傷になりたい07
南雲さんの誘いを断ることはできなかった。
言われるがまま彼の後ろを歩いて、なんだかおかしいなと思ったときにはすでに手遅れ。私たち以外は誰もいない薄暗い路地の行き止まりで、南雲さんは足を止めた。
「あのー……」
「なに~?」
ゆっくり振り向いた彼は、すっとぼけているのか本気でわからないのか、こてんと首を傾げている。もしかして私、ここで殺されちゃったりするのだろうか。それならそれでこんな手の込んだことをする必要もない気もするが、あいにく彼の考えていることはさっぱりわからないのだ。
「食事に行くのでは……」
「ああ、食事ね」
南雲さんが背負っていた大きなケースがドンと地面に置かれる。中から出てきたのは錆びついた刃物だった。
私は無言で一歩引いた。逃げ切れるとは思えない。だからって黙って殺されるほどお利口さんでもない。
「……仕事ですか?」
「仕事ではないかな」
「じゃあ、どうして?」
俯いた南雲さんの前髪の隙間から、真っ黒な目が見える。吸い込まれるかと思った。……違う、南雲さんが一瞬で目の前に来たのだ。
私は目を瞑った。震えが止まらなかった。殺すならさっさとしてくれればいいのに、勿体ぶっているのかいつまでたっても何の衝撃も襲ってこない。
こわごわ薄目を開くと、そこに南雲さんはいなかった。ぱっちり目を開けて見えたのは、開きっぱなしの南雲さんのケースと路地の行き止まりだけだった。
(はあ~?)
もしかして、からかわれた? それなら南雲さんはどこに?
私は南雲さんのケースの中を覗き込んだ。一番最初に目に付いたのは銃で、他にも武器らしきものが数点。あとは……お菓子も入っている。
「触ったらダメだよ~」
ケースに伸びかけていた手をサッと引っ込める。振り返れば南雲さんがこちらに歩いてきているところだった。
「なんなんですか!」
「殺されるかもって思った~? 冗談だよ冗談~」
「……」
文句の一つや二つじゃ気が済まない。南雲さんを睨みつけていると、彼が後ろ手に隠しているモノに血がついていることに気づいた。
「……それ、」
「ん?」
私が指差せば、南雲さんはニコっと笑いながらそれをさらに隠そうとする。
「血がついてる」
「そこは気づかない振りしてくれないと~」
「……できるかぁ!」
「あーあ。うまく誤魔化せたと思ったの……え?」
南雲さんがうろたえている。痛快だ。だけど、こんなことしかできない自分が嫌になる。
南雲さんは血まみれの武器を置いて私の肩に手を添えた。
「泣かないで。えー……どうしよう」
「怖かった」
「そうだよね! ごめん、ごめんね!」
「殺されるかと思った」
「うん、全部僕が悪かった。だから……そうだ、おいしもの食べに行こう。何か食べたいものある?」
「一人で行け!」
南雲さんの手を払って帰ろうとする。後ろでガチャガチャと音がしたけど振り返らなかった。そうしてすぐに彼が追いついてきて、後ろで謝罪の言葉を述べている。どうしても許せないというわけじゃないけど、私のほうも引っ込みがつかなくなっていた。
いついなくなったのかもわからなかったけど、私が自宅についたときに南雲さんの姿はなかった。なによ、簡単に諦めちゃって。っていうか危ないでしょ。私、さっきまで殺しの現場にいたのに。一人にしないでよ……。
ぶり返してきた涙を拭って鍵を握る。手が震えて鍵穴にうまく入らない。すると大きな刺青だらけの手が後ろから伸びてきて、私の手をそっと包んだ。
カチッ。鍵が開いた。刺青の手は勝手にドアを開けて、私もどうしてだか彼を招き入れてしまった。
私は南雲さんを無視して荷物を置いたり手を洗ったり、それから上着を脱いでハンガーにかけたりした。大きな図体がちょこちょこと私の後ろをついてくる。さすがに悪い気がして私は彼と目を合わせた。一応、申し訳なさそうな顔はできるらしい。
「……ピザ買ってきたんだけど食べる?」
「食べる……」
南雲さんはパッと笑顔になった。それが子犬みたいにかわいくて、頭を撫でたくなってしまう。堪えて袋に入ったピザを受け取れば、なんだか思ったよりも厚みが……。テーブルの上に中身を出して呆れた。
「なんで三枚も……」
「一枚買うと二枚無料なんだって~」
「……責任もって食べてくださいよ」
「もちろん」
コーラで乾杯してピザに手を付ける。なんでお行儀よく食べるのが難しいものを選ぶかな。びよんと伸びたチーズはなかなか切れない。南雲さんは豪快にかぶりついていた。私も真似したけど口の端にソースがつく。
「おいしいです」
「ねー。これ期間限定なんだって」
「さっきのって何だったんですか」
「さっきのって~?」
「血」
「スルーしてくれないんだ」
なんだか前にも聞いたことのあるセリフだ。あんなもの見せられて無視できるわけないのに。
「なんかさ、きみの周りをチョロチョロしてたやつがいて」
「え」
「探ってたんじゃないかな、弟くんのこと。やっぱり僕以外にも気づいてたのがいたみたい」
「……でも」
南雲さんの話を信じるなら、弟は殺連を裏切り死を偽装した。南雲さんは弟を追うように言われているけど(多分)見逃してくれている。そして他にも弟のことを探しているやつがいる……ということは。
「その人、南雲さんにとっては味方なんじゃないですか? 殺して大丈夫なんですか?」
「僕の心配してくれてるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「えー、違うんだ」
「いいから質問に答えてください」
「さすがに味方だったら殺さないよ」
「……じゃあどうしてその人は弟のことを?」
「例えばだけど、弟くんに反殺連の仲間がいるとするでしょ。用済みになったから殺すってのも珍しくない話だよ」
「そんな……」
それじゃあ弟の居場所はどこにもないということになる。あんまりじゃないか。
南雲さんはいつの間にか二箱目のピザを開けていた。
「今日ここ泊まっていい?」
「……何の話」
なんか話を逸らされたような。質問にはちゃんと答えてくれたけど、私にこれ以上質問させないようにしているんじゃ?
「今から帰るの面倒だし~」
そんなかわいく言ったって無駄だ。ギロッと南雲さんを睨むけど、彼は気にせずピザを食べている。このままだとなくなりそうだったから一切れキープした。だってどんな味か気になるし……。
「もうコンビニで替えのパンツと歯ブラシ買っちゃった」
「な……」
なんてめちゃくちゃな……。からかわれているのか本気なのかもわからない。こんなよくわからない人と一晩過ごすなんて無理だ。そりゃあ会いたいとは思っていたけど、いくらなんでもそれは……。
また泣いたら出て行ってくれそうな気もしたけど、できればそれはしたくない。それなら、
「待って、どこ行くの?」
「ネカフェ」
必要最低限の荷物を持って出ようとすると、南雲さんがバタバタと追いかけてくる。
「あ~待って待ってごめんってば~」
「さっきも聞いた気がする」
「うん……ごめん。本当はまだ危ないかもしれないから、きみのこと心配で」
「なんで最初からそう言ってくれないの」
「怖がらせちゃうかと思って」
「急に居座られるほうが怖い」
「だよねえ」
南雲さんに連れられて私は元の場所に戻った。三枚目の箱を開ける。一切れだけ取ってあとは南雲さんのほうに差し出した。
「……ねえ、これ残してもいい?」
ブラックホールの胃袋をお持ちかと思いきや、限界はあるらしい。
「明日の朝ちゃんと食べるから~」
買ってきた手前、いらないとは言えないみたいだ。私も捨てるのは抵抗があるタイプだから、明日も食べてくれるのは助かる。だけどそれ言うのは癪だったので、私は無言でラップを持ってきた。
「……明日はどうするんですか?」
ピザをラップで巻きながら尋ねる。南雲さんは私のことを心配してくれていると言ったけど、私としては「今日だけ」心配してもらったってあまり意味がない。例えば一週間後に襲われたとしたら、私は死ぬしかないのだ。
でも、助けてとは言えない。南雲さんに私を守る義務はないからだ。
「明日はピザ食べてー、きみのこと会社まで送っていこうかなー」
「……そのあとは仕事ですか?」
「うん。きみたちのこと嗅ぎまわってるやつらが全員捕まるまで安心して眠れないでしょ?」
「……助けてくれるってことですか?」
「僕らにとっての敵を潰すだけだよ。まあ情報源もあるし、そんなに時間はかかりそうにないかな~」
ピザをラップで巻き終わると、南雲さんが箱を潰してくれた。
「大丈夫。僕、人質は殺さないし殺させないタイプだから」
「何の話ですか」
「さあ?」
「殺さないって言っちゃったら人質の意味ないんじゃ」
「殺さなくたってできることはたくさんあるよ」
「……拷問とか?」
南雲さんは大声を上げて笑った。笑いすぎて泣きそうになっている。そんなに変なことは言ってないと思うけど……だって南雲さんは殺し屋だし。
「きみにちょっかい出したら殺すって言われてるんだよね」
「……誰にッ!?」
思わず身を乗り出した。そんなことを言う心当たりが一人しかいないからだ。親は私のことなんて気にしてないはず。だとしたら、身内なんてもう弟くらいしかいない。
南雲さんは「内緒~」と機嫌よく言いながらペットボトルに残っていたコーラを飲み干した。
彼は弟を見つけてしまったのだろうか。それで私をダシに取引しているとか……。南雲さんの言い方が回りくどすぎてよくわからない。聞こうとしたら彼の人差し指が私の唇にちょこんと触れた。
「ダメだよ~口にしたら」
「……」
「これでもサービスしたんだよ? 話さなかったら話さなかったできみ、一人で突っ走りそうだし」
「……いいんですか、人質にこんな自由にさせて。お腹いっぱい食べちゃいましたよ?」
「ちょっとくらい振り回されるほうが楽しいよ」
わざとらしく「よいしょ」と言って南雲さんが立ち上がる。
「あーあ。女の子にこんな振り回されるのって初めて」
「……最低」
「え、なんで?」
なんでと言われたって最低なものは最低なのだ。どんだけ女遊びしてたんだか。
ひどいな~とかブツブツいいながら南雲さんは浴室に入っていった。……シャワー借りるね? 普通そこは私が先でしょーがッ!