマホは圏外。パソコンを使って連絡できないかなあとデスクに戻る。しかしそんな悠長なことをしていられる状況ではなくなってしまった。
ほんの一歩でもズレていたら死んでいたかもしれない。私のすぐ隣で天井から落ちてきたガレキが真っ二つに割れた。
どうしてドアが変形したときに何も思わなかったんだろう。私はガレキから身を守るためデスクの下に潜り込んだ。
無意識に窓を探していたが、ここが地下だったと思い出す。そこまで考えてようやく私は恐怖を自覚した。
***
「夏生くん……?」
突然エスパー野郎に下の名前で呼ばれた勢羽は、その背中の上で眉を寄せた。
「何だよ急に気味わり~」
「夏生くんってお前のこと? つーか起きてんなら自分で歩け」
雑に床に落とされる。さっき撃たれた痛みに響いたが、勢羽は顔に出さず面倒くさそうに立ち上がった。
「知らねえで呼んだの」
「いやお前のこと呼んだわけじゃなくて『夏生くん助けて』って声が聞こえたんだよ」
「は……どこ?」
「あー……ちょっと待て」
「はやくしろよ~」
「うるせーな!」
態度にこそださなかったが、勢羽は内心で焦っていた。ここで勢羽のことを「夏生くん」と呼ぶ人間は一人しかいない。だれかと戦闘していたわけでもないだろうに逃げ遅れているのは、さすがとも言える。
JCC入学試験のとき、なまえは勢羽がいたから死なずにすんだが、逆に言えば勢羽に引っ付いてきたから死にかけたようなものだった。勢羽がJCCに行くと言わなければ、なまえはJCCに興味すら持たなかったはずなのだ。
(まあ今回は俺のせいじゃねえよな~)
一つだけわかるのは、勢羽が近くにいようといなかろうとなまえが死にかけるということだ。そして、それを助けるのはいつも勢羽の役目だった。
「この一個上のエリアの……方向的にはあっちだな」
エスパーの指した先を勢羽は見上げる。さらに下じゃなかっただけまだマシなものの、探し出すのは骨が折れそうだ。
「お前さ、その子助けてなんかメリットあんの?」
「は?」
「言ってただろ『友達なんて楽しいだけがメリット』って」
「……別に友達じゃねー」
エスパーがにやっと笑う。勢羽は無視して透明スーツのスイッチを入れた。
階段を駆け上がると白衣を着た研究員がバタバタと避難しているのが見えた。こんなに人がいるのなら、透明スーツを作動させるにはまだ早かったかもしれない。しかしわざわざ呼び止めてまで彼女の場所を探るほどの余裕はなさそうだ。誰だって自分の命が最優先だろう。勢羽は研究員たちに衝突しないようにしながら、彼らが目指すのとは反対方向に走った。
(なんでこんな無駄に広いんだよ)
奥のほうまで行くとさすがに人の気配が少なくなってくる。そろそろ行き止まりかというところで、不自然に変形したドアを見つけた。
ノブを回して普通に押したところでやはり開かない。こんなことなら試作品のグローブを持って来ていればよかったなと考えていたところ、中から声が聞こえてきた。
「誰かいるんですか……?」
間違いなくなまえの声だった。勢羽はため息をつき、ノブを回したドアを蹴り飛ばした。
なまえは机の下で膝を抱えて小さくなっていた。埋めていた顔をハッと上げて、しかしドアのそばに誰もいないことに不審そうな顔をする。
いいから早くそこから出て来いよ。つーかパンツ見えてんだけど。勢羽の願いもむなしくなまえはキョロキョロを周囲を見渡すばかりで一向に逃げようとしない。バカなのか。まあ、バカだったよなコイツ。勢羽は仕方なく部屋の中に入ってなまえの腕を引いた。
「えっ、え……なに?」
得体の知れない何かに触れられるという恐怖になまえは頭が追い付いていないようだった。強く拒否される前に抱え上げる。最初はジタバタと抵抗していたなまえだったが、
「……夏生くん?」
そう言ったのを境に抵抗はピタリと止んだ。
「……なんでわかんの」
「やっぱり夏生くんだ!」
「あーうるせ~」
すっかり安心しきったらしいなまえは勢羽の胸にコテンと頭を乗せてくる。まだ脱出できたというわけでもないのに正気を疑った。
「なんで夏生くん見えないの?」
「知らね~」
「見えるようにできないの?」
「両手塞がってるから無理」
「……もしかして私、浮いてるように見える?」
「かもな~」
「めちゃくちゃ怪しいやつ」
「怪しい研究してるような場所だし大丈夫だろ」
そうかなあ、と言ったなまえに自分で歩くという選択肢はないらしい。さっきよりも体を密着させられて、勢羽は無意識に呼吸を浅くした。
「……助けに来てくれてありがとう」
「この四年、俺がいなくてよく死ななかったよな~お前」
ぎゅ、と首に腕が回される。見えていないはずなのに、なまえにはどこに何があるのかわかっているようだった。
「おい、くっつきすぎ」
「だって夏生くんすぐどっか行っちゃうから」
そう言ったときのなまえは、少し涙声だった。顔も見えないくらいに抱き着かれていたから真相はわからない。勢羽は無言でなまえのつむじを見下ろしていた。
途中で何度かガレキが落ちてきたことを除けば、脱出は問題なく終わった。外にいたほとんどがラボから脱出してきた人間のようだ。みな自分のことで精一杯で、なまえが浮いていることなど誰も気に留めていなかった。
なまえを下ろそうとするが、べっとりと子どものようにへばりつかれてかなわない。
「……謝って」
「はあ?」
助けてやったのに謝れとは。どうせ今まで無視してきたことに対してだろう。だから自分だと気づかれたくなかったのだ。わざわざ透明スーツまで着こんで行ったのに。……そう言えばまだなぜ勢羽夏生であると気づいたのかを聞いていなかった。
「なんで俺だってわかったんだよ」
「……夏生くんのにおいがしたから」
(うわ……)
「いま絶対『うわ』って思ったでしょ! 違うから、なんか雰囲気とかいろいろあって!」
「一人で宙に浮いて叫んでる頭おかしいやつになってるぜ~」
なまえはハッと顔を赤くして、ようやく一人で地面に立ってくれた。そして勢羽は逃げようとしたのだが、それを見越していたかのように服の裾を掴まれている。
勢羽は諦めてスーツのスイッチをオフにした。
「なんか腹減ってきたな~」
なまえはさっきまで泣いているのか怒っているのかわからないような顔をしていたが、今は目を真ん丸に見開いている。
「……え、夏生くん怪我してない?」
「あー……大したことない。それより何か食いに行こーぜ」
「そう……? じゃあ、クレープ食べよ。最近オープンした店がこの辺にあるんだって」
「クレープかよ」
「大丈夫。甘いのだけじゃなくておかず系もあるから」
グイ、と腕を引かれる。そう言えば昔もこんな感じでコンビニや公園に連れて行かれたのだった。たった四年では何も変わらないらしい。
「結局甘いの食べてるし」
「食わねーとは言ってない」
本当ならラーメンでも食べて帰るはずだったのに、クレープの甘さでそこそこ満足してしまった。
勢羽が食べ終わった包み紙を折りたたむ。隣ではまだなまえが食べている途中だった。こぼれそうなクリームに苦戦しているところを何となく見ていたら、なまえがなぜか嬉しそうに笑う。
「何だよ」
「待っててくれるんだ」
「さすがにもう逃げねーよ」
「それは今日だけの話?」
「……いや、」
勢羽はなまえから目を逸らした。そして考える。どっちにしろ死にかけるなら、距離を置いたって意味がない。だが無視した原因はそれだけでなく、勢羽の中には面倒くさいという感情もあった。なまえとするやり取りは、その半分以上が意味のないものなのだ。
「……しょうもない内容じゃなけりゃ返事するかもな~」
「私の近況報告とか」
「心の底からいらねー」
「ひどい」
「……まあ、なんかヤバイときは連絡すれば」
「うん、ありがとう」
にこりと笑ったはなまえの顔は、勢羽の記憶よりも少し大人びていた。