傷になりたい05

 一番ショックだったのは「殺し屋やってたなら死んでも仕方なかったのかな」と、少しでも思ってしまったことだ。だって今まで何人も殺してきたんでしょ? 納得できたわけではないけど、私を突き動かしていた使命感のようなものは明らかにしおれてしまっていた。
 どうして何も話してくれなかったんだろう。信用されてなかったのかな。私のやっていたことは独りよがりだったのかもしれない。
「今日はもう帰る?」
「……次があるんですか」
「きみが望めば」
 席を立つのと同時に目の前が真っ暗になった。テーブルに両手をついたおかげで倒れることはなかったが、とても家までたどり着ける気がしない。こんなことになるなら、おうちデートとやらにしておけばよかった。
「大丈夫?」
「……もう帰っていいですよ」
「どうせ同じ方向じゃん」
 南雲はそう言って、向かいの席から私の隣まで移動してきた。
「同じ方向だったらどうなるんですか」
「一緒に帰ろうよ」
「……むり」
 無理というのは「歩けない」という意味であり、「一人にしてほしい」という意味でもある。
 南雲は何を言うわけでもなくじっと私の横に立っていた。だんだん周りから見られているんじゃないかと居心地が悪くなってくる。なんだか頭も痛くなってきた。
 私はもう一度、席に座った。
「続き」
「え?」
「続きってやっぱり悪い話なんですか」
「ん~……まあ、悪くはないかも?」
「じゃあ教えてください」
「しょうがないなあ」
 元の席に戻るのが面倒だったらしく、南雲は私の隣の席の椅子を引いた。大きな身体のせいか妙な圧迫感がある。南雲はテーブルに肘をついて私の顔を下から見上げてきた。
「生きてるかもしれないんだよね」
「えっ」
 何が……誰が……どう考えても弟のことであった。
「なんでそれを先に言わないんですか!」
「あ、元気出た?」
 出るに決まっている。最初にそれを言ってくれたら無茶な聞き込みをすることもなかった。
 でもね、と南雲は続ける。
「生きてたとしても弟くんは追われる立場だから、こんなところで話してたら危ないかも」
 私は南雲の腕を掴んで立ち上がった。さっき立ち眩みを起こしていたのが嘘みたいに、視界がはっきりとしている。
「おうちデート、しましょう!」
 いろいろ気になることはあるけど、生きているなら何でもいい。南雲は周囲をぐるっと見渡してから「いいよ」と笑った。

 ……それでどうしてこんなことに?
 私の部屋に戻ったあと、南雲はいきなりカーテンを全開にして私のことを押し倒してきた。まさか、
「やらないと教えてくれないとか……?」
「意外と冷静だね」
「……冷静ではないです」
「うーん……。やっぱりこれでもダメか~」
 南雲がため息をつきながら離れていく。私は床から起き上がることも忘れて一人で天井を眺めていた。今のは何だったんだ。
「っていうかきみも、もうちょっと嫌がってくれないと」
 そして私が悪いみたいになっている。南雲としては私に嫌がってほしかったようだ。……殺し屋相手に押し倒されて、まともに抵抗できる一般人がいるものか!
 ガサガサと鳴る音にハッとして起き上がると、南雲がコンビニの袋からポッキーを出しているところだった。
「なんなんですか一体……」
「きみの弟くん、裏切り者ってことで殺連から追われてるんだよね~。だから殺されたふりしたんだと思う」
「……え」
「僕は殺連側の人間だから弟くんのことみつけたら殺さなきゃいけなくて。きみにちょっかい出したら助けに来るんじゃないかなーって思ったんだけど」
「……そんな状況で私のこと気にかけてるわけないじゃないですか」
「それもそっか~。出てきたらまず殺されちゃうだろうし、もう二度と会えないかもね~」
「……会えなくても、死んでるよりはマシです」
 でも、生きてるというのもこの人が勝手に言っているだけだ。本当なのかもわからない。これで私は納得できたのだろうか。弟をみつけたら殺すと言っている人が目の前にいて、どうして私はこんなにおとなしくしていられるのだろう。なんだか私、自分で思っていたより薄情だ。
「……裏切り者っていうのは」
「上層部が言ってるだけだし詳しくは知らないな~。たとえば内部情報を漏らしてるとかー、抹殺対象を逃がしたとかー、それか知っちゃいけないことを知ってしまったとか?」
「あなたは上層部の言いなりってわけですか」
「まあね~」
 どうでもよさそうに言って、ポッキーを食べている。相手にされていないような気がした。私に構ったところで弟が姿を現さないとわかったからだろうか。
「……生きてるっていうのは本当なんですか?」
「本当っていうか僕にはそう見えたってだけ。あのデパートの事件、怪しすぎだったし」
 よいしょ、とわざとらしい動作で南雲が立ち上がる。出口へ歩いていく彼の背中に私は思わず声を掛けてしまった。だけど、何を言うかまでは決めていなかった。何か言わなければならない気はしているけど、何を言ったらいいのかまではわからない。身体を半分だけ振り向かせた南雲は、今にも行ってしまいそうだ。
「……弟のこと、もう探さないでください」
「うん、いいよ」
 思っていたよりあっさりと頷かれて私は困惑した。
「ぐ……偶然見かけても殺さないで」
「わかった」
「……」
「満足した?」
 今までと同じ笑顔だったと思う。それなのに勝手に怖くなって、頷くことしかできなくなっていた。はやく部屋から出て行ってほしかった。探しもしないし見かけても殺さないって、普通に考えたらあり得ない。だって彼は殺連という組織に属していて、その殺連が弟を殺せと言っているのだ。でも、私にはどうやったってあの人を止めることはできない。それならもう充分じゃないか。何度もそうやって自分に言い聞かせて、そのたび弟の顔が頭に浮かぶ。
 玄関に鍵を掛けて、時計を見たらまだ昼にもなっていなかった。それなのに今になってお腹が空いてきて、あの男が残していったポッキーに手を伸ばした。

 結局お昼はずっと家の中で膝を抱えていただけだった。だけどいつまでもそうしているわけにもいかず外へ出た。スーパーに買い物に行くだけのつもりだった。なのにあの男の後ろ姿をみつけて、性懲りもなく後を追いかけてしまったというわけだ。
 二回目だから、人通りの少ない場所に誘導されているのだとすぐにわかった。相手が私に気づいているのも明らかで、それでも私はついていくのをやめなかった。
 あの日と同じように、南雲は通路の行き止まりで足を止めて私のほうを振り向く。
「なーんでついて来ちゃうかな~?」
 明白な答えは持ち合わせていない。強いて言うなら「弟を探していないか確認するため」だろうか。見て見ぬ振りはできなかった。何かしていないと不安になる。たとえそれが意味のない行動だったとしても、だ。
 自分で自分が嫌になる。両親は弟のことを諦めたのだと思っていたけど、今の私と何が違うのか……もうわからない。
「……うぅ、」
 泣いたら彼は目を真ん丸にして私に近づいてきた。「どうしちゃったの?」声は優しい。背中をさする手つきも優しい。私は返事もせずにわんわん泣き続けた。この人の前で取り繕うのが馬鹿馬鹿しくなったのだ。
「まあ、簡単には割り切れないよね」
「わかったようなこと言わないで」
「わかるよ」
 南雲はそっと私のことを抱きしめてきた。抵抗できたはずなのに私は何もしなかった。ぽんぽんとあやすように頭を撫でられる。
「僕たち殺し屋はさ、いつ死んでも仕方ないって自分では納得してるんだよ」
「そんなの勝手すぎます」
「うん。置いて行かれる人のことなんてなーんにも考えてない。ほんと勝手だよ」
「……?」
 まるで南雲自身も誰かに置いて行かれたかのような言い方だ。
「あの、」
「うん?」
「……南雲さんも誰かに置いて行かれたことあるんですか?」
「何年も殺し屋やってたらね~」
「……もう慣れちゃった?」
「さあ、どうだろう」
 ぶらんと垂れ下がっていた腕を彼の背中に回してみる。なんでこんなことをしているのか自分でもわからなくなっていた。
「きみはすごく頑張ったと思うよ」
「……うん」
「日常に戻ったって誰もきみのこと責めない」
 涙の勢いが増して、彼のシャツを濡らしていく。気づいていないのか彼に咎められることはなかった。
 私は誰かに許してもらいたかっただけなのかもしれない。この人が弟の敵だとわかっているのに、私には味方してくれていると勘違いしてしまいそうになる。
 南雲さんは私の手を引いてマンションまで送り届けてくれた。
 一人で部屋に入った私はまず全開だったカーテンを閉めて、お風呂に入った。結局スーパーには行かなかったけれど、冷凍庫に一食分くらいは入っているから平気だ。
 そうして一カ月後、隣の部屋が空き部屋になっていることを知った。前と変わらない家賃で入居者が募集されている。なんとなくそんな気はしていた。

 一年、二年と経ってもあの人に会うことは一度もなかった。外で殺しの現場に遭遇するたびに彼がいるんじゃないかと周囲を探してしまう。会ったところで話すことなんてない。でも、もう一度会いたかった。これは弟に対する裏切りになるだろうか。……そうだったとしても、不思議と誰かに許してほしいとは思わなかった。